第36話 正体




 精霊の光はアナスタシアの声に応えて波紋のように何度も広がる。

 しばらくすると黒いもやで充満していた式典の間は、玲瓏と澄み渡る空気に塗り替えられていった。


「こ、れは……すべて、精霊なのか?」


 王太子が見上げて口を開く。

 彩りにあふれた輝きに、その光景を前にした人々は驚きを隠せずにいた。


 限られた者にだけ視ることができる精霊が、この場にいる誰の目にも確認できている。

 それを可能としているのは、他者の視界に映るだけの影響力をアナスタシアが持っているからだ。



「エレティアーナ、どうかしたのか? どこか痛みが?」


 涙を流し続けるエレティアーナに、兄リカルドが声をかける。


「ちがう、ちがうの……そうでは、なくて……」


 呼吸は正常に戻り、穢れによって引き起こされた状態異常の危機を脱したエレティアーナだが、どうにも様子がおかしい。

 

(私だって、気づいたんだ)


 ――お姉様、と。

 消え入りそうなエレティアーナの声を聞いたのは、アナスタシアだけだった。

 アナスタシアがいる事実が信じられないのか、感情がうまく追いついていない様子に周囲は困惑するばかりである。


「まさかここまでとは……」

「あれだけ蔓延っていた穢れが綺麗に消えているじゃないか」

「こ、これで……すべて浄化されたのか?」


 続いて五侯らが口々に状況を述べた。

 エレティアーナに向けられた浄化は、驚くことに式典の間全体にも行き届くだけの威力を持っていたらしい。

 動きを封じていた重々しい穢れの圧力も綺麗に消え去り、光の防護魔法が解かれても問題はなくなっている。


(これで、浄化はできたの? ……そうだ、杖! 魔法杖は!?)


 アナスタシアは聖女の魔法杖の気配があった先に視線を向けた。

 あまり離れていない場所に、台座のようなものを見つける。

 穢れのせいで距離感を掴めていなかったが、聖女の魔法杖は案外近くにあった。


 すぐにでも走っていってどんな状態なのかを確かめたい。

 しかし、広範囲に渡って浄化の力を使った影響なのか、アナスタシアはすぐに立つことができなかった。

 


 そのとき、複数の足音とともに扉が開かれる。


「陛下、王太子殿下! 皆様、ご無事ですか!!」

「団長! いらっしゃいますか!?」


 入ってきたのは、国賓の避難誘導と穢れにより城内で暴れ回る人々の対処に追われていた兵士と、魔法師団員たちである。

 そして、大人数が中に押し寄せるのと、大司教ロドリが遺憾の声をあげたのはほぼ同時のことであった。


「一体どういうことだ! なんなんだこれは! なぜ、貴様は聖女の語り唄を知っているんだ!?」


 ぞろぞろと供を引き連れたロドリは、未だ床に座りっぱなしのアナスタシアをじろりと見やる。

 アナスタシアの腕を掴みかかる勢いのロドリの前に、ディートヘルムとバーンが立ち塞がった。


「随分な言い草ではありませんか、大司教殿。彼女は穢れを浄化し王国の危機を救ったというのに」

「貴様こそなんだ! そもそも、浄化の範囲がどれほどのものなのか、判断するには時期尚早ではないか!」

「ゼナンクロム帝国より参ったディートヘルム・エクトル・アステレードと申します。時期尚早といいますが、少なくとも兵士や魔法師団の方々がこちらに現れた時点である程度の予測は可能でしょう」

「ゼ、ゼナンクロムだと……」


 ロドリが慄いているうちに、ディートヘルムはちらりと扉の前にいる者たちを見る。


「そうではありませんか?」


 誰も彼も状況を理解できず呆然と立ち止まっていたが、ディートヘルムに言葉を投げかけられると代表して一人が口を開いた。


「え、ええ。我々もまだ信じられないのですが、城内の穢れ、また城外にまで広がりつつあった穢れが先ほど一斉に消えました……精神が不安定だった者も今は眠っております。全員命に別状はありません」

「だ、そうですが」

「じょ、浄化が真だとして……そもそも大使殿が、なぜその者と面識があるのだ」


 ディートヘルムが身分を明らかにすると、ロドリは上擦った声を出す。

 それでもどこか偉ぶる態度が滲み出ているロドリに、ディートヘルムは牽制にも似た笑みを浮かべた。


「言ったでしょう、大切な友人であると。ああ、ちなみにこの男は私の護衛です」

「同じく友人その二です」


 軽く挨拶を交わしたバーンは、目をすっと細めてロドリたちを見据える。

 剣に手を置かなくても視線だけで威圧を放つバーンに、司祭や司教らは怯えた様子で後ずさった。


「……失礼。彼は優秀な護衛でして、責務に忠実な振る舞いをどうかお許しください」

「さ、先ほどから減らず口を……! 私を馬鹿にしているのかっ」

「とんでもない。ただ、私たちの大切な友人に手荒な真似をしようとするのはやめていただきたいと、そう申し上げたかっただけのことです」


 冷ややかに発せられたディートヘルムの声からは、アナスタシアを守ろうとする意思が強く感じられる。

 無理やりアナスタシアの正体を暴こうとするロドリから、庇ってくれているのだろう。


 そこへ、王太子とヴァンベール公爵を連れたべニート国王がやって来た。


「大司教、ここは引いてくれぬか。大使殿の言うように状況は無事好転したのだろう。でなければ、我が国の兵士や魔法師団が国賓を放ってここに現れたりはしない。そのように命じたのは私だ」

「しかし陛下!」

「異議があるとしても帝国の客人にこれ以上の無礼な真似は許さぬ。大司教ともあろう人間が、理解できないと申すか?」

「……くっ」


 納得がいかないと言いたげな面持ちのまま、ロドリはべニート国王に場所を空けると一歩下がった。

 

「我が国の者が働いた非礼を詫びよう」

「こちらも無礼をお詫びいたします」


 ディートヘルムが頭を下げると、べニート国王の視線は後ろにいるアナスタシアに向く。

 国王を前にして座っているわけにもいかず、アナスタシアは力を振り絞った。


「膝、震えてる」

「あ、ありがとう」


 さりげなくディートヘルムが支え、アナスタシアは立ち上がることができた。


「……まずは、感謝を伝えたい。そなたの働きによって、穢れを退けることができた。我が国は救われたのだ」

国王陛下おじい様……)


 十年前よりも老いた目尻、けれど力強い眼差しにアナスタシアは口を開ける。しかし、言葉はなにも出なかった。


 ただ、頭を横に振ることしかできない。

 

「せめて名を、教えてはくれないか?」

王太子殿下叔父様


 王太子の問いにも同じような反応を見せるアナスタシアに、苛立ちを覚えたのは聖堂関係者である。


「やはり、なにかやましい事でもあるんじゃないのか」

「だから名も明かさず、顔を隠しているんだろう」

「浄化などではなく、まやかしの類いの可能性は」

「我々を騙しているに違いない」

「聖女様の力を語った欺瞞者ぎまんしゃだ!」


 大司教の後ろに控えている者たちは、好き勝手に言っていた。


「言わせておけばこいつら……聖女信仰者ってのは、こんなのばっかりなのかよ。俺の末の弟より話が通じねーぞ」

「精霊の可視化とわかりやすい浄化を前にしてもこれだ。強い崇拝も、ここまでくると思考の放棄だよ」


 ほんのり額に青筋を浮かべるバーンと、これにはディートヘルムも眉間に皺を寄せてうんざりした様子でつぶやく。

 アナスタシアが黙り込むのをいいことに、聖堂関係者らは「拘束して身を改めさせよう」と言い始める始末である。


 その瞬間、震えた声がアナスタシアの元に届いた。


「――ちがい、ます。アナスタシアお姉様は、そんな人ではありません!!」


 エレティアーナの発言とほぼ同時だった。

 ふわりと、深く被っていたはずのアナスタシアのフードが不自然に脱げる。


 何が起こったのか、理解が追いつかない。

 アナスタシアの良好になった視界が捉えたのは、ロドリの後ろでこそこそと司祭が魔法杖を所持する場面。


 そして魔法杖の先端には、嵌められた風光石がきらきらと輝きを放っていた。


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