第35話 浄化
椅子が乱雑に倒れ、閑散とした式典の間には、覚えのある顔ぶれがあった。
アナスタシアの祖父にあたるべニート国王、叔父である王太子、それに父親のヴァンベール公爵は勿論、兄のリカルド、妹のエレティアーナ。
そして、五侯の当主に、その子息や令嬢たち。
街で偶然遭遇するはめになった水の侯爵家のケヴィンの姿もある。
ほかは十年ぶりに見る顔ばかりなのだが、案外面影がありアナスタシアの記憶にある顔と名前は一致していた。
そして、聖堂の司祭や司教も数人ほどいるようで、穢れにより床に膝をつけ息を荒くしていた。
(この光魔法の結界は、お父様のものだ)
禍々しい空気の穢れから守るように、人が一箇所に密集する場所に半円型の透明な結界が張ってある。
穢れの根源がここにあるにも関わらず皆が精神を保っていられるのは、間違いなくヴァンベール公爵の防護魔法のおかげだった。
(先が暗くてよく見えない。これ、全部穢れ?)
禍々しい気配が大広間の奥から伝わってくる。
同時に痛々しい魔法杖の感情も。おそらく式典の間の一番奥に、聖女の魔法杖があるのだろう。
「シア、こっち」
「えっ、だけど」
すぐそばにある光の防護魔法の中へ迷いなくディートヘルムは入っていく。
他人の結界に許可なく入るには、弾かれないために同じ属性同士での調和が必要になる。
並大抵のことではないのに、ディートヘルムのあとに続いてアナスタシアとバーンもすんなりと入ることができた。
「たた、大使様……っ!?」
「モンド殿、無事でなによりです」
血相を変え駆け寄ってきたのは、若葉色の丸眼鏡をかけた男。ディートヘルムの言葉に、彼がモンドなのかとアナスタシアは納得した。
「す、すみません……杖に刺激を与えないほうがいいと止めていたんですが、色々ありまして……」
モンドは弱気な声を出しながら、今も床で息を荒らげている聖堂関係者に目を向ける。
ディートヘルムによれば、聖女の魔法杖は魔法師団第四棟で管理されていたという話だった。
だというのに、穢れの問題が解決できないまま運ばれているということは、誰かの圧力がかかったのかもしれない。
(重要な式典の中止が難しいことは知っているけど、穢れのある魔法杖を無理に動かさないといけない状況になったというなら……)
聖堂の関係者に目を向けたアナスタシアは、その中でも一際目立つ祭服に身を包む男性の姿を見つけた。
ラクトリシア王国にある全部の聖堂を統括し、王家へ意見することを許された特別権限を持つ一人――聖主会の大司教ロドリ。
十年前、大聖堂で行われたアナスタシアの罪を問う審判で、アナスタシアを一番に論難していたのは彼である。
聖女を崇拝する大司教ロドリならば、無理強いする姿が容易に想像できた。
当時のことを思い出し、アナスタシアはつい萎縮してしまう。
そんなことで気を揉んでいる暇はないというのに。
「けけ、穢れが暴発し、最前列にいた私たちは、身動きが取れない状況で……団長の結界のおかげで防げてはいますが、そ、それも時間の問題で……せ、精霊も穢れにあてられて姿を消してしまいましたし……」
言いながらモンドは子犬のように体を縮める。
アナスタシアは彼の頭上横に目を向けた。
(穢れで、弱っているんだ)
モンドは気づいていないようだが、彼のすぐ近くに風の精霊の気配がする。
穢れによって姿が消えかかってはいるが、存在自体がなくなったわけではない。
(ルルも調子が悪いみたい……早くなんとかしないと)
アナスタシアの肩にいるルルも、おとなしくじっとしていた。
「モンド殿、こちらが穢れを浄化できる……私の友人です」
そっと背中に手を添えられ、ディートヘルムの隣に立つ。
途端に全員の視線が集中していくのがわかった。
「こ、この方が……ですか……?」
「……」
正面からモンドに見つめられ、アナスタシアは内心慌てていた。
後先考えずに来てしまったため、こうして誰かと対峙したときの言葉を何も用意していなかったのだ。
「ええ、杖から私の体に移っていた穢れも綺麗に浄化してくれました」
「な、なんと……我が国に聖女の……浄化の力を持つ者が既に存在していたとは……して、その者は」
「……っ」
べニート国王に言葉をかけられ、アナスタシアは黙り込む。
「名を明かせない理由が?」
「……他に手はない。浄化の力があるというのなら、まずはこの事態を収集する方が先だろう」
王太子が奇妙な視線を向ける横で、ヴァンベール公爵が言い切った。
その言葉に、アナスタシアは自分がここにいる理由を再確認する。
(今は、私にできることをやるだけ)
そう、フードを深く被り直したときだった。
「きゃああ! エティ、エティ!」
「しっかりしろ、エレティアーナ!」
すぐ近くからあがった叫び声に、アナスタシアは振り返る。
そこには、五侯の子息、令嬢たちの中心で体を横たえるエレティアーナの姿があった。
過呼吸を起こし、震えは治まる気配がない。
死人のように顔が蒼白くなったエレティアーナは、ここにいる誰よりも穢れの影響を受けているようだった。
大広間にたどり着くまで、穢れによって錯乱状態になった人々を目にしていたが、エレティアーナの状態はさらに酷く最悪といってよかった。
「いやぁっ、エティ! どうしよう、どうすればいいのっ」
「ごめんなさい、そこ、どいてください!」
悲鳴をあげる黄色髪の少女を押し退ける形で、アナスタシアはエレティアーナの前に膝をついた。
「君は……!」
エレティアーナを挟んで正面にいたケヴィンが、アナスタシアのローブを見ると目を大きく広げる。今になって街で遭遇した素性不明のローブのやつだと気づいたのだろう。
「……エレティアーナ」
こうして、妹の顔を見るのはいつぶりだろうか。
体がとても弱く、熱が出ない日の方が少なかったエレティアーナは、少しの
それでも調子の良い日は一緒に外で遊び、花の冠を作って母親に贈ったりと、楽しい思い出もたくさんある。
「大丈夫だよ、エレティアーナ」
エレティアーナの頬に手を添え、優しい声音が耳元で囁かれた。
ふと、濡れた瞳がアナスタシアの姿を映し、まるで安堵したように涙を溢れさせる。
頭で考えるのではなく、勝手に体が動く。
何をすればいいのかではなく、必要なのは慈悲深い祈り。
アナスタシアは少しだけ、その意味がわかった。
「――」
息を吸い込み、アナスタシアは唄を紡いだ。
精霊に呼びかけるように広がっていく美しい響きの音に、吸い寄せられ現れるのは色とりどりの光。
アナスタシアを待っていたかのように精霊たちは次々と姿をあらわにし、それは周囲の人間すらも可視化できるほどになっていた。
「おね……さま…………」
唄が終わる頃、すっかり顔色が良くなったエレティアーナは、自らの口に両手を当てて、大粒の涙を流していた。
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