第26話 友達の定義



 頭が真っ白になりそうなところで、アナスタシアはぐっと堪えた。


(私……声に出していた?)


 ルルとの会話に慣れてしまっているため、独り言のように口を動かす癖があるとはいえ――。

 願望じみたことを言葉にしている自分に、アナスタシアは戸惑っていた。


「わ、私は何を言って……あ、あれ?」


 アナスタシアは立ち上がると、我を忘れたようにあたふたとぎこちない動きを繰り返した。


「ルムさん、今のは違うんです、本当に。口が滑ったといいますか、とにかく違うんです」


 言い訳まがいなことばかり並び立ててしまう。

 アナスタシアは気が動転してしまい、あきらかに視線を感じるルムのほうを見ることができなかった。


 逃れた視界の端には、ルルが飛び回っているのが見える。

 アナスタシアを落ち着かせようとしているようだが、あまり効果はない。




「なら、君さえ良ければ――友達になろう、シアさん」


 ほぼ空気と変わらないアナスタシアの声が、口から漏れる。

 反射的にルムへと視線を戻せば、無邪気な子どものような笑顔に目を奪われた。


「私と、ですか?」

「ああ、もちろん。はは、そう固くならなくても」


 まじまじと聞き返すアナスタシアに、ルムの目尻が柔らかく下がる。


「友達……私に、言ってます……よね」

「俺は、シアさんに言っているんだ」


 ルムは優しく頷いて、片手をこちらに差し出してくる。

 間違いではないのだの確信したアナスタシアは、どうするべきかわからず息を呑んだ。


「……」


 アナスタシアがなにか言おうとすれば、唇が力み無言のまま開閉が繰り返されてしまった。

 

(な、なんて答えればいいの。どうしたら――)


 その時だった。

 アナスタシアの前を、小さな光の粒が舞い降りる。


(ルル?)

 

 アナスタシアを心配して彼女の周囲を飛び回っていたルルは、花びらが落ちるような不規則な動きをして、ルムの肩に乗る。


 ルルが何を伝えたいのか。この時ばかりはアナスタシアもさっぱりだったけれど――少なくともルルなりに彼を慕っているらしい。


 そして、ルルは乗っていた肩から、彼が差し出す手のひらにふわふわと移動して。


「――あ」


 思わず伸ばしたアナスタシアの手と、ルムの手が重なり、結果的に二人は握手を交わすことになっていた。

 

「改めてよろしく、シアさん」


 知人から友人へと変わった瞬間に、アナスタシアは呆気なく感じながらも心を揺さぶられていた。


(友達……に、なったの?)


 よくわからない。

 そのような存在は、かれこれ十年近くいなかったのだ。友達の作り方も、どうなるのかも、握手をすれば成立する関係なのかもわからない。


 アナスタシアの中で、慣れない感情と心苦しさが同時に込み上げる。

 どう扱うべきなのか手に余る問題だった。


「といっても、少し照れくさい気もするな。友達になろうなんて、初めて言った気がするよ」

「……私も、久しく聞いていなかったです」


 きっと、意味合いは違うのだろう。

 社交的なルムと自分とでは、これがどれだけ重要なことなのか。

 未だに握られた手をじっと見つめながら、アナスタシアは忘れかけていたことを思い出した。


 浮かれたって仕方がない。なぜなら自分は、あと数日後には――。


「せっかく、友達だと言ってくれたのに、残念です」

「……残念? それは、どういう意味なんだ?」

「もうすぐで私は、王都ここを離れることになっているんです」


 打ち明けると、ルムはその銀の瞳をかすかに震わせた。

 先ほどのアナスタシアと全く同じように「え?」と声を漏らし、自分の耳を疑うような表情を浮かべる。


「おいおい、シアさん……王都を離れるって、どういうことだ!?」


 その時、三人分の飲料を持ったバーンが驚くほど機敏な動作で戻ってきた。

 

 そしてアナスタシアは、友人となったルム――ついでにバーンに、事情を尋ねられることになるのだった。

 


 ***



 バーンが購入した飲み物を片手に、アナスタシアは焼き菓子をかじる。

 さくりとした食感と、しっとり滑らかなクリームが絶妙なバランスで口の中に溶けていった。


「実家の都合で、か。それも式典の翌日に」

「となると、もう日がねーな……」


 バーンの言う通りあと六日しかない。

 とはいえ、父親に告げられたのも四日前のことだったので、あまり変わらないようにも思える。


 反論することも、意見を唱えることもなく、アナスタシアは何も言わずに従うつもりだった。

 今でもそうだ。

 その日がくれば王都を出ていくのだと、気持ちを割り切っている。


 ただ、一つだけ予定外ことが起きてしまったのだ。

 アナスタシアに友達ができたこと。そもそも他人とここまで関わることになったこと。


 それは間違いなくアナスタシアの誤算だった。


「だから魔法杖の引き取り手が必要だってことなんだな」


 バーンは一口で菓子を頬張りながら言う。

 その通りだと、アナスタシアは頷いた。


「シアさんは――」


 ふと、ルムがなにか言いかける。

 けれど名前を呼ぶだけで先の内容を言うことはなかった。

 一瞬、その横顔がアナスタシアにはひどく悩ましげに見えてしまう。


「あの、ルムさん……」

「そうだ、名前」

「え、名前ですか?」


 アナスタシアが呼びかけると、ルムは切り替えるようにぱっと顔をあげて言った。


「俺たち友達なんだろう? なら、名前もは外すべきだ。それと言葉遣いも」

「おいおい、何言ってるんだよルム」

「何って、いま言った通りじゃないか」

「シアさんが王都からいなくなるって話をしてんのに、お前ってやつは全然違うこと考えてたのかよ」

「いや、話の流れで思い出しただけだろ。そう睨むな」


 適当にバーンをあしらいながら、ルムはアナスタシアに笑いかけた。


「で、どうだろう」

「どう、というのは」

「改めて友達の定義を考えたんだが……俺が思うに、堅苦しい作法を抜きにして、お互い自然と飾らない関係でいられる仲を友達と呼ぶんじゃないか?」


 早い話、ルムはアナスタシアの遠慮のある接し方が気になったらしい。

 真面目にそんなことを考えていたのかと、口をぽかんと開けてしまうが、ルムは至って真剣だった。

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