魔王様、ハルをお姫様抱っこする
獣道よりも広い、馬車が通れるほどの道が、山腹を蛇のようにうねりながら、登っている。その山道を、裸の女性三人が歩いている。
「ツバサ、速い。もっとゆっくる歩いて」
「おまえが遅いのだ、カスミ」
「ツバサの言うこともわかるが、少しはカスミの体力を気遣ってやれ」
「さすが賢者シズク。弱者の立場になってわかるお言葉」
「甘えていいとは言っていない」
「はーい」
夜は凍えるほど寒かったかが、日が当たると焼けるように暑い。
「それにしても、暑くなってきたね」
「ねえ、これ、どこまで歩けばいいの?」
「この道はあきらかに、人の手によって整備されたもの。道を上がれば人がいるはずです」
茂みで抱き合い、草を被って暖をり、一夜を明かした。夜が明けて、やっと見た世界は、自分たちが生きていた魔界と、似て非なる世界だった。植生がまったく異なるので、食べられる植物の判別つかない。魔物の襲撃に気を張っても、森から飛び立つのは、小さな鳥ばかり。スライムはおろか、ゴブリンの足跡すら見つからない。
このまま何もせずにいても埒が明かない。三人は、シズクの指示で山を登り始めた。ほどなく、人が通るように整備された道に出た。ここを進めば、人に会えるはずだ。
どのくらい歩いただろうか。1時間? 2時間? 確かなのは道が続いているということ。道の先には必ず、人はいる。
木々の隙。その遠くに家が見えた。
「家だ」
「家がある」
「見慣れない形だが、人の住む家のようだ」
三人の士気はあがり、自然と足が速くなる。
家の前に小さな畑があって、老婆がひとり、農作業をしている。
「人だ」
「人がいる」
「やったー!」
三人は老婆に歩み寄る。
「あれま。まっぱのおなごが三人来たわ。どうした?」
「助けてください」
「どうした? なんがあった? 警察呼ぶか?」
カスミは腰を抜かし、その場にへたり込んだ。
「う、うわああああん!」
嬉しさのあまり、泣き出した。
「泣くな、カスミ」
「だって嬉しいんだもん」
老婆はカスミを抱きしめた。
「体、冷たいなあ。風呂わかすから、体温めな」
三人は、湯気の立ち上る風呂に飛び込む。湯は、湯船からあふれて湯気に消える。三人は体の芯から温まる。
「気持ち良い~」
風呂の戸から声がする。
「孫の服を置いておくから、これを着な」
「ありがとうございます」
三人は、孫の服を着て、居間に来ると、ご飯と味噌汁、お新香と焼き鮭が用意されている。
「あんま豪華なもんは出せんが、お腹減ってるだろ。食べな」
初めて見る食べ物だ。
「食べてだいじょうぶかな?」
王宮の食事で毒殺されたのだ。食べ物に敏感になるのは、当然の反応だ。
カスミは、茶碗を手にとりご飯を口にかっこんだ。ふっくらと炊けた暖かなご飯が、カスミの喉を通る。
「美味しい!」
空腹には勝てない。三人は、出された料理をたいらげた。
腹が膨れた三人は、やっと、自分の置かれた状況を理解し始めた。
「おばあさん。親切にしていただき、真にありがとうございます」
「な~んに。困った時はお互い様じゃ」
「私たちは、魔王を倒した褒美として、王宮で豪華な食事を頂いていたのですが、その食事に毒が盛られていたらしく、気を失い、気がついたらここにいました」
「魔王を倒したのか。そりゃ大義じゃったねぇ」
「おばあさんは、疑わないのですか?」
「魔王だ異世界だ転生だと、孫に聞かされてるから、知ってるよう。あんたら、そうなんかい?」
「はい! たぶんそうです」
「ここはどこですか?」
「日本だよ」
「日本?」
「申し訳ございません。その名に覚えがないのですが」
「あんたら、外国人さんだろ」
「外国人?」
「髪の色とか、肌の色とか、目の色とか、この辺じゃ見ない感じだ」
どうしよう。意味がわからない。
「これから、どこに行くの?」
三人は、顔を見合わせ、途方に暮れる。
「行くあてがないなら、ここにいるか?」
「よろしいのですか?」
「農作業を手伝ってくれるなら、良いよ」
「是非、お願いします」
「そんじゃ明日、息子夫婦に会わせてやる。ちゃんと働いてな」
「「「はい」」」
三人は、居間に置かれたテレビを見た。そこに映し出された世界は、魔界とは異なる、異世界だった。
「あたし達、異世界に転生したのかな?」
「転生だなんて、非現実的だ」
「しかし、他に考えにくい」
「でもさ、肌とか髪とかスベスベだよね」
「戦いの傷跡はもとより、虫に食われた痕とか、植物にかぶれた痕とか、子供の頃に付けた怪我の痕とか、綺麗に治ってる」
「まるで産まれたての子みたいに、綺麗な肌」
「どういうこと?」
「わからない」
夕食をご馳走になり、居間に布団を敷いてもらった。三人は、暖かい布団の中で、深い眠りに落ちた。
ソラは、目を覚めるとそこに、黒ずんだ天井が見えた。
体を起こすと、ボロボロのタオルケットがずり落ち、胸の突起に引っかかって、ぽろっと落ちた。
ハルさんからもらったTシャツも、ホットパンツも、ボロボロで穴だらけにシミだらけ。それでも、雨風しのげて暖をとれる。食事も馳走になりっぱなしだ。さすがに、働いて生活費を入れなければなるまい。
「ハルさん」
「なんですか?」
ハルさんは、私と話す時、なぜかちょっとトゲのある言い方をする。
「ハルさんの仕事先を紹介していただけませんか?」
「働く気になったんだ」
「はい」
「そうね。それじゃあ、キャバクラでもやってみる?」
「いきなりキャバクラは大変だろう」
魔王コラプサー。佐藤マオは言う。
「コンビニなら、履歴書一枚あれば職に就ける。実際の業務は激務だが、異世界を知るにはちょうど良い」
「それじゃソラさん。私と同じコンビニで働いてみますか?」
「よろしくお願いします」
北千住駅から、ちょっと離れたコンビニで、ふたりは働き始めた。ソラのOJTにパルサーが付き、仕事を教える。もとより、器用なソラだ。教えられた手順はすぐに覚え、間違えず、完璧にこなす。クレーマーの対応も、魔界で培った話術で、言葉巧みに収める。
悔しいが、完璧だ。さすが元勇者。隙が無い。
仕事帰り。
「今日は、どうもありがとうございました」
「初めてにしては、良くできたと思いますよ」
「マオさんのおしゃっていたとおり、異世界の人間を観察できて、勉強になりました」
「それは良かったですね」
「お礼になにか買って帰りましょう」
ソラの目に、古めかしい酒屋が映った。
「マオさん、お酒は何がお好きでしょうか?」
「お酒?」
「はい」
「お酒は…、飲んだことありません」
「ホントですか? なぜですか?」
「魔界にいた時、飲む機会がなくて」
「なおさら、美味しいお酒を馳走したくなりました」
「酒は、初めて飲むな」
「なにかご事情がおありで?」
「勇者ソラに言うのは抵抗があったのだが、俺とハルは元魔物なんだ」
「そうだったんですか。もしかしたら、私が倒した魔物だったのかも」
「当たりだ」
「ご冗談を」
ぐい飲みに、純米大吟醸が注がれる。
「私も異世界のお酒には詳しくないので、店員さんのお勧めを買いました」
三人、ぐい飲みを持つ。
「お酒を飲む時、最初の一杯目は、お互いの椀を軽く当てて、乾杯と言うのが作法ですよ」
三人は、ぐい飲みを軽く当てて、
「「「乾杯」」」
そして、日本酒で喉を潤した。
「うまい」
「美味しい」
「美味しいですね」
「マオさん、椀が空いてますよ」
ソラがお酒を注ぐ。
「ありがとう」
肴をつまみながら、ぐい飲みを口に運ぶ。
「魔界では魔族だったのですね」
「勇者ソラから見たら、憎むべき仇のような存在だろう」
「魔族から見たら、私こそ、憎むべき仇のような存在でしょう」
「止めよう。ここは異世界。敵も味方もない。今は杯を交わすだけの仲だ」
「そうですね」
親しげに話すふたりを、怪訝な目で見ている人がいる。
パルサーは、ひとり手酌で、酒を飲み続けた。
顔に笑みを浮かべ、楽し気に勇者ソラと話す、魔王コラプサー様。あなた、目の前の勇者に切り殺されたんですよ? どうしてそんなに笑顔なの? 悲しくないの? 憎くないの? 私は憎い。実際に会うのは、今回が初めてだけど、無駄に良いスタイルしやがって。その身体で、何人の男をたぶらかしてきたの?
グイっと、盃を空けて、一升瓶の口をあてがい、再び盃を一杯にする。酒は表面張力で、かろうじてこぼれない。あと、一滴注いだだけで溢れてしまう。その盃を、一滴の酒をこぼすことなく口元に運んで、グイっと飲む。
「ふー」
魔王様。私がずっと、お慕いしていたこと、知ってましたか? 知らないでしょうね。色恋沙汰にはまったく興味なかったですものね。四天王が一人、ルナもあなたに恋してました。あなたのVTuber配信を1回目から見ていたんです。気が付いたでしょ? 気が付かないか。魔王様。あなた鈍感ですから。でも、ルナに恋人ができて良かった。恋敵が一人消えたのだから。だいたい私は、ルナのこと嫌いだったのよ。なにかにつけて、魔王様にすり寄って、関心を引こうとして。
私を殺した勇者の仲間、騎士ツバサ、賢者シズク、魔法使いカスミ。あの三人はどうしたのかしら? 勇者と同じ卓で、同じ食事をしていたのだから、殺されたのだろう。良い気味。まさか、異世界に転生してはいないと思うけど、もし、転生していたら、私が殺してあげる。
「ハルさん、酔い潰れちゃいましたね」
「酒というのを初めて飲んだが、気分が良くなる」
「マオさんも、気分、良いですか?」
「ああ」
「良かった。お礼したかいがあります」
「お礼?」
「私を助けてくれたうえ、住みかの提供や仕事を斡旋してくれたことへのお礼です」
「それはどうもありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます」
「かつて、殺し合っていた間柄が、今、こうして協力しあっている」
「異世界って不思議ですね」
「ああ」
「魔物がいない」
「人が世界を治めている」
「電気、ガス、水道、携帯電話。科学というらしいけど、魔法と区別が付きません」
「肝心の魔法は無いがな」
「その点は不便ですね」
「マオ、様…。ムニャムニャ…」
布団を敷いてくる。そう言って、魔王は襖の向こうに消えた。
気持ち良さそうに寝ているハルを見て、ソラは思う。
大好きなんだね。マオさんのこと。私にも仲間がいた。苦楽を共にし、魔王討伐に邁進し、魔王を倒した。人のためと思って生きてきた結果、その人によって殺された。仲間も多分、助からなかっただろう。
私のしてきたことは、いったいなんだったのだろうか。
襖が開き、魔王が戻ってくる。魔王は、パルサーを抱きかかえて、再び隣の部屋に消える。
マオさんは転生前、どんな魔物だったのだろう。私が殺したのだろうか。私の仲間が殺したのだろうか。それとも、全く別の人によって?
それを知ったところで、どうなるというのだろう。私たち人が、魔物を殺していたのは事実だ。正義だと信じていたから。その正義は人によって破られた。私は、人によって治められている異世界に転生した。神は私に、どうしろというのだろう。
大きな腕が私を包むと、一気に天へ投げられるような浮遊感があった。まるで空を飛ぶようで気持ち良い。
うっすら目を開けるとそこには、魔王様の厚い胸板と、凛々しい輪郭が、雲の向こうに見えた。
風船が、落ちると風に吹かれて浮き上がり、落ちては浮き上がる。ぽんぽんと、腕の中でふわふわ浮かぶ。そんな感覚。ああ、ここが天国なのだと思った。
この天国が、永遠に続いて欲しいと願いながら、目を閉じた。
布団にパルサーを寝かせる。
パルサーがぽそりと言う。
「魔王様、大好きです」
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