2、魔女管理教会と魔女解放戦線



 重くなった台車を押しながら帰路につく。

 今回の表紙はアイシャとユーリーン王子。常に彼らが視界に入るよう荷物の一番上に置いたのだけれど、おかげでいつもより足が軽い気がした。

 やはり推しの存在は心の清涼剤だ。プラスになることはあってもマイナスになることはない。



「ん? なにか……はみ出てる?」



 ページの間に紙が挟まっているのに気づき、一旦足を止める。手紙だろうか。広げてみると『魔女解放戦線が活発化。注意されたし』と几帳面な文字が綴られていた。

 司祭様の字だ。


 魔女解放戦線とは、国際機関である魔女管理教会と敵対する民間武装組織のことである。


 魔女管理教会の信条は、魔女を神の代弁者として保護し安定した死へ導くこと。

 魔女解放戦線はその逆。魔女を徹底的にモノとみなし効率よく殺すことを理念として掲げている。


 どちらが正しいかなんて私には分からない。


 ただ、魔女解放戦線に加入している者のほとんどは、魔女の呪いで親しい人を失っていると耳にしたことがある。

 彼らは魔女の存在を忌避し、手に掛けることすら厭わないという。それは恨みからだけではない。精神がまだ幼い少女のうちに殺してしまえば世界への損害を最低限に抑えられる、という考えを持っているからだ。


 実際、何度か暗殺事件は起きていた。その時は、村が一つ二つ消えたらしい。彼らはこれを必要最低限の犠牲だと誇るのだろうか。

 できることならば私は――。



「幸せに……いえ、誰の迷惑にもならないように、ひっそりと死にたいな」



 ぽつりと呟いた言葉は少しだけ疲れが含まれていた。慌てて頭を振る。疲れも痛みもすべて魂を曇らせる要因になりかねない。



「今日も元気に健やかに! うん、大丈夫大丈夫!」



 魔法の呪文を唱えてからぐいと背伸びをする。

 ここには誰もいない。頼れない。だからメンタルコントロールは自分で行うしかない。


 教会にお世話になっていた時、そのあたりはきっちと教え込まれたので問題はないはずだ。なにか不調を感じたら速攻司祭様へ連絡を取ればいい。



「ちょっとだけ、ウィッチドロップの花畑に寄っていこうかな。花も摘んでおきたいし」



 目の前の分かれ道を左に行けば家に、右に行けばウィッチドロップの花畑に辿り着く。

 本当は直帰するつもりだったけど、今はあの淡い光に包まれたくて私は右に舵を切った。


 一度魂が曇ってしまえば漂白するのに時間がかかる。最悪の場合、戻らない危険性もあるらしい。ゆえに魔女の扱いには十分注意しなければいけない。

 子供ですら知っている魔女様のマニュアルだ。


 では、どうして人里離れた森の奥でこんな生活をおくっているのかと問われれば、長い魔女の歴史がそうさせてしまったと答えるしかない。


 昔は各国が持ち回りで魔女を受け入れ、盛大にもてなしていた。

 魔女の機嫌を損ねないよう細心の注意を払い、望みを言えば大抵叶えられる。それでも満たされた状態から死ぬということは多少なりとも心が曇ってしまうようで、一つや二つの災害を引き起こしながら魔女は入れ替わっていった。


 しかし人間の欲望とは浅ましいもの。

 手に入るとさらに次が欲しくなり、手に入らなければ不条理だと世を恨む。


 ある時、妻のいる男を好きになってしまった魔女は、持ちうるすべてを使って男をモノにしようと画策した。その甲斐あって男は魔女のモノになったが愛情など向けられるはずもない。男は魔女を恨んでいたのだから。


 悲しいことに、欲しいものを手に入れたせいで彼女は絶望してしまったのだ。

 歴代最悪と名高いその魔女は、死した時国を二つ滅ぼしたのだとか。


 歴史を紐解けば大なり小なりそんな逸話がごろごろ出てくる。

 そりゃあ誰も魔女を好意的に見ようとはしないだろう。理解できてしまうから、この境遇に文句など言えるはずもなかった。

 ただ運が悪かっただけだと自分を慰めるしかない。


 重大な魔女の呪いを引き起こしてしまった教会は、魔女の管理方法を改め、できる限り人と接することのないこの環境を作り上げた。

 欲が生まれるのはそれが存在すると知っているから。情報を仕入れなければ欲しいとすら思わない――いや、思えない。まるで創世記の知恵の果実だ。


 綺麗な綺麗な箱庭に、魔女を閉じ込めておく。

 それが、今の最善策。



「――でも、魔女だって個人差はある。私にとっては居心地のいい箱庭でも、前任者にとっては苦痛でしかなかったのかな」



 家に残されていたメモを見る限り、とても頭のいい人のように思えた。きっと、魔女になんて選ばれなければ優秀な学者や研究者になっていたはずだ。だから、こんなところに閉じ込められ、何の功績も残せず、ただ腐っていく人生が許せなかったのだろう。そしてそれが呪いとなって国が一つ消えた。

 ままならないものだ。

 私はため息を吐き出した。


 引き出しの裏に張り付けてあった『私の夢』というメモ。涙の痕と一緒に書き殴られていたそれには、鬼気迫る何かがあった。死の間際に、這う這うの体で書き残したものだろう。


 最初で最後の悪あがき。

 せめて誰かにこの胸の内を理解してほしかった。だからあんなところに隠してあったのだ。教会に見つけられていたら処分は免れなかったはず。

 見つけてあげられてよかったと思う半分、見つけたのが私で本当に良かったのかとも思う。

 私には夢なんてもの、一つだってないから。



「夢、夢かぁ……」



 ころころとタイヤの転がる音だけが空しく響く。

 そろそろ目的地だ。ウィッチドロップの甘くて優しい香りが流れ込んできた。

 昼間であってもこの場所だけは薄暗く、花の吐き出す光が辺り一面にあふれて昼夜問わず幻想的な空間を作り出していた。


 もしも私に夢なんてものがあるとすれば――。


 カサリ、と葉と葉の擦れる音が聞こえた。

 動物でも迷い込んだのかしら。来訪者がいるとすればウサギか、タヌキか。

 私はゆっくりと顔を上げて、驚きのあまり息をのんだ。


 深い海の底に引きずり込まれそうな紺碧の瞳。蕩けそうなハニーブロンド。

 身長はゆうに百八十を越え、均等のとれた美しい体躯がすらりと花畑から伸びている。腰の両側に刀を携え、動きやすいよう簡易な防具を身に着けていた。


 気圧されるほど綺麗なのに、少し癖のある髪形と愛嬌のある表情が人懐っこさを演出している。

 まるでバラ乙に出てくるユーリーン王子が現実世界に飛び出てきたかのようだ。

 光の玉が立ち昇る中、彼は私を見て柔らかく目を細めた。



「やあ、初めまして魔女のお嬢さん。早速だけど」



 サクリ、サクリ、と花を踏み越えて近づいてくる。

 魔女解放戦線が活発化していると司祭様は忠告をくれた。彼らの中には魔術に精通している者もいるはず。もし魔女の結界が破られたとすれば、私は――。

 ゆっくりと手を伸ばされ、思わずビクリと目を閉じた。



「道に迷っちゃったから道案内お願いできないかな? だめ?」


「……は?」



 顔の前で手を合わせて、ぱちんとウインクを投げられる。


 もしも私に夢なんてものがあるとすれば、それはたぶん恋をしてみたいだとか、そうい酷く平凡な願いがあるだけだろう。


 ビュウと突風が吹き、荷台に乗せておいた文庫本がぱらぱらとめくれる。中に挟まれていた小さな紙が風に煽られ飛んで行った。

 それはもう一枚の手紙。

 たった一人で一国を制圧したとする世界最強の傭兵が魔女解放戦線に参加したという内容のものだった。


 しかし、この時の私は知る由もなかった。

 手紙の内容も、世界の情勢も、彼の正体も、なにもかも――。 

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