第51話 アステレード大公爵家 出発




 一時間後、アナスタシアは夕食の席に着いていた。


 背の高い金色のキャンドルスタンドは輝かしく、晩餐を彩る白い花弁は立派な花器に飾られている。

 光沢のある上品なテーブルクロスは、シルクのように滑らかな肌触りだ。


 案内された客室といい食堂といい、大公爵家の威厳を保ちながらも決して偉ぶったり財力を誇示しない内装は、主人の品格がありありと窺えるものだった。


(テーブルの小物が、精霊みたいにきらきらしてる)


 客人として最大限のもてなしを受けるアナスタシアは、慣れない空間に圧倒されてしまう。

 けれど、ベルベット大公とディートヘルムと一緒にする食事は、思いのほか楽しく、あっという間に過ぎていった。

 ちなみに、バーンは魔法師団の宿舎で酒盛りに参加しているらしい。


 デザートには桃のパイが運ばれた。

 ゆっくりと頬張っていると、そのうち学園の話になる。


「では、明後日ここを発つのだな」

「ええ。その方がシアも早く新入生として馴染めるかと」


 帝国立魔法学園はクロムウェル学園都市の中心部にあり、入学式は三週間前に終えていた。

 本来、今年十七になるアナスタシアは2学生へ編入するところなのだが、一度も学び舎に通ったことがない状態では不安要素も多いからと、1学生として在籍することが決まっていた。


「それで、専科は――」

「はい、魔法杖職人学科です」


 魔法杖職人としての資質が十分にあるアナスタシアの選択はもちろん決まっていた。

 魔法師や治癒師に比べて希少な魔法杖職人は、よほどのことがない限りありがたがられ歓迎される。そして本来なら編入試験を受けるところも、ディートヘルムの推薦ということで試験は全面的に免除されていた。


「学園は多くの人間、血統、思想が集う場だ。アトリエに属するのならばより親密になる者も増えていくだろう。どうか君が、心をあずけられる真の友を得られることを祈っているよ」

「ありがとうございます、ベルベット様」


 ベルベット大公の凛々しくも慈しみ深い笑みに、ほっと心がほぐれていく。

 その安堵感は、アナスタシアがディートヘルムに寄せる感情に近しいものがあった。


(ルムがあれだけ慕っている理由がわかった気がする)


 尊敬すべき養母だと語っていたディートヘルムの言うとおり、この短い時間の中でもベルベット大公の言動には目を見張るものがある。


(それに……)


 ベルベット大公の周囲には、精霊の輝きが見える。

 道筋で繋がっているものもそうでないものも、ベルベット大公を好いているのがよく伝わってきた。



 ***



「ルル、ほら見て。ここがアステレード大公爵家のお庭だよ」


 和やかに終わった夕食後。一度客室に戻ったアナスタシアは、装飾箱に収まるルル(卵)を連れて夜の庭園を散歩していた。

 大公爵家にある庭園のうちの一つであるこの場所は、魔法照明具が歩道を照らすように並べられ美しく彩られている。


 おそらく客人を招いた際の鑑賞場所でもあるのだろう。噴水や東屋ガゼボ、オブジェに至るまで芸術性に溢れており、アナスタシアの目を楽しませてくれていた。


「ついにアステレード領まで来ちゃったね。明後日にはクロムウェル学園都市に出発だし。……ふふ、なんだろう。ずっと緊張はしているけど、つい口元がゆるんで。やっぱり楽しみな気持ちが勝ってるのかな」


 近くのベンチに座ったアナスタシアは、夜空を見上げて無数の星を目に焼き付けた。

 

「ごきげんよう。夜の散歩かい?」


 足音が近づいてきて、声をかけられた。

 右側の鑑賞路から歩いてきたのは、ベルベット大公である。


「大公様。はい、少し夜風にあたっていました」

「そうだったか。ああ、立ち上がらなくとも、そのままで構わないよ」


 急いで立ち上がろうとすると、ベルベット大公はやんわりと制した。それから「少し邪魔してもいいかい」と尋ねられ、アナスタシアは恐縮しつつも承諾する。


「庭園は気に入ってくれたかな」

「はい。とても綺麗です」

「よかった、あとで庭師に伝えておこう」


 ふふ、と機嫌よく微笑んだベルベット大公は、アナスタシアと同じように視線を前に向けた。

 軍服を脱いでいるからだろうか。

 結った髪をほどいて横に流し、服装が寝衣に変わっているベルベット大公は、見違えて女性らしく感じた。


「ところでそれは、神獣の卵か?」


 ベルベット大公は膝に置かれた装飾箱に目を向ける。


「はい。一緒に庭園を見ていて」

「ディートヘルムから話は聞いていたよ。白きドラゴンから授かったものだと。卵に……クリスタシアの子が宿っていることも」

「そうだったのですね」

「もちろん、口外するつもりはない。ディートヘルムから聞いていると思うが、私は君の意思を尊重する。どうか安心してほしい」


 真摯に告げるベルベット大公に何度目かわからない礼を告げた。

 そして、アナスタシアはふと気になってベルベット大公に尋ねる。


「もしかして、ベルベット様は……母と面識が?」


 ベルベット大公は、驚いたように少し目を見開くと、ゆっくりうなずいた。


「よく、わかったな。もう随分昔の話だがね、クリスタシアとは二十年ほど前にこの領地で会ったことがある」

「二十年前、というと……」

「そう、浄化の旅の最中だ。当時はアステレード領も穢れの影響を受け、錯乱した領民同士の争いが絶えなかった。それを浄化し鎮静したのがクリスタシアだった」


 そんな繋がりがあったのかと、アナスタシアは驚いた。


「宿代わりに一行をこの屋敷に招いた。昔とはかなり景色も変わってしまったが、クリスタシアもこの庭園を綺麗だと言っていたよ」

「お母様が、ここに」


 母と同じ空間にいま自分がいること。それがアナスタシアは嬉しかった。


「クリスタシアは好奇心旺盛で、あれはなんの花だとか、この建造物はどんな意味があるのかとか、とにかく疑問が尽きない性格でね。特にアステレード領地に伝わる古語に興味を示していた」

「領地に伝わる古語、ですか?」


 それは自分も気になると、身を前に乗り出すようにベルベット大公を見上げる。

 その様子にベルベット大公はクスッと笑って話を続けた。


「元々この領地は帝国に吸収される前、多数の民族が集い出来上がった土地でね。その名残りで多くの言葉がいまも伝わっているんだ。たとえば、君にはこの精霊たちが見えているか?」


 ベルベット大公と道筋で繋がった複数の精霊。その橙色の光に手を伸ばし、ベルベット大公はそっと触れる。


「ベルベット様も、親交力が?」

「あるにはあるが、私の場合は自分に聖愛をくれる精霊だけだ。ディートヘルムのように多くを目視はできない。しかし、君には存在するすべての精霊を見ることができるんだろう?」

「はい」

「クリスタシアもそうだった。そして、精霊を深く愛していた。自身に寄り添う小さな光。古語の中でも彼女が特に気に入っていた言葉が――」


 アナスタシアは息を呑む。

 ベルベット大公が伝えようとしている古語が、わかる気がしたから。


(異国の古い言葉、小さな光)


「ルルーシュ、ルルーシェ」


 アナスタシアがつぶやくと、ベルベット大公の声が途切れる。

 おそらく正解だったのだろう。

 男性名でルルーシュ、女性名でルルーシェ。どちらも意味は同じく「小さな光」であると教えてくれたのは、クリスタシアである。


「よく、知っていたね。領民でも覚えている者のほうが少ないんだが」

「この言葉だけは知っていました。幼い頃にお母様が教えてくれた言葉だったんです」

「クリスタシアが……?」

「はい。大切な友人から教えてもらった、お気に入りの言葉だと」

「彼女が、そんなことを」


 戸惑いをはらんだ声を聞きながら、アナスタシアは蓋が開いた装飾箱を持ってベルベット大公に見せる。


「この子の名前、ルルというんです。お母様のお腹の中にいるときは、性別がまだわからなくて。人として産まれてくることはなかったけれど、ルルーシュとルルーシェ、どちらでも大丈夫なようにルルと名付けました」

「……。少し、触れてもいいかい」

「もちろんです。きっとルルも喜びます」


 ベルベット大公は恐る恐る、聖獣の卵に触れる。

 表面を優しく撫でるようにしたベルベット大公は、目を強くすぼめた。

 まるでその仕草が涙を堪えているように見えた気がして、アナスタシアは庭園のほうに視線をそむける。


「……十年前のクリスタシアの訃報は、この帝国全土に届いていた。だが、私は立場上、個人的な感情で動くことを制限されていた。十年前は特に。いくら諸外国に名が通っていても、身一つで恩人の娘に会うことができない」

「ベルベット様……」

「そんな人間がクリスタシアの友人と名乗っていいのかわからないが…………こうして友人の子供たちに会えたことが、本当に嬉しく思う」


 その発言からアナスタシアは、ベルベット大公がひどく後悔の念を抱いているのだと知った。

 こうして過ごした上で、なぜベルベット大公が自ら港町までアナスタシアたちを迎えに来たのか、理由がわかった気がする。


「こちらこそ、ベルベット様にお会いできて、嬉しかったです。お母様の大切なご友人として、そしてルムの尊敬する養母様としても」


 アナスタシアは、ベルベット大公と静かに笑いあった。

 優しく流れた時間は、まるで生前の母と過ごした時を彷彿とさせるように、穏やかなものだった。


 そして、二日後の早朝。

 ベルベット大公に見送られながら、アナスタシアたちはアステレード大公爵家を出立した。

 



 ***



「そろそろ帰ってくるそうだ、我らが主様がさ」


 学園棟の一室で、複数の人影が蝋燭の炎に当てられ揺れていた。

 声を出した青年は、手に握った開封済みの便箋をぱたぱたと周囲に見せつける。


「一人、新入生を連れてくると書いてある。専攻は魔法職人学科。どんな人間が来るのか、いまから楽しみだな」


 そう言って、青年は便箋を暖炉の中に放る。

 ぱちぱちと音が響き、あっという間に炎に焼かれていく。



「ラクトリシア出身、ね。と言っても、四季テゾンの木、工房、子ども――まあ、そう簡単に見つかるわきゃないか」


 

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魔法杖職人のすごしかた【二章開始】 @natsumino0805

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