第44話 明かされる
この十年、民衆が向け続けていた憎悪を、アナスタシアが憎悪で返すことはなかった。
聖女の器をまざまざと見せつけられ、一同は惚けた様子で口を閉ざす。
そのとき、扉の前に佇んでいたエレティアーナが涙声で発した。
「アナスタシア、お姉様」
アナスタシアは気づいていた。エレティアーナが部屋の後方でひとり前に踏み出せずにいることに。
大きな罪を背負ったように暗い顔をして俯く姿に、アナスタシアはそっと声をかける。
「エレティアーナ。ひとつ、教えてほしいことがあるの」
アナスタシアの視線に促されるようにして、エレティアーナはやっとの思いで前に出た。
「はい、お姉様……」
「いつから、思い出していたの?」
そう聞かれるとエレティアーナはびくりと肩を跳ね上げた。しばらく沈黙が続いたあと、エレティアーナは両手を握りこんで答える。
「去年の、お母様の命日から……です。記憶は断片的なものばかりでしたが、お姉様は無実だと、それだけははっきりとわかっていました……」
エレティアーナが告げると、周囲から固唾を呑む音がかすかに聞こえてきた。
どうして今まで言わなかったのか、どういった経緯で思い出したのか、べニート国王やヴァンベール公爵からすれば聞きたいことは山ほどあった。
けれど今ここで自分たちがアナスタシアを差し置いて言葉をかけるのはお門違いだと、二人の様子を静かに見守る。
「一年前から……そうだったの」
「ごめんなさいお姉様……っ、言わなければといつも思っていたのに、どうしても伝えることができなくて、こ、怖くてっ……本当に、ごめんなさいっ」
そんな言葉を前にアナスタシアは昔を思い出していた。
こんなときに……こんなときだからこそなのだろう。
可憐に成長を遂げたエレティアーナは、見る限り体を悪くした様子もなく元気そうである。
幼い頃はとても病弱で、寝込むことのほうが多かったエレティアーナは、いつも苦しそうに涙を浮かべていた。
ああ、そうだと。
アナスタシアは彼女の顔を見つめて心の中で呟く。
(私は、エレティアーナが苦しむところをあれ以上、見たくはなかったんだ)
そして、その気持ちは今も変わらない。
「誰にも言えなくて、苦しかったよね、エレティアーナ。きっとすごく、息苦しかったよね」
「おね、さま……っ、ごめ、ごめんなさい……っ」」
「だけどもう、苦しまないで。言ったでしょう? 謝らないでって」
告げたくても、告げることができなかったのだろう。
そうだと察せるからこそアナスタシアがかける言葉は慰めのようにどこまでも優しいものだった。
「……ねえ、エレティアーナ」
「は、い」
「元気だった?」
「え……?」
「寝込んだり、熱を出したり、苦しくなることはなかった?」
家族であったはずなのに、距離は遠くなってそんなことさえ把握できなかった。
心労がすぐに体に出てしまう体質で、エレティアーナが寝込むたびに一人元気な自分が申し訳なく感じることもあった。
「はい……お姉様。わたしは、もう、大丈夫です」
それが聞けただけで、アナスタシアは十分だった。
「……そっか。それなら、よかった」
簡単に倒れることも、過呼吸を起こすこともない。
エレティアーナは、あの頃のようにアナスタシアが守らなければと強く思うほど弱い人間ではなくなったのだ。
(あ……)
ふと視線を下にすれば、聖女の魔法杖があった。
(お母様、エレティアーナは大丈夫だよ。私も……大丈夫、もう大丈夫だから)
アナスタシアはふわりと微笑む。心の底から、安堵の感情が溢れ出た美しい笑顔で。
『ん……? おい。それは、クリスタシアの魔法杖に嵌められていた水晶か?』
そのとき、ベッド横の棚に置かれる割れた共鳴水晶の存在に気づいた白きドラゴンは、軽く首を傾げて言った。
小さく羽ばたいて近寄ると、確かめるように鼻をスンと動かす。
『穢れの痕跡は、ないか。見事な浄化だな』
「あ……それ」
ハッと思いついたようにアナスタシアは共鳴水晶をじっと見る。
そして再びおずおずと口を開き、ダメ元で志願した。
「あの、陛下……お母様の魔法杖、今から私が直しても構いませんか」
「何? この魔法杖を?」
「できれば元通りにしてあげたいんです。この子も、長年一緒にいた共鳴水晶が離れて、寂しそうだから」
まるで魔法杖の心でもわかっているかのような発言に、べニート国王らは困惑した。すると、横で話を聞いていたディートヘルムからの援護が入る。
「陛下。彼女の修復の腕は……いや、生成を含めて魔法杖に関する腕は、間違いなく素晴らしいものです」
『それはいい。どうだ、我にも見せてはくれないか』
「では……失礼します」
興味深く見上げる白きドラゴンの後押しもあり、アナスタシアはこの場で魔法杖の修復をすることになった。
(……一日眠ったおかげかな。うまくいきそうって、何となくわかる)
すうっと息を吸い、アナスタシアは旋律を口ずさむ。
心の思うままに発さられる音が語り唄となり、辺りに漂う精霊が姿を現した。
割れてしまった部分を溶かして、丁寧に繋げていく。
それを上部に嵌め込めば、アナスタシアは魔法杖から嬉しそうな気配を感じとる。
やがて光が収まると、今回の騒動で傷ついた箇所は綺麗に直り、元通りになった聖女の魔法杖が姿を現した。
色褪せない聖銀の輝き、光沢の美しさは、まるで生前のクリスタシアのように清雅さに溢れている。
「……終わりました」
アナスタシアがゆっくりと魔法杖の持ち手を撫でる横で、初めて彼女の修復を目のあたりにした一同は、驚愕のあまり声を出せずにいた。
***
聖女クリスタシアが浄化の旅を終えた日より二十年。
聖女クリスタシアが不慮の死を遂げて十年。
聖女の慰霊式を含めたラクトリシア王国の重大な式典は、突如発生した穢れによって延期を余儀なくされた。
聖なる都アッシェンデの人々は、王城から街に広がりつつあった穢れを目撃していた。そして、その穢れが神々しい光の粒に照らされ、跡形もなく消えゆく光景も。
誰かが浄化の力を使ったのだと、民衆は新たな救世主の誕生に沸き立った。偉大なる聖女の栄光を継ぐものが再びラクトリシア王国に現れたのだと、涙した者までいたという。
人々は王城前広場に集い、事の詳細を求めた。
一体誰が救ってくれたのか、今か今かと王室からの声明を待ちわびる人々は、現れた政務官の言葉に耳を疑った。
人々はすぐに理解することができなかった。
信じることができなかった。
しかし、それらは紛れもない事実なのである。
――穢れを浄化しラクトリシア王国を救ったのは、アナスタシア・ヴァンベールである、と。
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