第45話 聖女殺しと呼ばれた公爵令嬢
アナスタシア十歳の春。
母であり、聖女だったクリスタシアの命日が数日後に迫っていた頃のことだ。
『なんだ。今日はやけに静かだな』
『へ……?』
『まあいつも騒がしいってわけじゃねーが。あれだ、空気が重いってやつ』
時々すきま風に晒される工房。その隅の椅子に膝を抱えて座り込むアナスタシアに声をかけたのは、魔法杖の生成中だった名無しの男――ナナシである。
乱暴な言い草だが、ちらりとアナスタシアに向ける視線には少しの気遣いが感じられた。
『なにも、ないよ。ちょっと、考えてただけ』
『嘘が下手だな。なんか嫌なことでも言われたか?』
ナナシは当てずっぽうに言っただけなのだろうが、あながち間違ってはいなかった。
クリスタシアの命日が近づくとより強く聞こえてくる街の人々の声。ここへ来るまでも似たような会話を何度も繰り返し耳にしたせいで、アナスタシアはすっかり気落ちしていた。
すべて自分のせいなのだとわかっていても、見ず知らずの人間から発せられる恨み辛みをうまく受け止めきれないでいたのだ。
『作業してるってのに、気が散るだろ。ほんとに悪口だったのか? じゃあよし、いいことを教えてやる』
ナナシは一度持っていた作りかけの魔法杖を置くと、アナスタシアの方に向き直って人差し指を前に突き出した。
『そんなもんは、寝て忘れろ』
『ええ……?』
『お前にとってタメになることなら一晩くらい考えてうまく記憶に残してもいい。だけどな、ただ煩わしいだけの他人の意見なら、聞く必要なんてない。それこそ時間の無駄だからな。俺はいつもそうしてる』
『先生も、胸がギュッて痛くなること、言われることあるの?』
『今さら胸がギュッとはならねーが、俺ほど悪口雑言を浴びるのに慣れた人間も少ないぞ』
そんなことを得意げに言われてもと思ったが、あまりにも逞しくあっけらかんとしているので、アナスタシアはつい口元を緩めて笑みを浮かべた。
『先生は、どうしてそんなに大丈夫だって、強くいられるの? どうすれば、先生みたいになれるかな』
『あ〜……俺みたいなろくでなしになる必要は全くないが。……そうだな、俺にはこれがあるから、他の大抵のことはどうでもよくなるんだろうよ』
ナナシは魔法杖にそっと触れて、にやりと笑った。
『お前も、もしも心に穴があるならそれを埋められるものを見つけろ。そうすりゃいつの間にか埋まってる。そんで、埋めてくれたものは、お前にとっての譲れねーものになってるはずだ』
譲れないもの。ナナシにとってそれは、魔法杖を生み出すことだったのだろう。いつになく饒舌で機嫌よく話す彼の姿に、アナスタシアはそうだと確信した。
以前、ナナシはこんなことも言っていた。
これまで生きてきて何かを素直に美しいと思えたのは、見知らぬ爺さんの手で作られていく魔法杖を見た瞬間だと。
その時から魔法杖職人が彼にとって夢中になるものになったのだ。
(埋めてくれるもの、譲れないもの……)
あの頃のアナスタシアには、ぱっと思いつくことができなかったけれど。今なら断言できる。
ナナシが誰かの魔法杖の生成を目にして虜になったように、アナスタシアもまた、ナナシの美しい生成術に心を奪われていたのだ。
そしてそれは、今のアナスタシアを形成する最たるものになっていた。
***
「聖女の語り唄を扱える者を聖堂で保護するのは通りであると申し上げているというのに。それを拒否なさるとは、聖堂への冒涜と捉えてもよろしいのですかな」
城内の審議室に置かれた円卓には、それぞれの代表者が顔を揃えて着席していた。
王室からはベニート国王並びに王太子アーシアン。
ヴァンベール公爵家からはヴァンベール公爵と嫡子のリカルド。
聖堂からは大司教ロドリのほか数人の司祭が集い、彼らが話し合っているのは巷でも大騒ぎになっているアナスタシアについてのことだった。
つい先ほどピリついた空気を放ちながら「聖堂への冒涜」と意見を唱えたのは、大司教ロドリである。
王家から提示されたアナスタシア・ヴァンベールの処遇に納得がいかない様子で、目くじらを立てているのだ。
「なにをそこまで声を荒らげる必要があるのか聞きたいものだな、ロドリ大司教」
「どういう意味かね、ヴァンベール公。まさか状況が理解できないわけではあるまい。アナスタシア・ヴァンベールは浄化を行ったのだ! それは聖女が持ち得る力、聖女の証たる力だ! ならばその者を我々が引き受けるのは筋の通ったことだろう!」
現在、聖堂側はアナスタシアの身を引き受けると申し立て、それを王室とヴァンベール公爵家が却ける形で対立していた。
「アナスタシアを……アナスタシア・ヴァンベールを北の領地に送るように話を進めたのは、他ならぬ貴殿らだろう。それを予定通りに履行すると言っているんだ。これ以上の横槍は控えて頂きたい」
「よ、横槍だと!? 我々は崇高なる聖女の信徒として」
「もうよさないか、大司教」
ヴァンベール公爵と大司教ロドリの会話の間に入ったベニート国王は、眉間に深い皺を刻ませながら静かに諭した。
「我々は、悔いているのだよ。同時に、今まで一人の娘に強いてきた数々の行いを恥じている」
「それは重々承知しております。確かにこの十年、アナスタシア・ヴァンベールの世評は大罪の子として広まり、民衆はおろか他国にまで轟くほどだった。だが、アナスタシア・ヴァンベールには浄化の力がある。それがどういうことか陛下ならば存じているはず」
「……無論、知っておる」
それを聞くと大司教ロドリは興奮した様子で語りだした。
「精霊は殺生の気を嫌う生体だと言われている。すなわち、精霊の力を借りることができる者はその影響を受けやすく、精霊の清白な力が働くために命を奪う行為が阻止され不可能となる。それに当てはまるのが、浄化を行える者……聖女だ!! アナスタシア・ヴァンベールは大罪の子ではなく、聖女だった! 喜ばしいことではありませぬか! それをいつまでも悔いてばかりいては先に進めない!」
「貴様っ……!」
ヴァンベール公爵、そしてリカルドは額に青筋を浮かべ睨みつけた。
大司教ロドリの言い分はこうだ。
アナスタシアが過ごした十年の月日は戻らない。それなら、これからの対応に早く目を向けるべきだと。それがアナスタシアを聖堂で保護することだと。
「――口を閉じろ、愚か者めが!! この耳をすませば届いてくる声が聞こえぬのか! あの子への忸怩たる思いの声が!」
ベニート国王の叱責に、誰もが言葉をとめた。
式典の日から数日。
王室から開示された十年前の真実には、アナスタシアの潔白や、最たる原因が穢れだということ、また今回の穢れを浄化した本人であることが記されていた。
そしてアナスタシアの強い切望によりエレティアーナの魔力暴走は伏せてあった。
王城前広場には、声明を出した日よりさらに人が集い、アナスタシアに対して謝意を述べる民衆で溢れかえっている。
王都公爵邸の外にも規制線が引かれるほどであり、そんな状態がずっと続いているのだ。
「……よいか、大司教。こちらは意見を変えるつもりは毛頭ない。例え聖主会と軋轢が生じることになろうともこれだけは譲れぬ。それがアナスタシアへの償いであり、我々が背負うべき責務なのだ――当初の予定通りあの子の居住を北のヴァンベール公爵領へと移し静養に努めてもらう。王都にいては休まるものも休まらないだろうからな」
そうしてベニート国王は、手に握っていた国宝杖をコツンと床に当てて鳴らす。もう有無を言わさないと暗に示唆しているようだった。
ロドリ大司教は圧に押された様子でグッと身体を後ろに引いた。一瞬審議室に沈黙が降りたところで、ヴァンベール公爵はある重要な話題を投下する。
「大司教。貴殿は、穢れが封じられた書物について、なにか心当たりはないか」
「……なんだと?」
聖女の魔法杖が見せてくれた十年前の光景。
そこに出てきた古びた本によって穢れが放出され、あのような悲劇が起こってしまった。
クリスタシアの死の一番の原因であるそれは、エレティアーナが所持していたものだが、一体どこで手に入れたのか、誰から受け取ったものなのかは覚えていないという話だった。
ただ、あの頃のエレティアーナの外出先には限りがあり、行動範囲の狭い少女が唯一多く足を運んでいた場所が大聖堂である。
そし聖堂は王室にも開示していない情報を多数有していた。
今回の件でアナスタシアが潔白であるとわかったとはいえ、本の正体を突き止めなければ、根本的解決にはならないのだ。
十年前の惨劇の原因解明に努めること。
これもまた「大罪の子」「聖女殺しの公爵令嬢」という汚名を背負ってきたアナスタシアに対して彼らができる償いだった。
***
聖なる都アッシェンデ。
今代の聖女が生まれた国の中心には、数日前に穢れによる騒動があったものの相変わらず他国からやってきた旅人や行商人が多く行き交っている。
いつもとひとつ違うのは、連日に渡り号外が配られているということだ。
内容は一括して同じであり、とある記事には『聖女殺しと呼ばれた公爵令嬢』という注目を集めるための謳い文句が書かれていた。
「……これで持っていくものは全部かな」
春になれば薄桃色の花、夏になれば水色の花、秋になれば黄色の花、冬になれば赤い花が咲く樹木が目印の工房。
アナスタシアは綺麗に掃除され整えられた薄暗い室内をくるりと見回した。
あれほど保管されていた魔法杖も無くなり、アナスタシアは殺風景な工房に少しだけ寂しそうな笑みを浮かべた。
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