第15話 元婚約者と五侯貴族



 見覚えのある顔だと、アナスタシアは密かに感じた。

 厚手の白生地と銀糸を主体に作られた祭服を着ているということは、聖堂の関係者という意味合いがある。

 衣服の形状からして高位信徒ではなさそうだが、妙にアナスタシアの目を引く若い少年だった。


「会話に割り込むような無礼をお許しくださいませ。しかしながら――この場で許されざる大罪人の話をなさるのは、穢れを呼び寄せる行為となります。お控えください」


 許されざる大罪人。淡々とした口調が、容赦なくアナスタシアの心の内側を踏みにじっていく。


「……一つお聞きしたい。貴殿の言う大罪人とは、ヴァンベール公の息女であるアナスタシア嬢のことで間違いはないかな?」


 張り詰めた空気感を放っていたのは、アナスタシアの隣に立つルムだった。

 つい先ほどの他愛ない口調から一変して、少年を警戒させないようにと気遣った柔らかな語尾と、それでいて仰々しさのある物言いに圧倒される。


 なにより彼の口から自分の本当の名が出たことに、気が気ではなかった。


「申し訳ございませんが、お答え致しかねます。それらに関する語りは禁じられておりますので」

「……なるほど、配慮が足らず失礼をしたようだ」


 表情は変えずに、ルムは軽く頭をさげる。

 彼が細めた銀色の瞳で少年信徒を見据えていれば、その背後から新たな人の影がぬっと現れた。


「こんなところにいたのか、ラルス」

「……兄さま!」


 ラルスと呼ばれた少年信徒が、青年に向かって呼びかける。

 信徒らしい表情からは打って代わり、幼さが垣間見える横顔は、現れた青年との関係性を物語っているように思えた。


(まさか、この人……)


 どくりと、嫌な心音が鳴る。

 アナスタシアは無意識的に足を後ろへとずらしていた。


「ケヴィン兄さま、なぜこちらに?」

「クリスタシア様の石像に花を手向けに来たんだ」

「そうでしたか、ありがとうございます。兄さまに聖なるご加護があらんことを」


 聖堂へと貢ぎ物や贈り物、そしてこのように花を添えるなどのおこないをした者に対して、信徒は決められた言葉を口にする。

 聖なるご加護とは、聖愛を示す換語であり、精霊の強大な力を借りることができた聖女を表して生まれた言葉だった。


(ケヴィンって、あのケヴィンなの?)


 視界がぐらりと揺れる。

 ラルス信徒と同じ薄水色の髪と瞳は、わずかに思い出せるアナスタシアの記憶を刺激した。


『お前は最低の人間だ。二度とその顔を見せるな、僕の前に現れるな』


 そう言われたのは、あの事件のあとのこと。

 ケヴィン・アクアード――彼は幼少期までアナスタシアの婚約者だった。


 ラクトリシア王国には、五侯という爵位がある。

 魔法において傑出した実力を兼ね備えた血筋の者に代々継がれてきた五つの名家には、それぞれの魔法属性において抜きん出た才があった。


 炎の侯爵、水の侯爵、雷の侯爵、緑の侯爵、風の侯爵。

 それらの侯爵家が総称して五侯貴族と呼ばれ、アナスタシアは水の侯爵アクアード家の嫡男ケヴィンと婚約をしていたのだ。


「兄さま、せっかく来ていただいたのにすみません。私はすぐに堂内へ戻らなくてはいけなくて」

「僕のことは気にする必要ない。自分の役目を最優先にするんだ」

「はい! ……あ、それでは旅のお方も、失礼致します」


 兄が来たことによって舞い上がっていたラルス信徒は、アナスタシアたちの方を向いて小さくお辞儀をした。

 どうやらルムやバーンと同じように、アナスタシアも旅人と勘違いされていたようだ。


 そしてラルス信徒が去ると、ケヴィンの鋭い眼差しはアナスタシアを含めた三人に向けられた。


「邪魔をしたのなら詫びよう。だが、聖堂に所属する若い信徒へ、あのような問答をするのは金輪際やめていただきたい」

「どうやら自分は、禁句に触れたようですね。しかし、その言い方をするということは、貴殿にならば尋ねても問題はないということでしょうか?」

「なんだと?」


 素早くルムが口調を切り替え、その問いにケヴィンの眉が分かりやすく吊りあがる。

 なぜルムがこのような言い草を続けるのか、アナスタシアには理解できなかった。


「この街に滞在して数日と経ちますが、聖女への信仰心には舌を巻くばかりです。さすがは世界をお救いになった偉大なるお方の故郷だと、常々感じていました」


 ルムの言葉の運びに何かを察したのか、ケヴィンはさらに顔を顰める。


「……ただの旅の人間かと思えば、本当に詮索したがる蛮族の類だったとはな。先ほどの信徒に尋ねた内容からして、十年前の事件を掘り下げようとしているように窺えたが、その解釈で間違いはなさそうだ」

「ああ、聞かれていたとなれば、白々しい言葉を並べるつもりはありません。お察しの通り、少々気がかりだったのでお聞きしたかったんです」


 にっこりと、ルムは笑みを貼り付けていた。

 それを横目にしたアナスタシアは、訳が分からず混乱する。


(どうしてルムさんがそんな話を持ち出すの? 十年前のことを知りたがっているって、どうして――)


 バーンの様子を確認しても、呆れてはいるがルムを止める気がないようだった。


 旅人であるルムとバーンは、目の前にいるケヴィンの正体を知らないのだろうが。相手はこの国の侯爵家の長男。たとえケヴィンが権力を振りかざすような人間ではなくても、この状況は非常に厄介だ。


「……僕が、語ると思うのか? 聖女クリスタシア様のお命を奪った、あの女のことを……笑わせてくれる」


 アクアード侯爵家は、建国初期より『聖女』を崇拝し続ける家系。

 五侯の中でも信仰心は根強く、現に三男のラウスは信徒として聖堂に籍を置いている身。聖堂との繋がりも一番に深いといっていい。

 そんな環境下に置かれて育ってきたケヴィンも例外ではなく、聖女を心酔する信者の一人である。


 ケヴィンからしてみれば元婚約者だからなどという情は一切なく、アナスタシア関連のすべてが禁忌に近い話だったのだ。



 

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