第46話 聖女殺しと呼ばれた公爵令嬢は、
工房にあったアナスタシアが生成した魔法杖は、無事にディートヘルムに譲渡された。
しかし当初の予定であった百本すべてではなく、ここ一年で生成した数本の魔法杖に厳選された。
そして、幼い頃に初めて完成させた魔法杖や、今と比べてやや拙い作りのものは、ヴァンベール公爵の許可の元アナスタシアが過ごした別館の部屋に保管されることになった。
王都は相変わらず騒がしい。
至るところでアナスタシアの話題があがり、謝罪と更なる説明を求める多くの声が集まっている。
『あの選択は正解だったようだな。お前が過ごすには、この街はどうも煩い』
ローブを羽織り、深くフードを被ったアナスタシアに声をかけたのは、ローブの内側に身を潜ませた白きドラゴンだ。
工房の荷物をすべてまとめ終えたアナスタシアは、白きドラゴンと一緒にしばらくは見納めになるであろうアッシェンデの街をゆっくり歩いていた。
そんなアナスタシアが向かったのは、魔法市街『グリゴワーズ』である。
人の多さは変わらずだが、こちらも神妙な雰囲気が流れていた。耳を傾けると「アナスタシア様」「浄化」「聖女様」という単語が至る所から聞こえてきた。ここでも街の中心部と似たような会話が繰り返しされているのだ。
「こんにちは、コットさん」
「おお、シアちゃんか」
目的の場所であるコットの素材店に入ると、なんだか暇そうな様子のコットがアナスタシアを出迎えた。
受付に立つコットに近寄ると、真っ先に数日前の穢れの騒動が話題にあがる。
「シアちゃんは大丈夫だったか? もうあの時は避難だなんだのって大騒ぎだったろ」
「うん、私は大丈夫。コットさんは?」
「俺は平気だよ。ただなあ、通りに人は沢山いるんだが、やっぱり客はからっきしだな……どこもかしこもアナスタシア様の話ばかりしてるよ」
ぴくりと反応しながらも、アナスタシアはコットの話を聞いていた。受付台には号外記事が置かれており、コットはそれを見て思うところがあるようだった。
「手のひら返しとは、まさにこのことだろうな。今まで散々ひでぇ暴言を吐いてた娘に対して、今度は謝罪を求めてるってわけだ。まだしばらくは収まる気配もないだろうな」
そこでアナスタシアは思い返した。コットとは長い付き合いだが、彼の口から直接「アナスタシア・ヴァンベール」の批難を聞いたことがない。
いつも欠陥素材を貰うだけで長居をしていなかったからかもしれないが、以前ルムやバーンとここに訪れたときも、コットは十年前の事件に関しては客観的な発言しかしていなかったように思う。
「そういやシアちゃん、今日はどうしたんだ? 欠陥素材はまだそんなに溜まってなくてな、ある分だけでいいなら持ってきて――」
「……今日はコットさんに、これまでのお礼と、挨拶をしようと思って来たの」
「挨拶?」
アナスタシアは居住まいを正すと改めてコットに向き直る。そして被っていたフードに手をかけて、そっと外した。
「なっ、シアちゃん……?」
緊張した面持ちを浮かべるアナスタシアは、真っ直ぐとコットを見据えた。
アッシュゴールドの長い髪が胸の下で揺れ、緑の瞳を縁取る睫毛が数回の瞬きを繰り返す。
もうアナスタシアの顔に仮面はなく、素顔を晒した彼女にコットは驚いた様子だった。
「コットさん。私ね、これからしばらく街を離れることになったの。ゼナンクロム帝国の……魔法学園に通うことになったから」
「帝国……こりゃあまた、急な話だな」
「うん、本当にね。私もまさか通うことになるとは思ってなかった。どうなるかもわからないけど、それでも今は楽しみで仕方がないの」
帝国立魔法学園の話しはディートヘルムからされたものだ。
式典の日の話通りアナスタシアを学園に推薦したいと言ったディートヘルムの気持ちに偽りはなかった。
またラクトリシア王国の世情や聖堂の反応を鑑みた結果、アナスタシアは国内に留まるよりも学徒として新しい日々を送ることを選んだ。
一番世話になったといっても過言ではないコットにだけは別れの挨拶をしたかったアナスタシアは、出発前にルムに時間を作ってもらい、今日こうして伝えることができた。
「いつも暖かく迎えてくれてありがとう。コットさんがいたから私は魔法杖の生成を続けられて、こうして学園に通うきっかけになった。それで、あの……今の私じゃ返せるものがなくて申し訳ないんだけど……」
アナスタシアが遠慮がちに持っていた荷物の中から取り出したのは、小杖サイズの魔法杖だった。
「これを俺にくれるのか?」
「うん。今まで生成した中の一本で、コットさんの瞳の色と同じ橙色の魔光石が嵌ったものを選んで……これだけで、お礼になるとは思っていないけれど」
ぐっと前を向いたアナスタシアは、決意を口にする。
「またいつか、自分の魔力印を刻んだ魔法杖をコットさんに持ってくるから。恩返しできるように、立派な魔法杖職人になる。そのときはコットさんが仕入れた素材をたくさん買って、一本でも多く誰かに必要とされる魔法杖を生成する。だから、今はこれで……」
これはアナスタシアの一種の表明のようなものだった。
自分でも慣れないことをしているというのはわかっているので、声が震えてしまう。
それでも感謝を伝えたいと思っていた相手を前に、アナスタシアなりに精一杯の礼を告げる。
「シアちゃん、礼を返そうと思わんでくれ。俺はな、ちょっとした親心みてぇな気持ちでシアちゃんがここに来るのを待ってたんだ。それに、ナナシが――」
「先生?」
「あいつがこの街を離れるとき、俺に言ったんだよ。シアちゃんを見守ってやってくれって。特別なことはしなくていい、ただここに来たときは迎えてやってくれってな。色々とだらしねぇ奴だったが、いいところもあるもんだと思ったよ。言っとくが、あいつに言われなくても俺はそうしたぞ」
コットは冗談めかして笑い、アナスタシアはナナシがそんなことを言っていたのかとびっくりした。
同時に長年密かに募っていた「会いたい」という想いが顔を出す。ナナシは一体どこにいるのだろうか。
「コットさん。もし先生がここに来たら、私のことを伝えてもらってもいいかな?」
「ああ、任せときな。ったくナナシのやつ、こんなに可愛い弟子を放っておいて何してるんだか」
「先生のことだから、きっとどこかで魔法杖を生成しているんだと思う」
「たしかに、その可能性が一番高いなぁ」
そうしてアナスタシアとコットは笑い合う。
ありがたいことに、工房の管理はコットが受け持ってくれることになった。
元はナナシから託された工房。ナナシのことを知っているコットにお願いしていれば、もしナナシが戻ってきても安心である。
「……あ、そろそろ行かないと」
名残惜しいが店を出なければならない時間になった。アナスタシアは入口扉に向かいながらフードを被り直す。
「シアちゃん」
名前を呼ばれて振り返ると、コットは優しげな笑顔を浮かべていた。
「シアちゃんの嬉しそうに笑った顔、はじめて見たよ。いい笑顔だな。隠していたのが勿体ないくらいだ。行ってらっしゃい。またいつでも、おいで」
「……っ、うん、行ってきます」
まるで実家のような挨拶だ。だけど、ルルと寂しく過ごしていた別館よりよっぽど「行ってきます」が素直に出る場所だと思った。
『人間の中にも、あんなやつがいるんだな』
「コットさんはいつも私に親切で、本当に感謝しています」
感心した白きドラゴンに頷き返したアナスタシアは、魔法市街グリゴワーズを後にした。
***
その後、待ち合わせ場所に到着したアナスタシアは、先に来て待っていたらしいルムとバーンを発見した。
「シア、もう挨拶は済んだのか?」
「うん。コットさんにも伝えられたよ。エレティアーナと、お父様とリカルドお兄様にも。
未だに聖堂がアナスタシアの身元を引き受けると意見を通そうとしているため、あまり王都に長居することは避けて最低限のことだけを済ませてきた。
「こっちも準備は整った。陛下が気を利かせて裏門を開けてくれたおかげで、通行証いらずだ」
今日に向けての手配は完璧だった。
さすがは他にも何人か素質ある生徒を推薦してきたディートヘルムである。根回しはお手の物といったところだった。
ゼナンクロム帝国に向かうには、まず王都アッシェンデを出て港町ラクアへ行く必要がある。
そこから帝国所有の魔法船に乗り込んで海を渡るのだ。
「……で、どうしてまだシロさんがいるんだ?」
アナスタシアの肩に乗った白きドラゴンを一瞥し、バーンが小さく突っ込む。
『なんだ、我がいてはいけないのか』
「いやいや、そういうわけじゃ。ただ聞いただけですよ」
『安心しろ。我がそばにいるのは港までだ。それまで聖獣の卵の様子を見ようと思ってな』
「それはいい。道中はシロ殿の貴重な話を聞きながら向かうとしよう。シア、荷物を持つよ。重かっただろう」
案外白きドラゴンが同行することに好意的なディートヘルムは、爽やかに笑いながらアナスタシアの手にある荷物を持った。
「城壁の外に馬車を待たせてある。行こう」
ちなみにディートヘルムとバーンの他にやってきていた帝国の使節団は先に港へ向かったらしい。
彼らとは港町で落ち合い一緒に魔法船に乗船することになる。それまでの経路は、アナスタシアとディートヘルム、バーン、白きドラゴン、そして雇った御者と、極めて少人数だった。
(いよいよ、出発するんだ……)
ごくりと唾を飲む。王都から出たことがないアナスタシアにとって、これから起こることは初めてばかりになるだろう。
それでも、心の奥からじわじわと湧き上がってくる好奇心を抑えることはできそうにない。
「ルム、ありがとう」
「うん?」
「私を見つけてくれて」
フードを軽くあげて笑いかけると、ディートヘルムは一瞬だけ動きをとめる。けれどすぐに笑顔を向けてきた。
「それなら、あの木登りをしていた子どもに感謝しないとないけないな」
「あ、そっか」
確かにそうかもしれないと、アナスタシアはその意見に同意した。
「だけど、ありがとう。これからしばらく、よろしくね」
この短い期間で様々なことがあった。ディートヘルムやバーンの姿を見ると、彼らと出会う前の自分がすでに懐かしく思える。
『聖女殺し』
十年前のその日を境に、アナスタシアは国民から憎まれる存在となった。
『妻殺し』『姉殺し』『娘殺し』『母殺し』――父親に憎まれ、叔父に憎まれ、国王王妃両陛下に憎まれ、実の兄、また片割れである妹からも憎まれた。
憎まれ者、嫌われ者の少女、アナスタシア。
孤独の中で作り続けた魔法杖。偶然とはいえ、その才能を見つけ出したのは、他でもないディートヘルムである。
悲しんだっていい。泣いたっていい。
彼がかけてくれた言葉で、確かにアナスタシアは救われた。
もうアナスタシアの瞳に、あの頃のような憂いはない。
この日。
聖女殺しと呼ばれた公爵令嬢は、大きな期待と少しの緊張、得もいえない高揚感に包まれながら、聖なる都から姿を消したのだった。
「聖女殺しの公爵令嬢 編」完
── ── ── ── ──
こちらで「聖女殺しの公爵令嬢」編は終了です。
ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
なろうの方で予約投稿で置いていたものがすっかり忘れて投稿されてしまってからかなり長い期間を経てようやく一章が終わりました。最後はかなりサラッと終わりましたが、国に残してきた問題やそのほかも後々回収しますので長い目で見ていただければ幸いです…。
また、これを機会にタイトルを少し変更します。
副題をバッサリ捨てて「魔法杖職人のすごしかた」になります。
どうぞよろしくお願いします。
二章から帝国入国と、帝国立魔法学園に編入を経て「ワケあり1年生ズ」編がはじまります。
一章はどうしてもシリアス全振りになってしまいましたが、学園編は素材集めや生成、アトリエ生活など、山あり谷あり楽しく書いていければと思います。
気が向いたときにでも応援や感想などいただけると励みになります!よろしくお願いします!
ありがとうございました!
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