第31話 核心



「それ、だけ?」


 一世一代の告白にしてはあまりにも拍子抜けしてしまうルムの反応に、アナスタシアはたまらず聞き返す。


「あ、そうか。礼を言っていなかった。本当の名を教えてくれてありがとう、シア」


 先ほどの自分とまったく同じ返答に、すぐさまアナスタシアは首を横に振った。


「そういうことじゃなくて……!」

「ん? なにか違ってたか?」

「……だって私は、アナスタシア・ヴァンベールなんだよ?」


 アナスタシアは詰め寄る勢いでディートヘルムに体を向けると、腰を下ろしているベンチに両手をついた。


「どうしてルムは、私になにも言わないの?」


 アナスタシアが縋るように口にすると、ディートヘルムはわずかに顔を歪めた。

 そして、どこか困ったような面持ちと落ち着いた声音で尋ねてくる。


「それは、聖女殺し云々についてのことをか? それなら前に言ったはずだ。俺はアナスタシア・ヴァンベールが殺したとは思っていないと」

「……っ」


 ああ、そうだったと、アナスタシアは思い出す。

 帝国人である彼は、初めからアナスタシアが身近に触れてきたこの国の人間とは違っていたのだ。


「……なぜだろうな。俺には君が、罰せられることを待ち望んでいるように見える。まるで自分から中傷を求めているように感じるんだが、これは気のせいではないよな?」


 その言葉に、体がびくりと跳ねる。

 視線を左右にさまよわせたアナスタシアは、どう応えようかと思考を巡らせた。

 しかし、うまい返しは一向に出てこない。


「……シア、俺はさ。学園へ推薦したいと思える人と出会えたとき、自分なりに聞き込みをして回るんだ」


 ふと、ディートヘルムはそんなことを言い出した。

 

「言ってしまえば身辺調査だ。その者の人物像を知るには、関わりある者に尋ねるのが一番だからな」

「私のことを、調べていたの……?」


 純粋な驚きから出たアナスタシアの言葉に、ディートヘルムはさらに申し訳なさそうに眉を下げた。


「すまない。君からしたら気分のいい話じゃないな」

「違うの。そういうことじゃなくて、私のことを誰に聞いたの?」


 単純な疑問だった。街での自分を知る人物なんて五本の指にも満たないから。

 もしディートヘルムが聞き込みをしたというならば、アナスタシアが思いつく限り素材屋の店主であるコットしかいない。


「まずは、素材屋の店主に話を聞いた」


 どうやら予想は的中したようだ。

 シアと名乗って街を出歩くアナスタシアが関わりを持っている人物といえば、まず最初に名が挙がるのが彼である。


「次に広場の子どもたち、あとは工房付近の民家の住人だ」

「……え? 民家?」


 まさかそこまで聞き込みの範囲を広げているとは思わず、アナスタシアは瞠目した。

 先日ディートヘルムと助けた広場の子どもはまだわかる。しかし、民家の住人はいつも横を素通りするだけで、誰とも会話を挟んだことはない。


「まず、素材屋の店主はこう言っていた。いつも一人でいる君だが、とても明るく優しい子だと」


 視線を斜め上に傾けたディートヘルムは、ひとつひとつ自分が聞いたことをアナスタシアに伝え始めた。


「そして、広場の子どもたち。彼らに君のことを尋ねると、皆口を揃えて"猫のお姉ちゃん"と言った。猫を助けてあげたことがあるんだろう?」


 猫のお姉ちゃん。

 以前、アナスタシアは広場の子どもが見つけた傷だらけの野良猫の手当てをしたことがあった。

 子どもたちとの会話は最低限に、時間で数えれば五分もかからない出来事だったが、それ以来子どもたちはアナスタシアの存在を認知するようになった。

 たまに広場で見かければ手を振り合う、そんな関係だったのだ。


「工房付近の住人たちは、君が通りを掃いてくれて助かっていると言っていた。それと、工房に一番近い民家に住むご婦人によると、いつも君が倒れたプランターを直してくれていることに気づいていたらしく感謝していた」


 工房に隣接する赤い屋根の民家の前には、花が植えられたプランターが綺麗に並んでいる。

 けれどたまに強風に煽られて倒れてしまうことがあった。

 それをアナスタシアは、工房の前の通りを掃き掃除するついでに毎回といっていいほど直していたのである。

 朝の早い時間帯であるため、誰も見ていないと思っていたのだが、まさか近くの住人に目撃されていたとは。


 アナスタシアが人を避けていることに気づいて今まで接触には至っていなかったが、どうやらこの近辺の住人は通り道を清掃する彼女の存在を快く思っていたらしい。


「あの子が誰で、どんな子なのかはわからない。だけど、きっと優しい子なんだろう。今までの行動を密かに見ていたのだから、それぐらいのことはわかる。……というのが、この近辺にいる人たちの言葉だ」

「……そう、なんだ」


 まるで褒められているような感覚に、気が引けてしまう。

 アナスタシアの相槌は、消え入りそうなほど小さくか細いものだった。

 次にディートヘルムはなにを言い出すのか。全く予想がつかないため体は自然と身構えている。

 

「俺から見ても君は優しい子だと思ったよ。エマのことだってそうだ。君は真っ先にあの子を助けに動いた。しかしそれは誰にでもできることじゃない」


 自分にはもったいないほど褒められ評価されているというのに、胸騒ぎはとどまるところを知らない。


 このまま彼の言葉に耳を傾けていては、何かが変わってしまう。

 そんな予感が、アナスタシアの脳裏をかすめたときだった。


 その核心に、ディートヘルムは容赦なく切り込む。


「――なあ、シア。君がアナスタシア・ヴァンベールで、十年前に聖女を失う原因となった魔力暴走を起こしたのだとしたら。こんなにも他人を気遣える君が、危害を加える可能性がある身で安易に街を出歩いたりするのか?」

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