第37話 呼んでいる



 長いまつ毛にくっきりと縁取られるとりわけ綺麗な緑の瞳が、動揺を隠せず震えている。

 アッシュゴールドの緩く波打つ髪は、風の魔法で強引に暴かれたせいか少し乱れ、周りを漂う精霊の光がアナスタシアの白い頬を照らした。


「――聖女、さま」


 恋い慕うような声。誰が言ったのかはわからない。しかし、きっと皆が同じ気持ちだった。

 今まで頑なに隠していたローブの下の素顔に、誰もが息を止めて目を奪われているのだ。


 民に深く愛され、惜しまれてやまない聖女クリスタシアを彷彿とさせる美貌の少女。

 けれど、彼女はクリスタシアではない。

 その正体が誰なのかは、もうすでに明かされている。


 被りが取れてしまったのは、司祭が風の魔法を使ったからなのだろう。

 こんな形で顔を晒すとは思ってもみなかったが、もう隠すことはできそうにない。


「……アナスタ、シア?」


 夢でも見ているような顔をして、ヴァンベール公爵が名前を呼ぶ。


 ゆっくりと視線を動かしアナスタシアは父親を見つめる。

 ひどく驚き入った様子だが、さらにどこか嘆いているような感情が滲み出ていた。

 同じくべニート国王と王太子も、何かを察しているようで、現実を受け止めきれないでいる。


「おねえ、さま……わたし……ごめんなさい、ごめんなさいっ」

「ちょっと、何がどうなって……エティ、どうして泣いて……あの人に謝ったりなんかしているの!? そもそも、アナスタシア・ヴァンベールがどうしてここにいるのよっ」


 謝り続けるエレティアーナの横に寄り添う黄色髪の少女――十年前、アナスタシアとも交流があった雷の侯爵家の令嬢レイラである。

 レイラがはっきりとアナスタシアの名を口にしたことにより、式典の間には徐々に混乱が広がっていた。


「あれが、アナスタシア・ヴァンベール? あんなに、聖女様の面影があるなんて……」

「だ、団長はなぜ動かないんだ? 本当にアナスタシア・ヴァンベールなら、魔力制御の仮面も付けていないじゃないか」

「そうよ! 聖女様のお命を奪うだけの魔力暴走を起こしたのに、なんて無防備な」

「だけど先ほど陛下は……アナスタシア・ヴァンベールに、礼を言っていたぞ。穢れを浄化したって――」


 誰もが真実を知りたがっている。

 一体なにが本当で、なにが間違いなのかを。


「謝らないで、エレティアーナ」


 様々な意見が渦巻く中、アナスタシアの通った声が響いた。

 その瞬間、騒がしくなり始めていた空間がしんと静まり返る。


「お願いだから、大丈夫だから」

「アナスタシア、お姉様……」


 エレティアーナの表情を見たとき、アナスタシアは確信してしまった。

 あの子は覚えているのだと。

 正確に言うのなら、思い出していたのだと。


 クリスタシアが帰らぬ人になったことを知らされたとき、エレティアーナはアナスタシアを責め立てた。

 目が覚めたら母親は亡くなっていて、その原因は姉にあると教えられたのだ。仲の良い姉妹だったとしても、突然母を失った悲しみに耐えられるほど強くはない。


『おねえさまのせいで、おかあさまが死んじゃったのに! どうして平気でいられるのっ!』


 泣きじゃくるエレティアーナとは対照的に心ここに在らずのアナスタシアは、ただ妹の行き場のない感情を受け止めていた。

 当時は「自分が殺した」と思い込んでいたアナスタシアだったが、エレティアーナの姿に密かにほっとしていた。


 今だからこそ抱えていた想いのすべてが繋がっていく。


 ああ、この子が覚えていなくて、よかった。

 そう、思っていたのだ。


 いつからエレティアーナは本当のことを知っていたのだろうか。

 きっと、誰にも言えずにいたんだろう。

 一人で抱えるしかなかったのだろう。


 自分自身を責め立てるように謝るエレティアーナを前にしても、アナスタシアには咎める気持ちが一切湧いてこない。


「大罪の娘が、浄化を……精霊の力を借りただと……そんな、まさか……」


 大司教ロドリは信じられない表情でアナスタシアを指さした。

 わなわなと震えた様は、べニート国王や王太子、ヴァンベール公爵と同様で単純なものではない。

 ほかの人々が、「大罪の娘」や「聖女殺しの公爵令嬢」としてアナスタシアを見る中で、大司教ロドリの目はそれとは違っていた。


「……あ」


 その時、なにかに惹きつけられるようにアナスタシアは振り返った。

 アナスタシアを呼ぶ声が聞こえたのだ。


 ここに訪れたもう一つの理由を思い出し、アナスタシアの意識がそちらに逸れていく。


「ルム、バーン。こんなときに、ごめんね」


 こんな風に自分の正体がバレてしまった状況で好きに動いていいはずがない。

 けれど、これもアナスタシアには大切なことだった。


「声がするの、何度も私を呼んでる。だから――すぐ会いに行かないと」


 アナスタシアの力強い言葉に、ディートヘルムとバーンは揃って頷いた。



 ***



 急いで台座の前にやって来る。

 そこには、粉々に砕け散った共鳴水晶と、両翼が美しく伸びる装飾の聖女の魔法杖が置かれていた。


(まだ、穢れが残ってる)


 すべて浄化されたと思っていた穢れだが、まだ聖女の魔法杖の側面を覆うように残っている。


「待ってて、今すぐに――」


 魔法杖の両端に手を添え持ち上げた途端に、異変が起こった。


 空中に浮かんでいた数多くの精霊たちが、聖女の魔法杖に吸い込まれるようにアナスタシアの周囲に集まり始めたのである。


 そして、先ほどの浄化とは異なる強い光が辺りを満たした時だった。



『――かわいいかわいい赤ちゃん、はやく出ておいで。もっともっと、おうたを唄ってあげるから』


 光に包まれた空間に、幼い少女の笑い声が聞こえてきた。

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