第34話 慈悲
バーンによって状況を知ったアナスタシアたちは、急ぎ王城へと向かった。
すでに街中は騒然としており、黒きドラゴンによる穢れが充満した時代を知る人々は、恐怖に慄いていた。
(ルムの魔法、すごい。あっという間に着いちゃった)
ディートヘルムの風魔法により街中を一瞬で移動できたアナスタシアは、目の前の城門を見あげてごくりと唾を飲み込んだ。
(本当に、ここに来たんだ)
幼少時に何度も登城した記憶はある。
けれど、あの事件以来は、アナスタシアの処遇を決める『審判』のときのみ訪れたきりだ。
「まずいな……遠目で確認したときよりも、穢れの濃度が濃くなっている」
隣に立つディートヘルムは眉を顰める。
城門の先にある王城は、穢れがはっきりと目視できるほど色濃く、周囲を包み込むように黒い霧で覆われていた。
「国賓の半分は城外に避難できたらしいが、残りは逃げ遅れていてな。穢れが充満しているせいで救護も間に合っていない……街に穢れが広まるのも時間の問題だぞ」
「ああ、早く対処したほうがいいな」
「対処っつっても、この穢れをどうにかできる方法があるのか!?」
「シア」
ディートヘルムの声に、アナスタシアはふと顔をあげた。
「君ならこの穢れを、浄化できるはずだ。俺についた穢れを払ってくれたように」
「……は? シアが、穢れを? つーか、あれ、顔……!?」
思ってもみなかったというように、バーンはアナスタシアを凝視する。
魔力制御の仮面が外れたアナスタシアは、ローブのフードを深く被ってこの場に立っていた。
素顔を見せ慣れていないため、バーンの力強い視線につい逃げ腰になってしまう。
「なんだ、気がつかなかったのか? さっき急に仮面が外れたんだよ」
「報告に気を取られて全く……いや、それよりシアが穢れを浄化できるってどういうことだ!?」
「……」
一瞬、ディートヘルムが気遣うような目で見てくる。
自分が言っていいものか、そもそも明かしていいのか考えあぐねた様子だ。
「……私が、アナスタシア・ヴァンベールで、お母様からその力を受け継いだかもしれないからだよ、バーン」
「へ?」
目を丸くし固まったバーンに、アナスタシアは続ける。
「ごめんね、黙ってて。さっき、ルムにも伝えたばかりなんだけど」
「シア、が……アナスタシア・ヴァンベール……?」
「うん、そうなの」
「シア、が……」
「う、うん」
「シア――」
「いつまで繰り返しているんだ、時間がないってのに」
ディートヘルムによって問答が終わる。
それでもバーンの瞳は驚愕の色を浮かべてアナスタシアを見続けていた。
「急に、ごめん。こんなときなのに……でも、バーンにだけ言わないのも嫌で。二人は、私の友達だから」
少しの照れくささを感じて、アナスタシアはフードの端をきゅっと摘みうつむいた。
呆気にとられたバーンは何度も瞬きを繰り返し、ぽかんと口を開けている。
ディートヘルムと、バーン。アナスタシアの中で二人は特別である。
だからこそ告げるのなら自分の口からと、そう思ったのだ。
(私が、ここまでの穢れを浄化できるだなんて思っていないけど)
アナスタシアがここに来た理由は、第一に「聖女の魔法杖」が気がかりだったからである。
普段は聖堂により厳重に保管される国宝杖であるものの、アナスタシアにとっては母親の形見という認識だった。
お腹に子を授かり、床に伏せることが多かった母親の傍らには、数々の苦楽を共に過ごした魔法杖があった。
たとえこの十年間、見ることも触れることも叶わなかったとしても、聖女の魔法杖は母親が残した大切なものなのである。
放っておくことなんてできない。
それがアナスタシアの素直な気持ちだ。
「誰かがなんとかしないと、このままってことだよね。そして、私にはこれを浄化できるかもしれない。――私に少しでもその可能性があるなら、試してみたい」
ここに立ってからというもの、聞こえてくる。
たすけてと、まるで叫んでいるみたいに。
杖の、泣いている音がする。
***
城内に足を踏み入れた途端、アナスタシアの目には凄まじい光景が広がっていた。
ぶつぶつと不気味に言葉を唱える者、一心不乱で近くの柱に額を打付ける者、床をのたうち回りもがき苦しむ者、錯乱し武器を手に人々に襲いかかろうとする者。
まさに、地獄のような空間だった。
「酷い……」
「穢れによる精神破壊が起こっているんだ。根源をどうにかしなければ、この悪夢は続くだろうな……」
「俺たちだって油断ならねぇぞ。正直、今でも正気を保ってるのがやっとだ」
精霊と親交力があるディートヘルムや、聖愛を受けるバーンは穢れの影響がまだ出にくいらしい。
事態は一刻を争うため、アナスタシアは穢れの根源とされる聖女の魔法杖のもとへ急いでいた。
「ルムは、どうしてお母様の魔法杖から穢れが現れたことを知っているの?」
回廊を走りながらアナスタシアは疑問を投げかけた。
「……数日前、城に呼び出された際に聖女の魔法杖を近くで見る機会があったんだ。そこには陛下や王太子、ヴァンベール公爵と、統括長のモンド殿の姿があった」
「モンド……モンド・ウィンターク様のこと?」
「ああ、そうだ」
そこでディートヘルムは、聖女の魔法杖から少量の穢れを発見することになったのだという。
「聖女の魔法杖に穢れが出たなんて間違いなく国家機密だからな。知る人間は限られるし、偶然出くわした俺は全属性の魔法が扱えるってことで、光の魔法で穢れをしばらく抑え込む手助けをしていたんだが。浄化となると聖女の力が必要だった」
しかし、今現在ラクトリシア王国に新たな聖女は誕生していない。それはどの国も同様であるため、要請することもできなかった。
「乗り掛かった船だと穢れに近づきすぎたせいで、俺の体もだいぶ影響を受けていた。そんなとき、シアが難なく浄化の力を使った。それを見てまだ手があると思ったんだ」
「あ……」
ディートヘルムから逃げ出した昨日のことが思い出される。
アナスタシアが逃げ帰ったあと、ディートヘルムはモンドを含めた第四棟の最奥の間にいた者に、浄化できる可能性がある者がいるかもしれないという話をしたそうだ。
国王陛下や王太子、ヴァンベール公爵らは、すぐにそれが誰なのかをディートヘルムに突き止めようとした。
「国家の一大事……彼らの行動は当然のもので、国主として民を守るためになりふり構っていられないのもわかっている。それでも、すぐには連れて行けないと断ったよ」
「どうして?」
状況が状況なのだから、逃げたアナスタシアを魔法でもなんでも使って捕まえて、城へ引きずっていくこともできたはず。
そうでもしていれば、穢れが爆発的に広がる事態を防げたかもしれない。
「まずは、シアと話さなければと思ったからだよ。それに、シアに浄化の意思があるか……国を助けたいと思えるかどうか、疑問だった」
「疑問……?」
ふと、ディートヘルムの走る速度が緩まっていく。
「聖女の力の定義は、なんだと思う? そもそも浄化の力とはなんなのか。浄化とは即ち――慈悲深き祈りだ。精霊からの力を受け、自身と調和させ、清らかな心の持ち主が祈りを捧げることで生まれる奇跡。それが浄化だと聞いている」
「慈悲の祈り……」
「シアは……どんな理由があったとしても、国が危機に晒されているような状況だとしても、今まで散々疎み虐げ続け、君の死すら望んでいるような民を、心から救いたいと思えるか?」
慈悲の心といわれても、アナスタシアは今一つわからなかった。それが民に対する感情に当てはめるのなら尚更に。
「私は――」
ゆっくりと、足が止まる。
考える暇もなくアナスタシアがたどり着いたのは、式典の間だった。
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