第48話 船出
その日の夜。
アナスタシアは用意された宿の部屋の中でぼんやりと考え事をしていた。
早朝には帝国の魔法船に乗船するため早く寝なければいけない。しかしなかなか寝付けず、窓際の椅子に腰掛けて外を眺めていた。
すぐ目の前には暗闇がかかった大海原がある。昼間の太陽に反射して輝く海面も見物だったが、夜はどこか禍々しい雰囲気があって少し怖いけれどいつ見ても退屈しない。
窓を閉めていても聞こえてくる波音に耳をすませていれば、膝に白きドラゴンが軽やかに乗ってきた。
『眠れないか?』
「はい、少し」
明日には長年の時を過ごしたラクトリシアを出国する。ふわふわとしていたことが明確に現実味を帯び初め、今さらになってアナスタシアは多少の戸惑いのようなものも覚えていた。
恐怖や不安はない。ただ、なんとなく感慨深い気持ちになる。
『……随分とあの小僧を信頼しているな』
白きドラゴンの言葉を聞き、アナスタシアは視線を膝に落とした。
「ルムのことですか?」
『ああ。道中共にして感じたが、あの年頃とは思えないほど出来上がった人間だ。加えて精霊にも好かれているときた。お前が信頼を寄せるのも頷ける』
白きドラゴンの口からディートヘルムの褒め言葉が発せられ、共感するようにアナスタシアは何度も首を縦に動かした。
その様子を見ていた白きドラゴンは、一度言葉を止めたあとで、ぼそっと呟く。
『――だが、あれほど底を隠した人間もそうはいないだろう』
「え?」
なんと言ったのか聞き取れず、アナスタシアは聞き返した。
『いいや。お前にもクリスタシアのように、念話の力を授けるのはどうかと考えていた。聖獣の卵についても、それ以外に関しても。何か困ったことがあれば我の意識と繋げるといい』
白きドラゴンは両翼を動かして膝から離れると、アナスタシアの額に一息吹きかける。
頭からつま先に広がるように温かい心地に包まれたかと思うと、白きドラゴンは『試してみろ』とさっそく念話の扱い方をアナスタシアに教え始めた。
結局、念話講座のあとも眠気がやってこなかったアナスタシアは、白きドラゴンから聖女の魔法杖が見せた記憶についての詳細をベッドで寝転がりながら耳にしていた。
『古来より物には意志が宿る、という考えや価値観がどこかの国に生まれては言い伝えられていた。なぜ意志が宿るのか、そこには魔力が深く関係している』
大なり小なりすべての生き物、物質には魔力が流れ、世界中に溶け込むようにあり続けた。
そして魔法を出現させるための媒体となる魔法杖には魔力の名残りが溜まりやすく、使用者の傍らで役目を全うするうちに"心"と表現して遜色ない意志が宿り始める。
『また、精霊は魔力と最も身近にある存在だ。時間の概念はなく、消滅するまで世界に、魔力の中に漂い続ける。そして彼らの力を借りることにより魔力に留まる記憶の再現が可能となる。アナスタシアが式典の間で起こした現象は、魔法杖の意志と、精霊の力と、それらを享受できるお前にしか出来ない特別な
「御業……」
次第に意識がぼんやりとする。ようやく眠気がやってきて、白きドラゴンの声が子守唄のように耳に響く。
『うまく扱えば魔法杖を通して欲する記憶を引き出すことも可能となるだろう。十年前であろうが、百年前であろうが。魔法杖は常に時代の流れ共にあり続けた代物なのだから』
「……そう、なの」
『おお、ようやく眠れそうか。――なに、今はまだ、深く考えることはない。お前の新たな門出に野暮なことは言わないさ』
***
次の日の早朝。
水平線に朝日の光が溶け込む神秘的な光景を、アナスタシアは甲板に出て眺めていた。
(綺麗な朝焼け)
まもなく出航時刻。静かにその時を待っていると、帝国使節団との話を終わらせたディートヘルムがアナスタシアの隣にやってくる。
「シア、あと五分で出港できるそうだ」
「うん、わかった。……いよいよ海を渡るんだね」
「さすがに緊張してるか?」
「してるけど……でも、それだけじゃないよ」
「そうか。うん、そうだったな」
にこりと笑ったアナスタシアに、ディートヘルムは気持ちを理解したように優しい顔をする。
予定通りにいけば魔法船で二日後にアステレード領のセザール港に到着する。そこでまずアステレード大公爵家本邸に立ち寄ったあとで、クロムウェル学院都市に向かうというのがアナスタシアたちの旅の予定だった。
帝国で開発改造が施された魔法船は、魔光石を燃料とすることで飛躍的な航海の短縮ができる。二日でセザール港に行けるのも、日々進化を遂げる帝国の魔法船だからこそ為せることだった。
『では、またな』
時間と聞いて、アナスタシアのローブの内側に隠れていた白きドラゴンが動き出す。
「シロ殿、もう行かれるのですか」
『人の世に長居するわけにもいかないからな。大切なことは昨夜のうちにアナスタシアに伝えている。何かあれば、いつでも我を呼べともだ』
小さく羽ばたき手すりに脚をかけた白きドラゴンは、瞳をほんのり細めながらディートヘルムを一瞥した。
一人と一匹に、一瞬の間が生まれる。
しかしすぐにディートヘルムは口を開いた。
「それは、頼もしい友人ができたんだな」
ディートヘルムは何事もないように笑う。白きドラゴンも何を言うでもなく、アナスタシアに別れを告げた。
『ではな。クリスタシアの子、我の友、アナスタシア。お前が出会うであろう新たな世界に祝福があらんことを。精霊と共に見守っているぞ』
「色々ありがとうございます、シロちゃん」
アナスタシアが満面の笑みを浮かべると、白きドラゴンは満足そうに頷いた。
『うむ、いい顔をしている』
優しい言葉を添えて飛び立つ白きドラゴンの羽ばたきは、朝の光に透けるように消えていった。
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