魔王様、引っ越しをする

 朝の日差しが、紫陽花あじさいの葉を濡らしていた雨粒を光らせる。青い花弁も、久しぶりの太陽に浴して背を伸ばす。廃屋の屋根瓦は、徐々に渇きはじめる。雨漏りに苦しめられた魔王たちにとっては朗報だろう。とはいえ、この廃屋とも今日でお別れだ。



 目覚めた魔王たちは、朝食をとることなく、荷造りを始めた。そこへ、望月もちづき あかりとルナがワンボックスカーで来訪する。

「おはようございます」

「おはよう」

「車、借りてきました」

「ありがとう」

「荷造りは終わってますか?」

「大体はな。もっとも、まとめるほど、荷は多くないが」

「まとまっているものから、車に載せましょう」

「力仕事だ。それは、余がやろう」

「おそれいります。魔王様」

「シ! ソラには余が魔王であることを明かしていない」

「失礼しました」

「ここでは、マオと呼んでくれ」

「かしこまりました。マオさん」

「それじゃ、さっそく運び出すかな」

 雨はやんだ。魔王の家には、久しぶりに日が射す。五月晴れの朝は、こうして始まった。



 廃屋で生活を初めて二カ月程度。ハルが暮らし始めた時期を含めても三カ月程度しか生活していない。生活必需品を除けば、買い増したのは衣服ぐらい。布団を除けば、段ボール箱が二個あれば収まってしまう。

 もとより、魔界で生活していた時代に、衣類の心配などする必要はなかった。異世界に来てから、人という生き物は、衣服がないと体温調節もできないということを、初めて知り、そして、実に不便な生き物だと思った。だから、魔王もハルも、服装についてはまったく頓着していない。

 荷物が一番多いのは、ソラだ。モデル活動を始めてからファッションに興味を持ち、自然と服やインテリアが増えていった。前日までに、できる限り荷をまとめたつもりであったが、まったくまとまっていない。



 車の荷台はあっという間に満載になる。

「意外とあるものだな」

「誰かさんの荷物が、私たちの荷よりも多いですから、まったく困ったものです」

「これは一回じゃ運びきれないな」

「引っ越し先はさほど遠くありませんし、二往復しましょう」

「では、車の運転できる望月さんと俺で、一回、行ってこよう」

「よろしくお願いします」



 魔王と輝は、ふたりで新居へ向かった。

「こうして、望月さんとふたりきりで話すのは初めてかな」

「そうですね」

「どうして名義を貸してくれく気になったんだ?」

「ルナから、魔王様が安普請やすぶしんで苦労しているので、助けて欲しいってお願いされちゃって」

「たったそれだけの理由でか?」

「ルナにとって大事な人なら、あたしにとっても大事な人です」

「そんなに信用しているのか? 余たちのことを」

「魔王様や軍師様の話は、たくさん聞かされていますから」

「これで余も、望月さんに恩ができたな」

「そんな、堅苦しい話じゃありませんよ」

「物件探しの時は、ハルやソラが我がまま言って、失礼した」

「お二人の言い分はもっともです。ただ、個人的には、ハルさんがちょっとかわいそうですね」

「そう思うか」

「形だけの夫婦ですが、ふたりだけで暮らしたかったでしょう」

「望月さんに、複数の物件を契約させるわけにはいかなかったからな」

「さすがに、難しかったですね。それは」

「もう着くかな」

「五分ぐらいしか離れていませんから」

 車は、ちょっと古めかしい一軒家の前で停まる。

 車から降りた魔王は、玄関のカギを開ける。輝が、車のハッチバックを開ける。

「俺がどんどん家の中へ運び込むから、望月さんは、車内から荷を手前に降ろしてくれるか」

「わかりました」



 その頃、ソラの荷造りだけ残っていた。慣れない作業に悪戦苦闘中。魔界では、旅を続けているのが普通だから、荷物は簡素にまとめている。同じ家に住み続けたことは、ほとんどない。幼い頃を除いては。

「まだ、まとまらないの?」

 ハルが冷たい視線を送る。

「すいません」

「今からでも遅くないから、ワンルームマンションを借りたらどう?」

「望月さんに迷惑はかけられませんから」

「仕事で付き合いのある人とか、事務所の方とか、いっぱいいるでしょう」

「勤めてまだ一ヶ月ですから、いませんよ」

 そこに、ルナが入って来る。

「手伝いますよ」

「ありがとう」

 ハルは鼻で笑いながら、部屋を出て行った。




魔王コラプサー●ライブ

「先日、引っ越した」

 『雨漏りひどかったからな』

 『雨漏りなくなた』

 『雨漏りからの解放』

「新居は綺麗だな」

 『きれいなのか』

 『廃墟だったしな』

 『キノコ生えてない?』

「キノコ生えてないし、カビも生えてないし、蜘蛛の巣もない」

 『それは良い新居です』

 『良い家ですね』

 『新築ですか?』

「新築じゃない。築30年だったか」

 『古いですね』

 『古いな』

 『新築じゃないんかい』

「皆に質問があるんだが」

 『なんでしょう』

 『なんでございましょう』

「トイレだが、小は立ってするものか? 座ってするものか?」

 『洋式トイレのこと?』

 『座ってしましょう』

 『座る』

 『飛び散るから座りましょう』

 『座ってした方が掃除が楽ですよ』

「わかった。今度から座ってするようにする」



 新しい部屋に、まだ開けていない段ボール箱がある。それでも、ノートパソコンを真っ先にセットアップして、魔王コラプサーのライブ配信を見ながら、クスクスとソラは微笑んだ。




 最近、アマガエルを捕まえるのが得意になったカスミは、その能力が魔界で発揮できていたら、もっと速くレベルアップしただろうと、ツバサに言われた。アマガエルには毒があるから、手を洗ってとシズクに諭される。

 今夜も、食後の自由時間を三者三様に過ごしている、ツバサ、シズク、カスミ。


 魔王コラプサーの配信を見ていたカスミが、突然、大声をあげた。

「あたし、VTuberになる!」

「びっくりしたー」

「どうしたの突然、ル●ィみたいに」

「VTuberになって、魔王コラプサーに勝つ!」

「大きくでたねー」

「無理。止めときな」

「なんで~。あたしのキャラならいけると思うんだけど」

「キャラは良いかも」

「個人勢はよっぽどの事が無い限り、埋もれるよ」

「それじゃあ、大手に入る」

「うん、がんばって」

「がんばってね」

「反応、薄いなー。さっそく応募用の動画撮ろう」




軍師パルサー●ライブ

「引っ越しました」

 『おめ』

 『おめでとう』

 『おめでとうございます』

 『雨漏りとおさらばですね』

「おかげさまで」

 『ブレーカーが落ちる心配もありませんね』

 『セーブデータが飛ぶ心配もありませんね』

 『ネット回線も速くなりますね』

 『グルグル回るのもなくなりますね』

「今までみなさんにはご迷惑をおかけしました」

 『どういたしまして』

 『どういたしまして』

 『それを含めて軍師様ですから』

「電源が40Aになり、ネット回線が光になり、全ての部屋にエアコンが付いて、トイレが洋式になりました」

 『40A意外と少ない』

 『日本の夏にエアコンは必須です』

 『便座洗浄機は付いてますか?』

「便座洗浄機付いてますが、肛門やビデを洗浄するのだから、肛門ビデ洗浄機と名を改めるべきかと思います」

 『なまなましいw』

 『生々しいから』

「便座を洗浄する機能が付いていません」

 『便座は自分で掃除しましょう』

「便座を洗浄しないのに、便座洗浄機という名前に納得できません」

 『そこは納豆と豆腐理論で』

「納豆と豆腐理論ってなんですか?」

 『腐っていないのに豆腐と呼び、腐っているのに納豆という』

 『日本語はあいまいなので、深く追求しないで』

「納得はできませんが、使い方はわかりました」

 『使いましたか?』

 『どうでしたか?』

 『初お尻洗い』

「良いですね。紙で拭くより綺麗に汚物を除去できます」

 『生々しいです』

 『なまなましいってw』

「ところで、みなさんにご相談があります」

 『なんでしょう?』

 『なんでしょう』

 『なんですか』

「男を落とす方法を教えていただきたい」

 『またストレートな質問』

 『これまた生々しい』


 魔王様の交友関係が、大きく外へ広がり始めている。このまま座していては、どこの馬の骨とも知らぬ女に盗られてしまう。私も行動を興さなくては。




 さっきまで降っていたゲリラ雷雨は止んだ。今は、嘘のように晴れあがって、青空が見えている。天気予報は、相変わらず、大気の状態が不安定です。急な雨にご注意くださいと繰り返すばかり。梅雨明けが近くなると、この様な天気になるらしい。梅雨が明けると、いよいよ酷暑がやって来るということらしい。もっとも、今でも十分、蒸し暑い。

 魔王は、秋葉原駅にきている。先のコラボ配信で知り合った四人と、今日はオフ会だ。


 主催者は、やたらと艶っぽい声を出していた、デモデモ・デモネス。待ち合わせ場所で、待ち合わせの目印を探しながら人込みを縫い歩くと、目印を持つ女性を発見した。

「すまんが、デモデモ・デモネスさんですか?」

 その妖艶な女性は、ニコっと笑って、人差し指を口に当てる。

「正解。身バレになるから、これからは名前で呼んでね。あたしの名前は、紅花べにばな かおり。よろしくね」

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