第23話 迷子の少女
ルム、バーンと会う約束をしていたアナスタシアは、朝食を食べ終えると街へ出かけた。
(ルルは今日も楽しそう)
自分のそばを飛び回るルルの光に目を細める。
精霊と親交力という新たな事実を知ったアナスタシアだったが、だからといって大きな変化があるというわけではなく。
ルムにはまったく見えていなかった精霊のルルについても、アナスタシアは変わらずに受け入れていた。
――そして、街を離れるまでの数日間、このまま何事もなく時間が過ぎることが、誰にとっても一番いいのだろう。
そう頭で考えながらアナスタシアは工房までやって来る。
すでに工房の前には二人の姿があった。
「おはようございます、ルムさん、バーンさん」
「おはよう、シアさん」
ルムは爽やかな挨拶と共に軽く手をあげる。
しかし、どこか顔色が優れないことにアナスタシアは気づいた。
「ルムさん、もしかしてお疲れですか?」
「疲れっ……俺が?」
思いがけないアナスタシアの問いに、ルムはわずかに瞳を広げる。
「バーンさんに比べると、少し眠たそうといいますか。勘違いだったらすみません」
「……いや、違わないよ。うん、違わない」
なぜかルムはバツが悪そうに視線を横に流した。
「すげーな、シアさん大正解。昨日は少し宿に帰るのが遅くなってさ、特にルムは寝不足気味なんだよ」
「寝不足ですか。お休みにならなくて大丈夫ですか?」
「ああ、心配はいらないよ。睡眠不足なんてよくあることだ。それなりに慣れているからな」
「そうですか……」
本人がそう言うならば、あまり深くは聞くまい。
けれど、最初ルムが珍しく口ごもっていたので、アナスタシアは余計なことを聞いてしまったかと気になった。
アナスタシアが様子を窺うと、ルムは片手を額に当ててふっとおかしそうに笑っていた。
「シアさんに寝不足を悟られるとは。なんと言えばいいか、俺としたことが情けないな。いまの俺って、そんなに酷い顔をしてるのか?」
「そんなこと俺に聞くなよ。お前が寝不足なのは知ってるが、正直見た目じゃいつもと区別がつかないんだよ」
どうやらルムは、アナスタシアに自分の疲れ顔を見破られたことが恥ずかしいようだった。
(顔色もそうだけど……なんだろう)
言葉にはできないが、昨日会ったときよりも気力が弱っているような印象がルムからは伝わってくる。
ルムと精霊の道筋で繋がった精霊たちも、やけに騒がしいような。
とは言っても実際には、言葉がわかるわけでもないので、感覚的にアナスタシアがそう感じるだけの話である。
そんな、些細に思える違和感に目を逸らせずにいると、ふいにアナスタシアの耳にすすり泣く声が聞こえてきた。
(……いまのは、女の子の声?)
アナスタシアはきょろきょろと首を動かしはじめる。
「おそらく、あのあたりだな」
ルムとバーンにも泣き声が聞こえたようで、しばらく耳を澄ませていた。
声の大きさで居場所を突き止めたルムは、もう長らく使われていなかった廃民家のほうを指さす。
(本当だ。たぶん、中にいるんだ)
アナスタシアは急いで廃民家に走り寄った。
出入口と思わしき扉は腐敗によって崩れ落ちており、大人ひとり分が通り抜けられるようになっている。
アナスタシアが迷わずその穴をくぐり抜けると、入って右側の壁に背をあずけて体を縮めた少女の姿があった。
「ひっ……」
「びっくりさせてごめんね。あなたの声が聞こえたから、どうしたのか心配で来たんだよ」
短く悲鳴をあげた少女にアナスタシアはゆっくりと近づく。
なるべく怖がらせないように、湿った地面の上で両膝をついた。
少女と同じ目線の高さになって、ふたたび声をかける。
「もしかして、迷子になっちゃった?」
7歳にも満たなそうな少女の格好は、旅人がよく羽織る生地の分厚い外套で覆われていた。
頻繁ではないものの、旅の途中で両親とはぐれてしまった子どもが、不安げに街の中をさまよっていることがある。
この少女もそうなのではないかと、アナスタシアは尋ねたのだ。
「う、ん……うん……お父さん、どこか行っちゃったの」
初めは警戒していた少女だったが、アナスタシアの優しい声色と態度から、徐々に肩の力を抜いていった。
「そっか。それなら、早くお父様……お父さんを見つけないとね。大丈夫だよ、きっと見つかるから。私と一緒に探そう?」
「……っ」
そう言って手を差し出すと、少女は鼻をすすりながら立ち上がる。
手を取ると思いきや、少女は勢いよくアナスタシアに抱きつく。
その縋るような小さな手が、アナスタシアの肩をきゅっと掴んだ。
「……ひとりで、がんばったね。えらいね」
心細かっただろうと、少女の背中をぽんぽんと撫でていれば、出入口の穴からルムが顔を出した。
「シアさん、とりあえず外に出よう。ずっとそこにいたら、君もその子の外套も汚れてしまうだろうから」
ルムとバーンは気を利かせて外で待機していたようだ。
たしかに狭い廃民家に見知らぬ人間が三人も押し寄せていれば、少女にいらない恐怖を与えていたかもしれない。
「それじゃあ、行こっか?」
「うん」
すっかりアナスタシアに心を許した少女は、彼女の手を掴んで廃民家の外へと出る。
もう少女の瞳から涙が流れていないことに、アナスタシアは心底ほっとした。
***
廃民家の外で二人と合流したアナスタシアは、急遽、迷子の少女「エマ」の父親を探すことになった。
エマは父親と二人で旅をしていたようで、明日の朝には王都を後にして港を目指す予定らしい。
父親も娘がいなくなって気が気ではないだろう。アナスタシアもできるならば早く見つけてやりたかった。
「おー、軽いなー。エマはいまいくつなんだ?」
「7歳!」
「そうか! 俺の三番目の弟と同い年だな!」
予期せぬ出来事だったとはいえ、当初の目的である魔法杖の交渉が遠ざかってしまったのにも関わらず、ルムとバーンは不快な顔ひとつせず受け入れてくれた。
弟妹が多いため子どもの扱いは任せろと豪語したバーンは、その言葉の通り早くもエマと打ち解けている。
「探すとなれば、まずはエマと父親がはぐれた場所に行ってみよう。もし見当たらなかったなら、その近くにある駐在所の兵士に聞けばなにかわかるかもしれない」
「エマちゃんがいうには、大聖堂へ行く途中で手を放してしまったらしいんですが……」
「大聖堂か……。もしかすると、父親もエマがいると思って向かっているかもしれないな」
大聖堂と聞いてアナスタシアが思い出すのは、ケヴィンのことである。
信仰心が強いケヴィンでも、連日に渡って大聖堂に訪れているとは思えないが、見かけたときのことを想像するだけで心臓に悪い。
(このローブじゃ、すぐに気づかれそう。被りも深くしているし、この間はほぼ逃げちゃったからなぁ……)
そこまで執着されていないとは思うけれど、ケヴィンがルムの発言に苛立ちを覚えていたのも確かだ。
慎重に、なるべく目立たないようにしたほうがいいだろう。
(……エマちゃんのお父様、すぐに見つかるといいんだけど)
この場にいても埒が明かないので、とりあえずはぐれた場所に行ってみるしかない。
「バーン、エマ。遊んでいないで、早く行くぞ」
「おう、わかった」
「はーい」
バーンの二の腕に掴まって空中ブランコを楽しんでいたエマが、元気よく返事をした。
「はは、まったく。ご機嫌そうでなによりだよ。泣いていたのが嘘みたいだな」
アナスタシアの横で、ルムは呆れ笑いを浮かべている。
似たような感想を抱いていたアナスタシアは、思わず「そうですね」と楽しげな笑い声をこぼしていた。
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