魔王様、勇者を助ける
王宮の大食堂で、魔王打倒を記念したパーティが開かれようとしていた。
食堂は、隙間無く並べられた松明で皓々とし、テーブルには純白のクロスが敷かれている。クロスの上には、大皿に盛られた肉や魚、七食のサラダが並び、グラスにはワインが注がれている。
テーブルの主賓席に、勇者ソラ、騎士ツバサ、賢者シズク、魔法使いカスミの四人が座っている。
王が四人にねぎらいの言葉を掛ける。
「よくぞ魔王を倒した。これで世界に平和が訪れた。心から感謝する。今宵は、勇者一行を晩餐にてもてなそう。さあ、存分に堪能してくれ」
勇者一行は、絢爛豪華な料理を口に運び、ワインで喉を潤した。
宴は進む。
異変は、ソラがトイレに立とうとイスを引いた時にあらわれた。イスを引き、立とうとした瞬間、その場に倒れた。
なに? 足に力が入らない。腕が痺れてる。目がかすむ。息が苦しい。心臓が痛い。
「こ、これは」
他の仲間も、次々と倒れてゆく。
王が静かに言う。
「魔王を倒すほど強大な力を持った者がいては、国家存亡にかかわるのでな。悪く思わないでくれ」
「食べ物に…、毒を、ハアハア。盛ったのか。解毒の魔法を…」
しかし、苦しさの中、目がくらみ、勇者は闇の中に落ちた。
深い闇の中へ落ちてゆく。これが死というものなのか。突然、水に叩きつけられる感覚があった。そして、ほの暗い水の中へ落ちて行く感覚。
うっすら目をあけると、水面の遠くから、大きな人の影が近づいてくるように見えた。大きく力強い身体に、抱かれたような感じがして、気を失った。
目が覚めた。
うっすらと目に映ずる光景は、自分が知っている範囲の外で、ああ、ここが天国なんだと、なんとなく思った。身を起こすと体は軽く、痛みもない。これが天国である証左なのだろう。
扉が開くと、小柄な女性がいた。
女性は驚き、人を呼びに離れた。代わりに、大柄な男性が、部屋に入り、私の隣に座った。
「だいじょうぶか?」
「はい」
「ここは安全だ。気をゆるして良い」
「はい」
「まず、身を清めるがいい。その間に、食事を用意しよう」
男性は、立ち去っていった。
女性は、怪訝な顔で私を浴室に案内してくれた。しかし、見慣れない浴室だ。私がうろたえていると、水や湯の出し方。石けんやシャンプーの使い方を教えてくれた。取っ手をひねるだけでお湯が出る。シャンプーを髪になじませるだけで、頭が軽くなる。石けんを泡立てるだけで肌がなめらかになる。そして、花のような良い香りに包まれる。
浴室の外に、体を拭くための布があった。私の知る布より、大きく柔らかだ。衣服も用意されていた。それらからも、花のように良い香りがただよってくる。
やはり、ここが天国なのだろう。
前夜。
魔王コラプサーは、荒川に落ちた人を救い出した。その人を見て、軍師パルサーは言う。
「魔王様。この女、勇者ソラです」
「そのようだな」
「いかがいたしましょう?」
「捨て置く訳にもいくまい」
「助けるのですか?」
「うむ」
「しかし、この人間は、魔王様を殺した本人です」
「そうだな」
「その人間を助けるのですかっ!?」
「同じ異世界に転生した縁だ」
魔王はソラを抱き上げる。
「私は反対です」
「なぜ?」
「殺された憤怒がないのですか?」
「そもそも、こやつのことをよく知らん。襲いかかってきたから、対峙した。結果、余が負けた。それだけのことだ」
「しかし、魔王様を殺したのですよ」
「最期の一太刀に、余は満足している」
「仇敵に情けをかけるとは、嘆かわしい」
「まあ、良いではないか。互いに異世界へ転生した仲だ」
「私は反対です」
部屋に戻ると、テーブルに食事が用意されていた。先ほどの男性と、女性が座っている。
「慣れないかも知れないが、この国では、床に直接、座る」
ソラは、床に座ってみたが、足の置き所が難しい。
「余…、俺のように足を組むと楽だぞ」
ソラは、男性に習って、足を組んだ。
テーブルには、見慣れない食器が並ぶ。扱い方がわからない。
「俺のマネをしてみよ。箸はこうのように持つのだぞ」
もとより器用なソラだ。箸の持ち方ぐらい、一見するだけで扱えるようになる。しかし、食欲はなく、箸の先にご飯をつまんで、そのまま碗に戻した。
「食べないのか?」
「食欲がありません」
「そうか。なら、本題に入ろう。あんた、勇者ソラだろ?」
瞬時に後ろへ跳び、敵に対する守りの構えをとる。
「落ち着け。俺らはあんたの敵じゃない」
テーブルでは、隙だらけの男女が食事をしている。斬りかかれば致命の間だ。武器を持っている様子はない。魔法を唱える構えでもない。なにより、口に物を含みながら呪文が唱えられるか。なんだ、この人は。
「ここは、異世界だ」
「異世界?」
「魔界とは違う世界。という意味だ」
「…」
「訳がわからないのはよくわかる。俺たちも魔界から異世界に転生してきたからな」
「転生?」
「異世界に生まれ変わることをいうらしい」
訳がわからない。
「腹が減ってるだろう。まず、飯を食ったらどうだ」
「いらないわ」
「なぜ?」
勇者は答えない。あたりまえだ。目が覚める直前まで、毒に苦しみあぐねいていたのだから。
「それならまず、異世界を見せよう」
勇者ソラの眼前に、驚くべき光景が広がっていた。
見たこともない建物が、クリスタルの様にそびえ、建ち並び、異形の服を着た人が
茫然自失としているソラに、魔王は優しく声をかけた。
「異世界に、剣も魔法もない。魔族と人間の争いもない。あるのは、騒がしい人間の営みだけだ」
家に帰ってもなお、茫然自失としている勇者ソラ。
「だから私は反対したのです」
「そうは言っても、放っておくわけにはいかんだろう」
「異世界に馴染めず、そのまま死ねば良かったのに」
「塩対応だな」
「あたりまえです。魔界では天敵だったのですから」
ソラがおもむろに話し出す。
「この世界で生きてゆくには、どうしたらいいのでしょう?」
「まず、住む場所が必要だ」
「家のことですか?」
「そうだ」
「どこへ行けば借りられるのですか?」
「残念だが、この国に生きている証明書がないと、家は借りられない。戸籍という」
「戸籍がない…。それでは、私は家を借りられない」
「残念だが」
「困りました」
「なんなら、ここに住むか?」
「良いのですか?」
パルサーが話に割って入る。
「ちょっと魔王…」
「魔王?」
「ま、ま、まお。それはちょっとダメです」
「なぜだ? 部屋に空きはある」
「そういう意味ではなくて」
「そういえば、おふたりのお名前をお伺いしていませんでした」
「俺の名前は、えーと、その、佐藤マオという」
「そちらの方は」
「佐藤ハルといいます」
「同じ、佐藤姓ということは」
「はい。夫婦です」
「おい! パルサ…、ハル」
「お世話になります。佐藤マオさん。佐藤ハルさん」
「よろしく」
パルサーは、ふて腐れている。
「でも、ご夫婦の家におじゃまして、よろしいのでしょうか」
「なんの問題も無い」
パルサーは、魔王の尻を思いっきり
「痛い!」
「どうかされました?」
「いや、なんでもない」
「ところで、どうして私のことを、ソラとわかったのですか?」
「魔界で、勇者ソラを知らぬ者などおらんだろう」
「恐れ入ります」
「勇者ソラ殿には、この家の2階をお貸ししよう」
「ありがとうございます」
ひとつ屋根の下、魔王コラプサー、勇者ソラ、軍師コラプサーの共同生活が始まった。
勇者が転生してきた同じ頃、どこかの山中に、三人の女性が、魔界から転生してきた。
光の中から、ひとりの女性が
「痛い!」
「う、う~ん」
「ここはどこ?」
「痛いって言ってるの! はやくどいて!」
三人は勇者パーティのメンバーだ。
騎士ツバサは20歳。175センチのショート。豊満である。
賢者シズクは30歳。168センチで腰まであるロング。豊満である。
魔法使いカスミは14歳。140センチでツインテール。胸は成長中だ。
「痛!」
「もうどいたわよ」
「ちがう。なんか草? が刺さる」
「そういえば、刺さるね」
「真っ暗だ」
「なにも見えない」
「とりあえず、ここから出ましょう」
三人は、茂みから出て、辺りを見回した。
「森みたいね」
「星が見える」
「ねえ、ソラは?」
「そういえば、ソラがいない」
「お~い!」
声は山の深淵に吸い込まれ、返ってこない。
「おーい!」
「ソラー!」
返事はない。
「ソラ、どうしたのかな?」
「心配」
「ソラは後で探しましょう。まず、火をおこします」
シズクは、火の呪文を唱えた。しかし、火は出ない。
「おかしい」
カスミは、火の呪文を唱えた。しかし、火は出ない。
「魔法力が切れた?」
「ちがう。魔法の力を感じない」
「そんなバカな」
「おかしいわ」
片っ端から覚えている呪文を唱えたが、魔法は出ない。そもそも、魔法の力を感じない。
「ちょっと待って。私たち、裸」
「ホントだ、服着てない」
「寒い」
「こまった。裸のうえ火も起こせない」
「三人、抱き合って暖をとろう」
「いやらしい」
「でも、他に方法がない」
三人は、茂みの中に戻り、草の枝を折って体にかぶせ、肌を寄せ合って寝た。幸い、風はない。
三人は思う。ここはどこ?
東の空が、うっすらと明るくなる。シズクが目を覚ます。
「起きて。夜が明けるわ」
他のふたりも目を覚ます。
「寒い」
「お腹減った」
「このまま寝てても、じり貧。歩きましょう」
行くあてはないが、じっとしていたら寒いだけ。山の上に向かって歩き出した。
山の稜線の向こうから、日が昇る。日は暖かく、冷えた体に染みた。辺りが明るくなるにつれ、自分たちの置かれた状況があきらかになる。初めて見る植物。初めて見る地形。
「ねえ、ここどこ?」
「わからない」
「ここはどこなのー!」
カスミの声が、遠く山の奥にこだまする。
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