第27話 不穏な温度



 ――あれから五日が経過した。

 街を歩けば各国から使節団が到着したという情報が続々と耳に入ってくる。

 いよいよ明日に控えた式典を前に、王都は神妙な空気感に包まれていた。



「――ルム、バーン! おはよう!」


 この日、朝食を済ませたアナスタシアは、ルルを連れて工房前にやって来た。

 最後に彼らと会ったのは二日前ということもあり、逸る気持ちをうまく隠せず、アナスタシアは遠くから二人に手を振ってしまう。


 呼び捨ても会話も、初めのうちはぎこちなかったアナスタシアだけれど、親身で話しやすい二人のおかげで何とか上手く接せていた。


「……おはよう、シア」

「おう、二日ぶりだな」


 アナスタシアが駆け寄ると、二人は笑顔で迎える。

 

 友達のような――いや、もう友達なのだが、ちょっとしたやり取りで照れくさくなるのは、アナスタシアだけの秘密だ。

 

(ついに、明日。それで、二人とはお別れなんだ)


 期間限定の友達という存在を、アナスタシアは受け入れた。

 本当ならば許されることではないけれど、これも思い出として残そうと決めたのである。


 彼らと出会った当初は、言葉を交わすだけでも胸がいっぱいになったというのに。驚くべき変化だ。


 肝心の魔法杖に関しても、すでに譲渡日が決まっている。

 明朝頃、ルムがほかに幾人かの人手を連れて、すべての魔法杖を引き取ってくれるのだ。


(だから今日は……諸々の確認と、料金について話したいって言っていたけど)


 さすがに百本もある魔法杖を、無償で貰う気はルムにないらしい。

 お金をかけずに欠陥素材で生成したものなので、アナスタシアは受け取ることを躊躇していたが、そこはうまく押し切られてしまった。


 それに加えて、ルムの魔法杖を修復した料金も合わせて支払われることになっていた。


 ――しかし。


(まただ。ルムの精霊が……)

 

 二日前より、目に見えて元気が無くなっている。

 それはルム本人も同様に、隠しているようだが確実に顔色は悪かった。


(なにかあったのか、聞いてもいいのかな。前に寝不足でって言ってたけど。寝不足で周りにいる精霊の元気もなくなるもの?)


 余計なお世話になってしまうかもしれない。

 けれど、アナスタシアは自分の中にある胸騒ぎを無視することはできなかった。


「ルム、あの」

「うん? どうか、したのか?」

「今すごく、具合が悪い……よね?」

「――っ」


 そう尋ねれば、言葉よりも早くルムに異変が起こった。


「ルム!!」


 バーンからは吃驚な声があがり、アナスタシアには、自分のほうに倒れ込んでくるルムの動きが止まっているように見えていた。


「ルム……ルム?」

「……っ、悪い」


 怠そうに傾いたルムの体を、アナスタシアは必死に支える。

 ルムは体勢をもとに戻そうとしているが、力が入らないのかアナスタシアに寄りかかったまま動きを止めてしまった。


「ルム、俺の肩を使え!」


 バーンが手を貸したおかげで、アナスタシアからは重みが引いていく。

 けれど、手に残った不自然な温度がアナスタシアは気になった。


(熱はなかった。それどころか、びっくりするほど冷たかった……?)


 支える際にルムの首筋に手が当たったアナスタシアは、人の肌とは思えない温度に声が出なかった。

 まるで真冬の中で吹き荒れる風に、長い間晒されていたような、氷のように冷たさだ。


「とりあえず、ルムを中へ運べる? 寝かせられるようにするから」

「わかった!」


 ルムを担いだバーンは、アナスタシアの後ろを続くようにして工房の中に入った。

 すぐさま椅子や台を並べ、その上から綺麗な布を敷く。

 急ごしらえで作った簡易な台だが、ルムが横になるだけの大きさにはなった。


 寝かせられたルムは、目を瞑って浅い呼吸を繰り返しおこなっている。

 

「ルムのやつ、ここ数日で急に体調がおかしくなってるんだよ。朝も無理すんなって言ったばかりだったってのに……約束は破れないってきかなくてな」

「私のことなら、二の次でよかったのに」

「そうは、いかないだろ」


 まだ辛そうな様子のルムは、額に自分の手首を乗せて口を開いた。


「ルム……体はどうだ?」 

「バーンは大袈裟なんだよ。おそらく疲れが祟ったんだろう、少し休めば直によくなる。シアには、ここを借りてしまって迷惑をかけるが」

「ううん。体調が悪いのに、気なんて遣わないで。良くなるまでは、横になっていないと」


 アナスタシアが激しく首を横に振れば、ルムは小さな声で「ありがとう」と言った。


 それから、またゆっくりとまぶたを閉じる。

 相当溜め込んでいたのだろうか、すぐに寝息が聞こえてきた。


「……シア。少しの間だけルムを見ていてくれないか。効くかはわからないが、俺は宿に戻ってルムが常備している薬を取ってくるから」

「それはもちろん、構わないけど」

「恩に着るよ。本当に助かる。じゃあ、すぐに戻ってくるから、ルムを頼む」

 

 慌ただしく工房を出ていくバーンを見送り、アナスタシアは近くの椅子に再び座る。

 

(髪の毛……邪魔そう)


 ルムの茶髪が肌に引っ付いている。

 このままでは寝苦しいだろうと、アナスタシアは爪の先を使って髪を慎重に横へと寄せた。


(あ、よかった。少し、顔の強ばりがなくなったかも)

 

 アナスタシアはすぐにルムから手を引っ込めようとするけれど、思いがけないことが起こる。


「みんな、どうしたの?」


 伸ばしたアナスタシアの手に集まるように、精霊たちが光を灯して姿を現した。

 皆が皆、ルムを労るように距離を保ちながら、彼を見守っている。


(みんなも、ルムを心配しているんだ)


 ルムと精霊の道筋で繋がった精霊も、周りの精霊たちに感化されて光の強弱をつけ始めた。

 それはまるで、アナスタシアが魔法杖を生成するときの光景のようだった。



「――」



 そっと、アナスタシアはルムの額に手を添える。


 突き動かされるように、唇から紡がれたのは――だった。

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