魔王様、ビールを飲む
日が暮れ、鳴いていた鳥の声に替わり、蛙の合唱が轟いている。その背景で風の
半分ほど開けた窓から、初夏の風が流れ込んでくる。網戸を閉めていても、小さな虫が入ってくるが、魔界育ちのふたりに、虫の羽音はさほど気にならないらしい。
シズクとカスミは、ツバサの帰りを待っている。駅から迎えの電話があり、おじさんは車で迎えに行った。往復にかかる時間を考えても、そろそろ帰って来る頃だ。
「まだかな~」
「もうすぐじゃないですか」
「ツバサ、ソラと会えたのかな~」
「訊きたいことは一杯ありますね」
遠くから、車の音が聞こえてくる。
「帰ってきたかな」
「行ってみよう」
外に出ると、遠くに車のライトが光っている。その光は近づいてきて、ふたりの前で停まる。助手席から、ツバサが降りてくる。
「ツバサ! お帰り~」
「どうだった? 初東京」
「疲れた」
ツバサは、体が脱力するくらい疲れているが、笑顔だ。
「ソラと会ってきた」
「どうだった!?」
「元気だった!?」
「元気だったよ」
「そう、良かった」
「ツバサの話、聞かせてよ~」
「その前にお風呂とご飯食べさせて」
「食べてこなかったの?」
「東京は遠い」
「部屋に食事、用意して待ってるよ」
風呂上がりのラフな姿のまま、ツバサは夕食を口に掻き込んだ。食事と同時に、今日、あったことを話す。
「それでね、マオさんハルさんっていうご夫婦と、今は一緒に住んでるんだって」
「へ~」
「カラオケの後、ツバサにスマフォ買ってもらった」
「お~」
「これが噂の」
「これでいつでも、ソラと連絡がとれる」
スマフォには、ふたりの自撮りが映っている。
「おお! ソラだ」
「なんか綺麗な異世界の服着てる」
「化粧してる」
「他に写真は?」
「スマフォ買った後、じゅらく? っていう上野で有名な洋食屋さんに入って」
画面に見慣れない料理が写る。
「これは?」
「オムライス」
「なにそれ?」
「ケチャップ? っていう調味料で炒めたお米に、ふわっとろの卵焼きが載ってるの」
「美味しそう」
別の料理の写真が写る。
「赤い麺料理?」
「ナポリタンっていって、茹でたパスタ? っていうのを、ケチャップで味付けした、この国ならではの料理なんだって」
「美味しかった?」
「お互いに、シェアして食べたんだけど、美味しかったよ」
「シェア?」
「ふたりで別々の料理を注文して、それを少しずつ分け合って食べることをいうんだって」
「ソラ、すっかり異世界になじんでるあ」
次の写真も、ソラとのトーショットだが、背景に看板が写っている。
「上野動物園?」
「異世界の動物を、飼育、展示しているところだって」
「弱いモンスターの、見世物小屋的なやつ?」
「う~ん、ちょっと違うかな」
上野動物園で展示している、様々な動物の写真が写し出される。
「これ、みーんな、普通の動物?」
「そう」
「モンスターはいない?」
「異世界には、いないって」
「あ!」
「どうしたの?」
「この動物、鋭い眼光で睨んでる。これ、モンスターでしょ?」
「これは、ハシビロコウ。大型の鳥です」
「へ~」
突然、写真の雰囲気が変わる。
見たこともない門に、大きな赤い筒状の物が吊されていて、そこに文字が書いてあるが、なんと書いてあるかはわからない。
「これは?」
浅草にある、雷門。
「浅草? 雷門?」
さらに写真は変わる。
はるかな空の上へ飛んで、大地を眺めているような、浮遊感がある。
「飛行機だっけ? 乗ったんだ」
「ちがいます。これは、東京スカイツリー」
「なにそれ?」
「高さが634メートルある電波塔。その展望台から撮りました」
ポカーンとする、シズクとカスミ。
黄昏れる東京は、眩しいほど光り輝いている。
「これが東京?」
「そう」
「新しい魔法ですか?」
「科学だって」
「科学?」
「私にもよくわからない」
日が暮れる。暗闇に浮かぶ東京の光景。
「これが異世界なんだね」
「そうだね」
布団を並べ、三人、川の字で寝る。
ツバサが、取扱説明書を見ながら、スマフォをコンセントにつなげる。
「なにしてるの?」
「充電」
「充電?」
「私もよく知らないけど、これをしないと、スマフォが動かなくなるんだって」
「いいな~。あたしもスマフォ欲しい」
「カスミがスマフォなんか買って、どうするのよ」
「ソラとLineする」
「それだけのために買うんじゃ、もったいない」
「電気消すよ」
「OK」
「おやすみなさい」
夜になると、さすがに寒い。
窓の外からは変わらず、蛙の合唱と、風の
時刻は午後6時を回ったが、日はまだ高く、暑い陽で街行く人を焦がしている。やがて雨ばかり降り注ぐ、梅雨がやってくるが、その気配は今のところ感じられない。
魔王とハルは、ルナと待ち合わせの場所にいた。
魔王は、普段通りの出で立ちだが、ハルは密かに、流行のコーデを決めているつもりである。ルナを交えた三人で飲み会。ルナに負けるわけにはいかない。
「おまたせしました」
ハルの前に現れたルナは、清楚系お嬢様コーデ。こ、これは…。
「ルナ。こうして街中で会うと、また趣がちがうな」
「魔王様、いかがですか? この服」
「良いんじゃないかな」
「本当ですか? 嬉しい」
「異世界の服については、よくわからないが、ルナに似合っていると思うぞ」
「この服、今日のために、
「それは、輝に感謝しないとな」
「はい」
やられた! 私より先に良コーデアピールを!
「マオ。私の服はいかがですか?」
「それじゃあ、お店へまいりましょう」
ルナは魔王の手を取って、歩き始めた。
呆気にとられるハル。同時に、沸々と怒りがこみ上げて来ていた。
「今日、ご招待するお店は、この国に現存する、最古のビアホールです」
「ビヤホール?」
「ビールを飲みながら、食事と歓談を楽しむ場所です」
「ほう。それは楽しみだ。」
店に入ると、高い天井に、柱の無い広い空間がひらける。
「まるで、魔界の店のようだな」
「お気に召しまして?」
「ああ。気に入った」
「それは、お店を紹介した甲斐があります。ここは、ビールもそうですが、料理も美味しいんですよ」
4人テーブル席に案内される。魔王が座ると、すかさず、その隣に座るハル。
勝った。ここは譲れない。
生ビールが配膳され、乾杯する。
「三人の再会を祝して、乾杯!」
「「乾杯!」」
ゴクゴクとジョッキのビールを喉に流し込む魔王。
「ふう、これは美味い」
「料理も美味しいですよ、なにになさいますか?」
「ルナにまかせるよ」
「かしこまりました」
主導権をルナに取られてる。なんとか挽回しないと。
料理が運ばれ、ビールが進む。
「そういえば、私より先に、勇者パーティに倒されたのは、ルナですよね」
「この三人の中でいえば、そうなりますね」
「まだレベルの低かったパーティに倒されるとは、ちょっと不甲斐ないじゃないんですかね?」
「そうですね。魔王様、申し訳ございませんでした」
「過ぎたことだ。気にするな。それに、余も、勇者に倒されたのだしな」
「今、転生した勇者と、ご一緒に住まわれているとか」
「この国で生まれたという証明がないと、家を借りられないからな」
「
「たんなる酔狂だ」
「そういえば、魔王様のVTuberですが、魔界の時とまったく違うお姿なのが気になりました」
「Live2D作成者に似顔絵を送ったら『この絵ではできません。もっと人間ぽくしてください』と言われてな、だったらお任せで人間ぽくしてくれと依頼したら、ああなった」
「そうなんですか。でも、やっぱり、私は魔界のお姿の方が好きでしたわ。もちろん、目の前にいらっしゃる人型の魔王様も素敵です」
「それは、ありがとう」
「軍師様は、そのままお変わりないですね」
「私は、軍師。容姿に知識知慮は関係ありませんから。ルナはたいぶ改変して、ひどく変わり果ててしまいましたね」
「異世界の姿を輝に描いてもらって、それを元に作成してもらいました」
「ルナのパートナーは、良い絵を描くじゃないか」
「はい。素敵な淑女に描いてもらいました」
「ゲーム配信? というのか。それが中心で、魔界のことはあまり話さないようだが」
「そうでもないですよ。ただ、魔界のことを深く話すと、グロテスクになりますから、控えてはいます」
「余はまったく控えてないがな」
「そこが人気ですから」
「ところでルナ。あなた、パートナーが既にいるのでしょう。魔王様や私とお酒など飲んでいて、望月さんはこころよく思わないんじゃない?」
「輝も承知のことです」
「望月さんは寛大ですね。私なら嫉妬してしまいます」
「むしろ、積極的に会いなさいと言われました。前世の盟友なのだからと」
まずい。すっかりルナのペースだ。何か、逆転できる妙手はないか? ダメだ。酔っていて思うように頭が回らない。
楽しそうに話す魔王様とルナ。なによ、私は無視ですか? どうせ私はダメ軍師ですよ。
パルサーのジョッキが、次々空になる。
「おい、パルサー。だいじょうぶか?」
「らいじょ~ぶれすよ~」
「だいじょうぶじゃなさそうだな」
「今日はここまでにしよう」
「そうですね」
夜になっても、暗くなることのない東京の街。
魔王はタクシーを停め、酔ったハルを乗せる。
「ルナ。また会おう」
「はい」
「今度は、パートナーも誘うと良い」
「ありがとうございます」
走り出すタクシーを見送るルナ。中では、酔いつぶれて魔王にうなだれるハル。健やかな笑顔を見て思う。
「愛い奴よの」
その言葉が、ハルに届いていたかどうかは、誰も知らない。
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