第41話 白きドラゴンの契り
「――シア、シア」
アナスタシアが目を開けたとき、ディートヘルムとバーンがこちらを覗き込んでいた。
どうやら聖女の魔法杖を抱きしめたまま放心気味になっていたアナスタシアを、ディートヘルムが支えてくれていたらしい。
二人の顔を見た瞬間、ほっとした心地に包まれる。
「ルム、バーン」
「俺たちのことちゃんとわかるか!? これは何本だ!?」
「うん、わかる。指は、十本だよね」
顔の横で両手をパッと広げたバーンが何だか可笑しくて、アナスタシアは微笑んだ。本人は必死なのだろうが、絵面が少しばかり面白い。
「……気分は?」
「不思議なくらい、落ち着いてる。あの日、何が起きたのかを、見たあとなのに――」
言いかけて、アナスタシアはハッとする。
自分が見ていたあの日の光景。
信じられないようなことだけど、確かにあれは実際にあったことだというのがわかる。
「ルム、あのね。実は今、私」
「知ってる。俺たちにも、見えたから。ただ……」
「……?」
ディートヘルムの含みのある言葉のあと、アナスタシアはそっと上体を起こして状況を確認した。
式典の間は静まり返っており、アナスタシアは至るところから視線を向けられている。
「なんと、いうことなのだ……私は、私たちは、今まで……っ」
膝から崩れ落ちたベニート国王は、公の場であるにも関わらず嘆きの声をあげていた。
国王を支える王太子、兄リカルド、エレティアーナ、そしてヴァンベール公爵ですら呆然としながら目に涙を浮かべている。
限られた者たちの失意を、周囲の人々は訳がわからない様子で黙って見ていることしかできないでいた。
アナスタシアは理解した。つい先ほどの現象は、見えた者と、そうでない者がいたということが。
「あなたが……見せてくれたんだよね」
そんな状況の中、アナスタシアは聖女の魔法杖をそっと自身の胸から離し、語りかける。
傍から見れば、魔法杖に話しかけるなんて奇妙な姿だが、誰もがアナスタシアの行動に目を奪われていた。
「ありがとう。お母様の代わりに、見守ってくれて。ずっと、ずっと、この国を守ってくれて。あなたの大切な記憶を見せてくれて、ありがとう」
あの日、聖女の魔法杖が残された穢れを吸収しなければ、今ごろどうなっていたかわからない。
もしかすると穢れに取り込まれそうになったアナスタシアは、生きていなかったかもしれない。
あの日の本当の真実を教えてくれたのは、クリスタシアの傍らにあった、聖女の魔法杖だったのだ。
(……って、あれ、急に眠気が)
意思に反して力が抜けていく。
今までの緊張が途切れたのか、アナスタシアはプツンと糸が切れるように意識を失くしてしまった。
***
アナスタシアが目を開けると、覚えのない天井の景色に慌てて飛び起きた。
「ルル……」
アナスタシアが起きると、どこからともなくルルが出てくる。心配するように頬に擦り寄り、アナスタシアも小さく微笑んでルルを撫でた。
「シア、起きたのか」
ちょうどその時、前方にある扉からディートヘルムが入ってくる。彼は安堵の息を吐きながらアナスタシアに近寄り、備え付けの椅子に座った。
「ここって、もしかして……お城の中?」
「そう、客間。シアが式典の間で眠り込んでから丸一日が経ったところだ」
「もうそんなに!?」
確かにここ最近寝不足だったとはいえ、アナスタシアは時間の経過に耳を疑ってしまう。
驚きのあまり跳ね上がったアナスタシアの手元に何かが当たる。それは聖女の魔法杖だった。
何となく手のひらに残る感触はハッとする。もしや眠っている間も魔法杖のを握っていたのではないだろうか。
考えていると、そのうち式典の間で起きたことが鮮明に蘇ってきた。
「どこから説明するべきか……ひとまず穢れによる混乱は収束したよ。街への被害もなく、穢れの影響は城内で食い止められていた。その穢れもシアの浄化によって跡形もなく消えたようだ」
それを聞いてアナスタシアは改めてほっとした。
今回の穢れは、十年前に発生した穢れを聖女の魔法杖が吸収し、それが耐え切れなくなったことで増幅したと考えられる。
次にディートヘルムは、聖女の魔法杖が見せた十年前の光景についてを話した。
「騒動のあと確認したところ、あれを見ることができたのは、俺とバーン、ベニート国王に王太子、ヴァンベール公爵とリカルド卿、エレティアーナ嬢だけらしい。ほかの人間には、ただ聖女の魔法杖が輝いているようにしか見えなかったようなんだが……」
「たぶん、この子が選んだ人じゃないと見れないんだと思う。だって、魔法杖は――」
「心を宿す、だろ?」
先に言われ、アナスタシアはふふっと笑う。
「でも、不思議だ。なぜ魔法杖は、俺とバーンにまで見せたんだろうな」
ディートヘルムは聖女の魔法杖をちらりと見た。共鳴水晶が割れた聖女の魔法杖は、まるで役割を終えたかのような穏やかな空気に包まれている。
それはアナスタシアにしかわからない些細な変化であるけれど、ほっとしているに違いない。
(ルムとバーンにも見せたのは、私の友達だからとか……?)
『――単に、アナスタシアと近い距離にいた人間だったからかもしれんぞ』
そんな声が耳に届き、アナスタシアは辺りをキョロキョロと見回す。
一体どこから聞こえた声だろうと首を動かしていると、ディートヘルムが苦笑いを浮かべた。
「あー……シア、実は二日前から君を訪ねてきた客人……いや、客がいるんだが」
「お客さん?」
『会うのは初めてだな、クリスタシアの子よ』
「……ドラゴン?」
ディートヘルムの肩からひょっこり顔を出したのは、白い鱗を生やす小さなドラゴンだった。
ドラゴンといえば、聖女の浄化の旅に出てくるドラゴンが有名である。
生まれて初めて見るドラゴンに瞠目していると、ドラゴンはアナスタシアの膝に乗ってきた。
『若い頃の友にそっくりじゃないか』
突然現れたドラゴンは、アナスタシアの顔をしみじみと見上げている。
「あの、あなたは……?」
『我は……以前お前の母に助けられたドラゴン。人の世では白きドラゴンと伝わっているだろうが。遠慮なくシロちゃんと呼んでくれ』
「シロちゃん……私のお母様に……白きドラゴン……ええ!?」
思わずディートヘルムのほうを見れば、彼はただ頷くだけだった。
一体どうしてこんなところに、あの『白きドラゴン』がいるのか理解が追いつかず、目覚めたばかりのアナスタシアは驚愕するほかなかった。
***
二十年前、クリスタシアは聖女として浄化の旅に出た。
世界樹の頂上を根城にしていた穢れの根源――黒きドラゴン。その黒きドラゴンが浄化によって変貌した姿が、白きドラゴンである。
穢れを浄化された白きドラゴンは、クリスタシアに感謝を伝えて元の住処に飛び立っていったというのが、歴史書にも綴られている記録だった。
「どうして白きドラゴンが、ここに?」
『我のことはシロちゃんと呼べと言ったろう。お前の母が名付けてくれたんだぞ?』
「お母様が、白きドラゴンを、シロちゃん……」
聞けば白きドラゴンは、二日前に突然王城に姿を現したのだという。
理由は友であるクリスタシアの追悼と、約束を果たすため。
「約束……?」
『我はクリスタシアに命を救われた。ドラゴンは恩を決して忘れない。故に二十年前、約束をしたのだ』
もし困ったことがあったなら、一度だけ力を貸そう。どんな望みでも叶えよう。
そのために白きドラゴンは、クリスタシアに『念話』という力を一時的に与え、自分と交流を図れるようにした。
『我は願いが決まったら伝えろという意味で念話の力を与えたんだが、クリスタシアはことある事に話しかけてきてな。おかしな人間だと思ったが、気に入ってもいた』
念話。言葉を介さずとも、思ったことを相手に直接伝達することができる能力。それは力のある魔物や魔獣に備わった力だとされている。
『お前のこともよく聞かされていたぞ。親交力がずば抜けて高く、幼いながらに語り唄を口ずさめたと。妹思いで少しばかりお転婆が過ぎるところもあるが、優しい子だと』
「お母様が……」
アナスタシアは俯き、ぎゅっとシーツを握りしめた。
『どうした、母を思い出して悲しくなったか?』
「いえ、そうではなくて……嬉しくて」
『なに? 嬉しいだと?』
「お母様の思い出を、楽しそうに語っていただけたことが、嬉しかったんです」
この上ない幸せを噛みしめるように、アナスタシアは笑顔を浮かべた。
ドラゴンは驚いた様子で瞳を丸めると、次の瞬間には笑い声を響かせた。
『なんという子だ。クリスタシアの言っていた通りじゃないか。だからこそお前は精霊に好かれ、浄化を行えるのだろうな』
そして白きドラゴンは、そんな彼女になら渡しても問題はないだろうと、アナスタシアの膝に卵を置いた。
何やら不思議な模様が広がる手のひらサイズの白い卵を、アナスタシアはそっと掬い取る。
『それは百年に一度、世界樹から生まれる聖獣の卵だ』
「聖獣……って、あの?」
アナスタシアはぎょっとして卵を見つめた。同じく話を黙って聞いていたディートヘルムも顔色を変える。
聖獣といえば、精霊が多く存在する環境下に突如として生まれてくるという、神話やおとぎ話、伝説の中で語られる存在だ。
一説によれば聖女のように浄化の能力があり、ドラゴンなどの高位の魔獣すら意のままに従わせる獣の王の資質が備わっているとされていた。
ただ、どんな姿をしているのかは、想像上でしか描かれたことがなく、実際に目撃した人間もいないという話だった。
「本当にこの卵が、聖獣の卵なんですか?」
『ああ、そうとも』
「……ど、どうしてこれを、私に?」
『……。クリスタシアは命の灯火が尽きる瞬間、我に念話を送り一度きりの頼み事をしてきた。半端にしてしまった存在が、いつか消えてしまうことを悟っていたからだ』
白きドラゴンの視線が、つい、とアナスタシアの肩に向けられた。
「ルル……?」
精霊特有の淡い光を放つルル。
しかし、その小さな輝きは、とても弱々しくなっていた。
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