第42話 ルル



 ルルについて不思議な点は多くあった。

 気づけばアナスタシアの近くにいたことや、執拗にそばを離れようとしないこと、そして同じく親交力があるはずのディートヘルムには目視できないこと。


 よく観察すればわかることだが、ルルはどの属性の精霊の色とも違っている。

 一見、光の精霊を思わせる色合いをしているものの、薄みどりが混じったような、他にはない輝きをしていた。


 アナスタシアがルルについて深く突き止めようと思わなかったのは、ルルから一切邪なものが感じられなかったからである。それどころかルルはアナスタシアを慕っていた。

 言葉はなくてもわかるからこそ、アナスタシアはルルを信頼していたのだ。


 そんなルルのことを白きドラゴンは、クリスタシアが『半端にしてしまった存在』だと告げた。


「ルル……どうしたの、いつの間にそんな……」


 おそるおそると、肩に乗ったルルを手に載せたアナスタシアは、サッと青ざめる。

 これほどまでに弱々しく消えかけのルルを見たことは、今まで一度もなかった。


 精霊が景色に溶け込んで消える現象とは訳が違う。

 あきらかにルルという存在が、少しずつ消えゆこうとしていた。


『言ったろう、半端だと』

「半端って、ルルが半端ってどういうことなんですか? 一体なにが、ルルはどうなって……」

『お前も少しは勘づいているんじゃないか? だから、奇しくも"ルル"と名付け、今日まで大切にしていたのだろう』


 ドキリとした。同時に、心の中で結びつくものがある。

 ルルはふわふわと綿毛のように力なく浮き、アナスタシアを気遣っているのか光に強弱を付けた。


『我が友から受け取った念話は、短く不鮮明となっていた部分が多くあった。だが、これだけはしかと聞こえたぞ。――我が子の依代を一時的に精霊に移した。だからどうかこの子が生き永らえる道を、とな』

「それ、って」


 ――男の子なら、ルルーシュ。女の子なら、ルルーシェ。どちらも異国の古い言葉で"小さな光"という意味なのよ。お母様の友人が教えてくれた言葉でね、すごく気に入っているの。


 ――小さな光……それって、この子たちみたいだねっ。


 いつの間にかいてくれた、小さな存在。

 長い月日を、孤独なアナスタシアと一緒にいてくれた光。


 ――かわいいかわいい赤ちゃん、はやく出ておいで。もっともっと、おうたを唄ってあげるから。


「ルルが……そうなの?」


 両手でルルを包み込み、震えながら声にする。

 ルルは、ふわわ、と綿毛が広がるような動きをみせた。


「そう、そうだったんだ」


 それが肯定を示す反応だということは、他でもないアナスタシアが一番知っていた。



 ***



 あの日、クリスタシアは罹病の身でありながらいくつかのことを同時に行っていた。

 穢れに呑まれ魔力暴走を起こしたエレティアーナの救助と、穢れの浄化、保護の魔法。

 そして、腹の子を聖霊化させ、光の精霊を依代にして一時的でも在世させることである。


 だが、言わばルルは半精霊であり、白きドラゴンの言葉通り半端な存在だった。親交力があるディートヘルムに見えなかったのもそれが原因だったのだろう。

 あれから十年。本来ならルルはいつ消えてもおかしくない状態だったのだ。


『我は友の約束を果たしにきた。その小さき光が助かるには、聖獣になるしか道はない』

「ルルが、聖獣に」


 白きドラゴンが念話を感じ取ったとき、クリスタシアの命は尽きる寸前だった。

 できるかどうかはわからない。それでもクリスタシアが白きドラゴンに「約束」の縁を行使してまで託したのは、彼になら手があると見抜いていたのかもしれない。


『聖獣の卵は、何も大事に温めていれば自然に孵化するような単純なものじゃない。卵に主体となる核が宿ってこそ、はじめて息づきこの世に誕生する人知を超えた存在だ。そして我が一族は代々、世界樹にて聖獣の誕生を見守ることを役目のひとつとしてきた』

「世界樹で、見守ることを?」


 ここまで話を聞いていたアナスタシアは、気になる点を見つけて白きドラゴンを見つめ返した。

 聖女クリスタシアの浄化の旅に綴られる記録では、穢れの根源である「黒きドラゴン」は、世界樹の頂上を根城にしたとされていた。

 黒きドラゴンの正体は、穢れに侵された白きドラゴンであり、穢れにより世界樹の頂上を根城にしていたのではなく、元々の住処が世界樹の頂上だったのだ。


(なにか、引っかかる。黒きドラゴンは穢れを発生させる根源だと語られていた。でも実際は、白きドラゴン……シロちゃんが穢れを受けたその影響で黒きドラゴンになって、二十年前は世界の終焉と言われるくらいの騒ぎになった)


 そう、白きドラゴンは聖獣を見守る清き種族だ。つまり穢れそのものでも、根源でもない。

 白きドラゴンが「黒きドラゴン」となるに至った原因があるのではないか――アナスタシアはそう考えた。


(…………でも今は、ルルのことが先)


 浮かんだ疑問を頭の隅に押し込め、アナスタシアはルルをじっと見据える。

 本来ならば世界樹の精霊たちの中からもっとも適した精霊が卵に宿ることで、聖獣は生まれてくる。白きドラゴンが持ちかけたのは、その聖獣の卵にルルを宿らせるという提案だった。


『聖獣の卵をクリスタシアの子に渡すことは、すでに我が一族は承知している。同じく世界樹の精霊たちもだ。つまり、後は我の目で託すに相応しい者かを見極めるだけだったわけだが』


 白きドラゴンは瞳を優しげに細めると、口元をくいっと動かした。


『最終的に決めるのは、そいつだ』

「…………ルル」


 本来なら十年前に生まれるはずだった、弟か、妹。

 生前のクリスタシアが残してくれた存在に今まで救われていたことを再認識し、アナスタシアの胸には感謝の気持ちが込み上げる。


 ルルは、最初から自分を姉だと、家族だと思って慕ってくれていたのだろうか。


「スコーン、いつも食べてくれてたよね。一緒に外を散歩して遊んだり、ご飯を食べたり、本も読んだよね』


 いつかクリスタシアに告げていた、姉としてしてあげたかった小さな幸せの数々。


「だけど、真っ赤なベリーと白いチョコレートが入った甘いスコーンは、まだ食べたことなかったよね。小さいとき大好きだったんだよ。私ね、美味しいものも楽しいことも、今までと同じ、ルルと一緒に感じたい」


 だから……と、アナスタシアは乞い願うように、両手に載せたルルを額に寄せて呟いた。


「これからも私と、一緒にいてくれる?」


 それは、ルルが聖獣に生まれ変わることを意味している。

 人としてではなく、聖獣として。言葉を話せないルルは、それを良しとしてくれるのだろうか。


 ほのかに不安そうに揺れるアナスタシアの瞳には、今も光が薄くなりつつあるルルが映っている。


 最初からルルの気持ちは固まっていたのかもしれない。ふわふわとアナスタシアの頬に擦り寄ったあと、ルルはアナスタシアの膝の上に置かれた聖獣の卵へと近寄っていった。


 自分がどうするべきなのかは、本能的にわかっているようだ。


「――ルル、」


 呼びかけるとルルは応えるように光を強くした。


 次の瞬間には、ルルは聖獣の卵に溶け込むように消えていく。呆気なくいなくなってしまったルルだが、もうアナスタシアに不安はなかった。


 ルルが放った最後の輝きは、まるで――待っていてね、と。そう言われているようだったから。

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