第25話 友達みたい



「――さん」


 アナスタシアは、ぼんやりと考え事をしていた。


「シア――」


 無事に父親と再会できたエマが、去り際に言っていた言葉を何度も反芻しながら。


「――シアさん!」

「はい!?」


 名前を呼ばれ、パチンと乾いた音が鳴る。

 肩を震わせたアナスタシアは、目前に立つルムが両手を合わせて立っていることに首を傾げた。


「あぁ、よかった。てっきり寝てるか意識が飛んでるのかと思った。何度呼びかけても反応がなかったからさ」

「あ……すみません、私ったらっ……!」


 どうやら考えに集中するあまり周りを見ていなかったようだ。

 アナスタシアがわたわたと慌てた動きを見せると、ルムはほっとした表情を浮かべた。


「バーンが近くの屋台で飲み物を買っているから、もう少し待っててくれ」

「飲み物……?」


 どうしてバーンさんが、という反応を思いっきりしてしまっていたのだろう。

 アナスタシアの呟きを聞いたルムは、気の抜けたように眉を下げて笑った。


「エマの父親が、娘を助けてくれた礼にって焼き菓子をくれただろう? あまり日持ちもしなそうだから、三人で食べるかって話に――」

「そ、そうでしたね。本当にすみません、さっきから」


 エマと父親を無事に引き合せることができたアナスタシアたちは、工房の近くにある公共の休憩スペースにやって来ていた。

 長いベンチが向かい合わせに二基ずつあり、アナスタシアとルムは一つのベンチに隣合って座っている。


 アナスタシアの膝には大きめの袋があり、中身は王都で話題となっている菓子が入っていた。


(確かエマちゃんのお父様……大聖堂に向かっている最中にこれを買っていて、エマちゃんとはぐれたって言ってたけど。こんなに貰って良かったのかなぁ)


 丸々と可愛らしい生地に、固めのクリームを挟んだという菓子は、ざっと見ても袋の中に十個以上はある。


 初めルムとバーンは、アナスタシアにすべて譲ると言ってくれていたのだが、さすがに一人では食べきれないので、こうして三人で分けて食べることになったのだ。


 ルルが手伝ってくれたとしても、やっぱりかなり量が多い。


「そうだ。今さらですけど、ルムさんは甘いものって大丈夫でしたか?」

「あぁ。むしろ好物の部類に入るかもしれない。よく旅先でも、珍しい菓子は試しに買って食べることにしているくらいには」

「それは、かなり好きの部類ですね」


 どこか誇らしげに感じられたルムの発言に、アナスタシアは笑みをこぼす。


「バーンも甘味はいける口だから心配はいらないよ」

「それはよかったです」


 その屋台まで飲み物を買いに行ってくれたというバーンは、まだ戻る気配がない。

 こうしてルムと二人きりという慣れない状況ではあるけれど、もうアナスタシアに気まずさはなかった。


 国外から来た旅人とこうも関われる機会は滅多にないと、アナスタシアはずっと気になっていたことを尋ねてみることにした。


「ルムさんに、質問してもいいですか」

「はは、唐突だな。もちろん、どうぞ」

「ルムさんはこれまで、どんな国を旅してきたんですか?」


 遠慮がちだが、声の調子から興味津々だと窺えるアナスタシアに、ルムは快く話してくれた。



 ***



「一面が砂の海の――」

「サラディラアブだな。あそこは年中気温が高くて慣れるまで大変だった」

「それじゃあ、氷の大地が広がっているという――」

「リフゼンか。建物が雪と氷で造られている場所もあって、見応えがあったよ」

「……島! 島国とかは行ったことありますか? 世界樹が根を張っている――」


 アナスタシアは一度言葉を切ると、ルムの様子を確かめながらその名を発した。


「ルチェア島!」

「ルチェア島」


 アナスタシアの楽しげな声と、ルムのどこか寛容的な声が重なる。

 二人は顔を見合わせると、声が揃ったことに可笑しそうな反応をしてみせた。


「驚いたな。まさかシアさんが、ここまで国外の文化に興味があったとは」

「……本での知識ばかりですけど」


 アナスタシアがここまで心を躍らせているのには、訳があった。

 これまで挙げていった国名は、聖女クリスタシアが浄化の旅で訪れたという場所であり、それはアナスタシアが幼き頃に生前の母から聞かされていた場所だった。


(まだ小さかったから、あの頃はそこまで興味が沸かなかったけれど)


 焦がれるようになったのは、ひとり別邸で過ごすようになってからだろう。


 普段、行動を制限されるアナスタシアは、外の世界を自分の目で確かめることは叶わない。

 そこにはどんな人々が暮らし、どんな生活を送り、どんな景色があるのか。

 

 さまざまな国を巡ってきたというルムの話は、想像の中でだけでも、アナスタシアをその地に立たせてくれているような気さえした。


 だからこそ、話題は尽きることなく次々と溢れ出てくる。

 こうして他愛ない会話ができるのも残り少ない。

 どうせならと、アナスタシアの脳内にある天秤は、自粛から好奇心に重さが傾いてしまう。


「尊敬します。歳だってまだお若そうなのに、たくさんの国を渡っているなんて……」

「そういえば、お互いの年齢すら知らなかったんだな、俺たち」


 今さら気づいたルムは、ふっと笑った。

 それからさり気なく、アナスタシアのほうへ体を傾けると、自分の年齢を口にする。


「俺もバーンも、歳は十七。今年で十八になる」


 アナスタシアは目を丸くした。

 どこか大人びて見えたルムとバーンの年齢が、自分と一つしか変わらなかったからだ。


「私は、十六です。今年で十七歳になります」


 つられて答えたアナスタシアに、ルムはかすかに驚いた様子だった。


「へえ、そうだったのか。そう聞くと、少しシアさんに親近感が湧くよ」

「そうですか?」

「君は顔を隠しているだろう? 正直声だけで年齢を正確に当てるなんて至難の業だし、かといって女性に面と向かって尋ねるものでもないからな……まあ、俺と近いぐらいだろうとは思っていたけど」


 彼なりに配慮をしていたらしい。

 女性の年齢を敏感に気にするなんて、変なところで紳士的だ。


(そっか、そんなに歳が近かったんだ)


 同年代の人と長く話している事実が、アナスタシアには不思議と新鮮に感じられた。

 

 だって――こんなに世間話をして、一時的とはいえ共に時間を過ごして、極めつけにはこれから一緒に菓子まで食べるのだ。

 これでは、なんだか、まるで。


「――友達、みたい」

「え、なに? 友達?」


 アナスタシアはすぐに、頭で思ったことが声に出てしまっていると気づいた。


 けれど、気づいた時にはもう遅い。


 アナスタシアを見るルムの眼差しは、意表を突かれたように、驚きに満ち溢れていたのだった。

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