第43話 謝罪と無執着




 ルルが入った聖獣の卵を両手に収めたアナスタシアは、ほんのり寂しさを感じながら一緒に過ごした十年という期間を振り返る。


 思えば対人関係をほぼ絶たれたアナスタシアの喋り相手になってくれたのもルルだった。ただ一方的に話しかけるだけのものだったが、それもなければ今のように人と話すこともままならなかっただろう。


 別館の図書室で一人勉学に励んでいたときも、一人の夜が無性に苦しくなったときも、街の中で飛び交うアナスタシアへの罵詈雑言を耳にして立ち止まらずにいられたのも、ルルがいたからだ。


 ルルは最初から、アナスタシアにとってかけがえのない家族だった。


「どのくらいで、ルルに会えるようになりますか?」

『聖獣が孵化するには、最短三ヶ月から半年といったところだ。普通の卵と違って衝撃で割れたりすることはまず無いはずだが、守ってやってくれ』


 しばらく会えなくなるのは寂しいが、アナスタシアはその時がくるまで白きドラゴンの言う通りに聖獣の卵を見守ることを約束した。


「まさか、本物の聖獣の卵をこの目で見ることになるとは……本当に、人生は何があるかわからないものだな」


 今まで空気を読んで気配を消していたのだろう。ひとまずルルのことが一段落つくと、ディートヘルムは息を吐き口を動かした。


「あ、ごめんね、ルム。勝手に色々と話を進め、て――」

「シア?」


 突然アナスタシアの語尾が小さくなり始めてしまい、ディートヘルムは首を軽く傾げる。アナスタシアは何かを思い出したように口をパクパクとさせていた。


「穢れとか、浄化とか、色々あって頭から抜けていたけど、こうやって顔を見せて話すの、久しぶりだからちょっと……思い出したら急に落ち着かなくなってきて」


 穢れの発生から今まで怒涛の勢いだった。ようやく自分の身なりについて意識を向ける余裕が出てきたアナスタシアは、何となく俯いてしまう。


「それと、ルムもアステレード大公爵家の人で……このままルムって呼び続けるのもいいのかなって」

「いいに決まってる。俺とシアは、友達だろ」


 笑ってはいるが、心なしか真面目な眼差しを向けられる。アナスタシアは何度か瞬きを挟んだあと、その事実を今一度噛み締めるように頷いてみせた。


「うん……うんっ。そっか、そうだね。ルムは、私の友達だね」


 嬉しそうな顔をして素直に受け取るアナスタシアに、ディートヘルムは少しばかり驚いた。アナスタシアの無邪気さが混じったような表情を見るのは、これが初めてのことだったからだ。


『……さて。我は友との約束を無事に果たせたわけだが。ここで会ったのも何かの結びつき。聖獣の卵を託したお前がこれからどうするのか、気になるところだな』

「これから……?」


 白きドラゴンの思いもよらない発言にアナスタシアは固まってしまう。これでも目覚めたばかりなので、これからのことをじっくり考える時間などなかった。


(そういえばここ、お城だってルムが言っていたけど。私が客室を使わせて貰えるなんて――)


 改めて自分が置かれた状況を把握しようと室内に目を向けたところで、控えめに扉が叩かれた。

 アナスタシアはギクリと身を固くしながら扉に視線を固定させる。


(誰か入ってくる。どうしよう、私、仮面も何もないのにこんな状態でっ)


 十年費やして出来上がった習慣が、アナスタシアに焦りを植え付けていく。

 とはいえ、ヴァンベール公爵から与えられていた魔力制御の仮面は魔力暴走を引き起こさないためのものであり、本来アナスタシアには必要のないものだった。大罪の子として、顔を晒さないという点に関しては役に立っていたのだろうが。


 頭を覆うフードが縫い込まれたローブもなしに他の人と会っても大丈夫なのかと心配していると、扉から顔を出してきた人物にアナスタシアはあっと声を出す。


「お、シア! やっぱり起きてたんだな。ルムが様子を見に行ったきり戻って来なかったからよ」

「バーン……!」


 現れた相手がバーンだと知って安心したのもつかの間、彼に続いて入室してきた顔ぶれにアナスタシアはまたもや動きを止めた。


「……アナスタシア」


 遠慮がちに呼ばれた自分の名前。

 アナスタシアは内心迷いながらも応える。


「陛下、叔父上様」


 彼らのすぐ後ろには、ヴァンベール公爵、兄リカルド、エレティアーナの姿があった。

 そしてアナスタシアの顔を正面から見つめると、皆揃って口をつぐみ複雑な感情を目に浮かべる。


 しかしこれで、式典の間で聖女の魔法杖を通して十年前の光景を見た全員が集ったのだった。



 ***



 空気は一変して重圧のあるものになってしまった。

 アナスタシアに遠慮してなかなか本題に移ろうとしない国王らを横目に、あくまでもバーンはこっそりとディートヘルムに話しかける。


「で、シロ殿の話はなんだったんだよ」

「それは――」


 ディートヘルムは言い淀む。さすがに自分から軽々と話せる内容ではなかったからだ。


『我が代わりに話そう。お前たちはその間に心の準備でもしていろ』


 さすがは種族が違うドラゴンと言うべきか、国王を前にしても無遠慮で話の主導権を握ってくれた。

 どうやらアナスタシアが眠っている間に白きドラゴンのことは色々と把握しているようで、異議を唱える者は誰もいなかった。

 白きドラゴンは他言無用と前もって忠告したあとで、先ほどあったことを偽りなく伝えた。信じられないような話の連続に一同は目を剥き、ルルの正体に驚きを隠せないでいた。


 やがて白きドラゴンの説明が一通り終わると、べニート国王がようやく用件を切り出した。


「――謝罪を、償いを、させてはくれぬだろうか」

「謝罪、償い……?」


 アナスタシアは反射的に聞き返してしまう。

 こちらを伺い見るべニート国王の眼差しには、あの頃のような強い恨みを孕んだ鋭さは一切ない。


「私はあの日、幼いお前の言葉を鵜呑みにしてしまった。調査の結果、穢れの痕跡は発見できず、あの惨状の原因は魔力暴走と断定され……お前が招いたことなのだと疑いもしなかった。そのせいでクリスタシアの命が、子の命が奪われたのだと、疎ましく、そして恐ろしくもあった」


 自分がやったのだと、母親の骸を前に歪に笑いながら罪を認める小さな子どもなど普通ではない。

 そしてアナスタシアは、クリスタシアの病状が日に日に悪化するに連れて笑みを絶やすことはなかった。クリスタシアを想ってしていた行動も、周囲には理解されることはなくただ非常識な子ども、母親の弱っていく姿にショックを受けておかしくなったのだと思われていた。


 クリスタシアの生前を含め、アナスタシアの異常な言動は信憑性を高める証言とされ、その後開かれた聖堂での審判により、誰も彼も疑念を抱く余裕すらなくなっていた。


 すべてはアナスタシアが招いた恐ろしい事件だと、聖堂側も判断を下したのである。


「お前は優しい子だった。人の痛みを察せる子どもだった。そうだと分かっていながら……いいや、すべて言い訳だ……言い訳にしかならんのだ。私は、私たちは、取り返しのつかない繆りを犯した」


 アナスタシアは目を疑った。

 ヴァンベール公爵、兄リカルド、エレティアーナが深く頭を下げ――国の主導者たるべニート国王が、力なく膝をついたからだ。そして王太子も同様にアナスタシアへ謝意を伝える。


「申し訳なかった。本当に、すまない……アナスタシア」

「――っ」


 耐え切れずベッドを抜け出したアナスタシアは、べニート国王と王太子の前にやってくると自分の手を重ねるように置いた。


「どうか、顔をおあげ下さい」


 芯が通った力強い声。国王らが現れたときに浮かべていた戸惑いの表情は消え、そこにいるのは揺るぎない強さをもったアナスタシアの姿だった。


「私のこれまでは、私が決めたことでもありました」


 エレティアーナが矢面に立たないように。

 原因は自分だと無意識下に告げたのは、他でもないアナスタシアだった。

 クリスタシアは、死ぬ間際に妹の身代わりになってくれと頼んだのではなく、エレティアーナが批難される状況になったとしても、そばにいて支えて欲しいと願ったのだろう。


 しかし、アナスタシアは自分だと偽った。

 それはあの頃、姉としてエレティアーナを守りたいという気持ちが自分の中で本能的に働いたからだ。


 そして民衆は、望み通り感情の矛先をアナスタシアに向けた。


「だから、もう、謝らないでください」

「……だが、我々が君に憎まれるだけの仕打ちをしてきた事実は変わらないはずだ」


 王太子の言葉に、アナスタシアの目が見開く。


「憎らしい……?」

「本来なら君が享受できた十年という月日は、もう返すことができない。国民が、世界中が、聖女が……姉上が命を賭した原因は君だと誤解している。これまで浴びせられた言葉を、態度を、君を蔑み続けた私たちを憎いとは思わないのか?」


 いくら惨い現場にいたアナスタシア本人が「自分がやった」と告げても、それをすべて鵜呑みにした大人たちに非がなかったと言えるのだろうか。

 

 真実が浮き彫りになり、アナスタシアに憎悪の感情があっても不思議ではない。

 むしろそうあって欲しいと。好きなだけ罵ってくれたらいいとさえ思っていた。


 だが、違ったのだ。

 アナスタシアは根本的な部分で、違っていた。


「……ここはお母様が、愛した国です。私は、お母様が守りたかった人たちを、お母様が大切だった場所を、厭わしく思うことはありません」


 そこにアナスタシアの個人的な感情は一切含まれていなかった。

 あくまで母親を尊重するその姿勢は、ラクトリシア王国がアナスタシアにとってそこまで執着するに値していないことを物語っている。


 理解されようとも思っていない。

 故にアナスタシアは毅然としていられる。


 アナスタシアの本望は、すでにべつのところにあったから。


(ああ、この子は、なんて)


 クリスタシアの死後、聖女は誕生していない。

 聖女になりうる人間に共通の資質が備わっているのだとしたら、一体どんなものなのだろうか。


 精霊と心を通い合わせ、浄化が行えること?

 いや、そんなものは本質に値しない。


 どれだけ蔑まれようと、どれだけ死を望まれようとも、己の尺度で測らない、流されない無垢の意志。

 ただ優しくあることが、慈悲の心ではない。


 どんな人間が、クリスタシアに次ぐ聖女になれるのか。

 その答えは目の前にあった。



 ラクトリシア王国は、先代聖女を深く悼み、新たな聖女を熱望しておきながら、もっともふさわしい少女を手放すことになる。


 それがこの先、国が背負っていく償いだ。

 

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