第29話 眩しい光





 ――式典当日。


 朝というにはいささか早い、薄明を抜けたばかりの空を見上げて、アナスタシアは息をついた。

 そろそろ本邸の使用人が、アナスタシアの食事をテーブルに用意して引き返している頃だろう。


 本邸と別邸は徒歩で五分といった距離にある。

 ここから本邸の様子が伝わることはまずないが、この日ばかりは違う。

 扉門から出て行く人の足音や、車輪が地面を転がる音が多く聞こえるのだ。

 

 それはおそらく、昼からおこなわれる式典のためのものである。



「……どうしよう」


 アナスタシアが起きたのは二時間も前。それからずっと窓のそばに立っていた。

 淡く白んでいた空はいつの間にか、日が昇ったことで暁が降りている。


 今日は気持ちがいいくらいの晴れになるだろう。

 そう予感させる空を見上げて、アナスタシアはまたもため息を吐く。


「どうしよう……どうしよう」


 これでもう百は超えている「どうしよう」を、アナスタシアはさらに回数を増やしていた。


 魔法杖の受け渡しは、本日朝の八時を予定していた。

 その時間帯ならば、父や兄、妹も式典に参列すべく屋敷を出ているからと、ルムに指定したのである。


 約束の時間まで、あと数時間は余裕があるわけだが、アナスタシアの苦悩は尽きない。

 もう昨日からのことなので、すっかり寝不足になっていた。



(ルムに、会わない方がいいんじゃないのかな……)


 その思いが頭によぎる。

 なぜならルムは、アナスタシアが「シア」とは別の誰かなのではと確信していた。

 そして、それは当たっている。


(ルムは、私がアナスタシア・ヴァンベールだと気づいている)


 アナスタシアがおこなった昨日の行動と合わせて、顔を仮面で隠しているのも判断する材料だったのかもしれない。

 ローブの頭巾を被って覆っていても、やはり顔にある仮面は多少なりとも見えてしまう。

 街の人々は、旅人や旅芸人に見慣れているからそこまで不自然には思わなかっただろうけれど。


 精霊の力でアナスタシアが「穢れ」を浄化したと断言していたルムは、シアが顔を隠しているのもアナスタシアだからという考えに至ったに違いない。


 そんなつもりはなかった。

 浄化といわれても、アナスタシアには覚えがない。

 ただ、体が勝手に動いていたのだ。ルムの顔色を少しでも明るくさせられたらと、元気になって欲しいと。

 そう願っていたら、彼の額に手が伸びていたのだ。


(……そもそも私は、外に出るべき人間じゃないのに)


 アナスタシアが軟禁状態となっているのは、幼少時に起こした原因不明の魔力暴走が、また起こっては危険だからという理由である。

 それに加えて、聖女を殺めてしまった罪から、公に出ることを望まれていないのだ。


 そんな彼女が実は姿を偽って街を歩いていた、なんてことが知られたら――きっと批判の海となるだろう。


(ルムはわたしのこと、誰かに伝えるつもりなのかな。もし魔法師団に情報がいってしまったら、お父様の耳にも入るだろうな)


 もしかするとバーンにはすでに知られているのかもしれない。

 彼はルムと旧知の仲だといっていたし、そもそもルムを任せて宿に引き返したのに、帰ってきたらアナスタシアは逃げていていないのだ。疑問に思うだろう。


(だけど、仕方がない。禁じられているのに、外に出ていたのは私なんだから)


 それでも――と、アナスタシアは手に力を込める。


(あの魔法杖だけは……)


 そのとき、アナスタシアの目の前にルルが現れた。

 ルルはなにかを伝えたいのか、彼女の眼前でくるくる円を描いて飛び回っている。


 想像に過ぎないが、ルルはアナスタシアを励ましているのかもしれない。


「……うん、そうだね。ルムとバーンには会わなかったとしても、魔法杖をそのままにはできないよ」



 アナスタシアは意を決して、クローゼットの中にあるローブに手を伸ばした。

 それを羽織って頭巾を被ると、部屋の外に出る。


「…………」


 当たり前のことだが、人がいる気配はない。

 そして今日は母の慰霊日ということもあり、父や兄はアナスタシアのもとに姿を現すことはなかった。


 毎年そうである。

 惨劇の元凶だと思い恨んでいるアナスタシアに会いに来るほど、その悲しみは癒えていないのだ。




 ***



 早朝の澄んだ風が頬を抜ける。

 アナスタシアは薄明るい街を早足で駆けていた。


 手には一枚の紙が握られている。それはルムとバーンに宛てた置き書きだった。

 やはり彼らに会うことはできないと思ったアナスタシアは、せめて魔法杖のことだけはお願いしたく気持ちをしたためたのだ。

 

 時刻は朝の五時半を回ったばかり。今ならば八時にと約束していた彼らと再び会うことはない。


 人の通りがない路地を抜けて、速度を落とさずに工房へと一直線に走る。


 そろそろ街の人々の活動も始まる頃だ。

 それまでに工房のテーブルに手紙を置いて、屋敷に戻ろうとアナスタシアは頭で考える。


 そして今日が過ぎ、明日がくるまで、部屋に閉じこもっているのだ。


(――穢れ)


 ただ、どうしてもわからないことがある。

 なぜルムは、穢れの影響を受けていたと言っていたのだろう。

 穢れは二十年も前に、聖女であった母クリスタシアが浄化したはずだというのに。

 同時に穢れの根源だったという「黒きドラゴン」も癒し白きドラゴンとなり、根城にしていた世界樹の頂上から元の居場所に帰っていったのだ。


 聖女たちの旅は、そこで終わった。

 すべての穢れは浄化され、厄災は静まった。


(一体、どこで――)

 

 そうしている間に、アナスタシアは早くも工房にたどり着こうとしていた。

 薄暗い路地裏を抜け、民家を抜けた先に、薄桃色の花を咲かせる目印の木が――


「え……?」


 駆け足がみるみると遅くなり、アナスタシアはその場に立ち尽くした。


 古びた工房に、朝日が降りている。

 アナスタシアが立ち止まってしまったのは、工房の庭に植えられた木を見上げる人影を見つけてしまったからだった。


 アナスタシアの小さな驚き声に気がついた彼は、振り返ってアナスタシアを見据えた。


「――シア」


 銀色の瞳が安堵したような和らぐ。

 どこか申し訳なさそうな表情を浮かべながら、ルムはこちらに歩いてくる。


「シア、昨日はごめん」


 目の前に佇んだルムは、開口一番そう言った。

 なんだか謝り方に幼さを感じながら、アナスタシアは彼を見上げる。


「……ルム、なの?」


 登りきった太陽の陽射しが強くなり始めていた。

 

 生まれてはじめて見た髪色に、アナスタシアは目を奪われる。

 ほんのりとした眩しさのなか、光を受けて輝くルムの髪は、息を呑むほど美しい――銀色混じりの漆黒に彩られていた。


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