二章 帝国立魔法学園・ワケあり一年生ズ編

第47話 見るもの全てがキラキラと


二章です!

よろしくお願いします!


5話ぐらいまで導入部、そのあと本格的に学園編入になります。


―― ―― ―― ―― ―― ――




 どこからかすすり泣く声が聞こえた。

 微睡みの中でふわふわと頭に響く音は、こちらに呼びかけているかのような不思議な心地がする。


 それはどこか既視感を覚えるものだった。



(……いつの間にか、寝ていたみたい)


 ぱちりと目を開けたアナスタシアは、ぼやける視界を徐々に慣らしていく。寄りかかっていた馬車の小窓から首を持ち上げると、反対側には同じく腰を下ろしたディートヘルムがいた。

 

 なんとなく彼の様子を密かに観察する。

 アナスタシアを気遣ってか、ディートヘルムは自身の長い脚を組むことで間にゆとりを作ってくれていた。その視線はずっと外に投げられており、時々カーテンの隙間から入る陽の光で銀色の瞳が反射した。


 王都アッシェンデでは目立つからと魔法薬によって変えていた髪色も、今は本来の銀色混じりの黒に戻っている。

 港町ラクアまで馬を進めて三日が経ち、アナスタシアはようやくディートヘルムの本来の色にも慣れてきた。


 とはいえ、港町ラクアに到着して帝国に入るまでは、また茶色髪に戻すという話なのだが。


「…………ん。起きたのか?」


 つい、と。ディートヘルムの柔らかな視線だけがこちらを向く。

 彼の横顔を盗み見ていたアナスタシアは、なんだか少しバツが悪い心地になった。

 それはおそらく、外の景色を眺めているだけに見えたディートヘルムが、思い詰めたような顔をしていると感じたからかもしれない。


「ごめんね、途中から寝ちゃって」

「謝ることないさ。長時間移動するのは今回が初めてなんだろう? 休めるときに休まないと、体を壊してしまうからな」

「だけどルムは……ずっと起きていない?」

「俺は問題ない。人より数倍丈夫だから。まあ、俺よりもさらに丈夫なバーンはこのとおりぐっすりだが」


 ディートヘルムは揶揄いながら隣で寝息を立てているバーンを見た。


「……バーンは、ルムの護衛なんだよね?」

「そうそう、護衛。いまはこんなだが、いざって時には頼りになるから心配いらない。危険を嗅ぎ分ける鼻もいいからな」


 王都アッシェンデと南方の港町ラクアを繋ぐ陸路は、何十年も前に完遂された土地整備によって行き来が楽になった。

 馬車の中もそれほど揺れず、初めて王都外を出たアナスタシアにはかなり優しい旅路である。


 魔物や魔獣の生息区域からも外れているため、道中それは穏やかなものだった。

 もしかすると、白きドラゴンの気配によって一匹足りとも近寄ってこないのかもしれないが。


(それにしても……昨日泊まった宿も綺麗だったなぁ。ルムは本当に旅慣れしてるんだ)


 改めて宿の店主とのやり取りなどを思い出し、そうなんだと実感する。


 ラクトリシア王国滞在中の彼の肩書きは、帝国大使ディートヘルム・エクトル・アステレードだった。

 アステレードはゼナンクロム帝国内に君臨する大公爵家の姓であり、つまりディートヘルムの立場も相当なものである。

 そんな人間が護衛を一人引き連れるだけで国外を渡り歩いていることに、アナスタシアは尊敬の念を覚えていた。


(私が知らない世界を、ルムはたくさん知っている。私もこれからたくさんのことを知っていきたい)


 内心意気込んでいると、ディートヘルムはカーテンを端に寄せ、外の空気を取り込むように小窓を開いた。


「シア。あれが、港町ラクアだ」


 そう促され窓枠に両手を添えながら確認すると、見たこともない青い景色が広がっていた。




 ***



 どこか趣きを感じられる風景。

 空からは熱い光が照りつけて、所狭しと並んだカラフルな建物をより彩りよく映していた。


 すんと嗅ぐと香ってくる不思議な匂い。視界いっぱいにどこまでも続く大海原から流れ込んでくる潮風が肌に触れれば、アナスタシアの高揚感はさらに高まった。


「これが、海……!」


 遠くからでも水面が揺れてキラキラと輝いているのがわかる。

 それと同じくらいアナスタシアの瞳は子どものような無邪気さに溢れ、堪らず隣に立つディートヘルムに声をかけた。


「すごい、ルム! 海って、こんなに広くて大きいんだね!」

「ああ、本当にな。とんでもなく広い」


 さっそく魔法薬で髪色を変えたディートヘルムは茶色の髪を潮風に靡かせ、くすっと笑って返答する。


「あの鳥はなんだろう? 猫みたいに鳴いているけど、初めて見る……!」

「あれはカモメだな」

「カモメ……知ってる! 本で読んだことがあるっ」


 馬車を降りておよそ三十歩圏内。アナスタシアの興奮は収まるところを知らず、声音は常に弾んでいた。

 

 一応まだラクトリシア王国内ということで公に顔は晒さずフードを目深く被ってはいるのだが、あっちこっちへ視線が忙しなく動くので今にも取れてしまいそうだ。


(……あ、私ったら、まただ)


 空を自由に飛び回るカモメを見上げていたアナスタシアは、ハッとしてその場に立ち止まった。


「シア、どうかしたのか?」

「……また宿場町のときみたいにはぐれそうになったらいけないから。ここでは大人しくしていようと思って」


 アナスタシアは自重するようにフードを被り直した。

 すぐ後ろから様子を見守っていたディートヘルムとバーンは、顔を合わせて軽く吹き出すように笑う。


「そんなことを気にしていたのか? 初めて見るものばかりなんだろうから、楽しんだってバチは当たらないさ」

「ルムの言う通りだぜ、シア。俺たちのことは気にしないで好きに見物しろよ」

『本当に今更だな。いちいち気を遣いすぎなんだ。お前は無遠慮くらいがちょうど良い気がするぞ』


 ディートヘルムとバーン、そしてアナスタシアのローブの内側に身を潜ませる白きドラゴンが口々に言う。

 むしろ彼らは歓喜を噛み締めるアナスタシアを微笑ましげに見ているようだった。


 それに少しの照れを感じ、アナスタシアは胸をそわそわとさせながら進行方向を確認する。

 すると、後ろにいたディートヘルムがアナスタシアの一歩前を先に進み、振り返って手を差し出してきた。


「……?」

「さっきから上を頻繁に見ているから、転んだら大変だろう?」


 不思議そうに黒手袋が嵌められたディートヘルムの手を見下ろしていると、そんな言葉をかけられる。


 これから向かう船の停泊場までの道は、緩やかな下り坂が続いていた。舗装されているとはいえ凹凸が多い石の階段なので、アナスタシアのように歩いていたら転ぶ可能性だってある。

 おそらくディートヘルムはアナスタシアの足元を気にしてくれているのだろう。


「どうせ今夜は港に一泊するんだ。せっかくだからゆっくり行こう。そうすればシアも慌てずに見物できるしな」


 目の前にある手を拒む理由が見つからず、アナスタシアは「ありがとう、ルム」と照れ臭くも嬉しそうに笑って手を乗せた。


 そうして階段を降りていると、時おりすれ違う人々がアナスタシアたちを横目に見る。特に多いのは女性たちからの羨望の眼差しだ。

 

 すっかり友人としてディートヘルムを信頼しきっているアナスタシアにとっては瑣末な問題なのだが。

 これでもディートヘルムとバーン――特にディートヘルムは、女性たちの視線を集めるほど容姿端麗な青年である。


(初めて聞く波の音……変な感じだけど、すごく壮大でずっと聞いていたくなる。でも、やっぱり通りかかる人がこっちを見ているような……)


 これまでは仮面にフードと完全防備だったので視線を感じても実際に見られているかどうかはわからなかった。しかし仮面を外してからは、あきらかに見られているという感覚が掴みやすくなったせいか気になってしまう。


 妙な視線を感じるとは思いつつも、すべてを把握している様子の白きドラゴンからは『この場合はお前が気にする必要は微塵もないぞ』と助言を受けた。


 周囲が羨ましげにしていることも、そもそもその理由をいまいち理解できないアナスタシアは、素直に聞き入れて再びキラキラと輝きに溢れた景色を堪能するのだった。



「ふふ、あの子とても楽しそう」

「田舎から出てきたのかしら」

「それにしては、一緒にいる二人は慣れた様子だけど……にしても顔がいいわね」


 アナスタシアを目にした通行人の一組の会話。

 何気ない日常の一部である空飛ぶカゴメに目を輝かせた少女が、いまラクトリシア王国の話題の中心人物であるアナスタシア・ヴァンベールだと気づく者は、誰もいなかった。

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