第14話 大聖堂
荒くなった呼吸を整える。
この間といい、ここのところ全力疾走してばかりだ。
「ここまで来ればもういいだろう。結構走ったが、シアさんは大丈夫か?」
息がままならないので、アナスタシアはとりあえず首を何度が縦に振って問題ないことを伝えた。
「男の俺と、女性の君では歩幅も違うだろうに。無理をさせてしまったな」
「気に、しないでください。ついて行ったのは、私なの、で」
声が詰まりながらも、なんとか言い切る。
腕を掴まれたとはいえ、抗うことは簡単だった。
それをしなかったのは、あの場で兄と居合わせ、自分が外に出ているとバレるわけにはいかなかったからだ。
結果として彼らの行動に便乗する形になったわけだが、離れることができて一安心である。
(だけどルムさんとバーンさんは、どうして魔法師団を避けていたんだろう。面倒ごとに関わりたくないと言っていたけど)
そもそも自分は、この二人のことを全く知らない。数日前にたまたま知り合った関係の、赤の他人だ。
(……悪い人たちには見えないけれど)
彼らの周りを飛んでいるルルも、警戒はしていなかった。
なにか隠していることがあるのだとしても、それはお互い様である。
故にアナスタシアは、そこで懐疑的な思考を止めることにした。
「にしても、俺とシアさんは水がかかってびしょ濡れになっちまったなー」
「ああ、俺の水魔法のせいだな。二人ともすまないことをした」
「いえ、私は大丈夫です」
「といっても、肌にくっついて気持ちが悪いし、まずは乾かすか」
そう言ったバーンは、腰あたりから一本の魔法杖を取り出した。
長さはおそらく15センチと短めで、持ち手の近くに小ぶりの炎光石が埋められた簡素な作りの魔法杖だ。
「シアさん。服を乾かすから、ちょっとそこに立ってくれ」
「は、はい。……バーンさんも、魔法師だったんですね」
「そういや言ってなかったよな。まあ、俺は剣を使うことも多いからなー」
からからと笑いながら、バーンは魔法杖を小さく振る。
足元から何やら暖かな熱が駆けあがっていくのを、アナスタシアはたしかに感じた。
「あ、もう乾いてる……!」
水に濡れたアナスタシアのローブは、あっという間に水気が飛び元の状態に戻った。
「ああ、乾いているな」
驚いたように「ぴょんっ」と跳ねたアナスタシアの足元を見て、ルムはかすかに表情をゆるませる。
「ふー、少し緊張したぜ。こういう細々とした魔法は、俺よりルムのほうが得意だからな」
「いや、それでも上達したんじゃないか? ほら、小さい頃に魔力の操作を誤って頭を爆発させていたときに比べれば……」
「だからお前は! そういうこと口軽く言うか普通!?」
「はは。子どものときの話なんだ、そう目くじらを立てるなよ」
(やっぱり、仲が良いなぁ)
慣れつつある二人の会話に、アナスタシアはふっと顔をほころばせる。
同時に、どこからか歌が聞こえてきた。
――光が芽吹く園、今か今かと待ちわびる
――祈りし我らは唄声を頼りに
――聖なる乙女よ導きたもう、救いたもう
――心優しき清き聖女よ
――その尊き心根はいつ何時も
――永遠へ共に在り続けるであろう
王城前、円型に造られた広場の左側。そこには大きな大聖堂がある。
いくつもの音程が合わさり紡がれているのは、聖女に捧げる鎮魂歌だ。
街の子どもが口ずさむものは、歌いやすいようにとかなり簡略化されているが、今の詩こそが本当の鎮魂歌だった。
おそらく大聖堂の信徒たちが、午前の捧げを歌っているのだろう。
「この歌は、聖女の……」
ルムがぴくりと顔をあげて、大聖堂を遠目に見つめる。
風に乗って流れてきた歌に興味を示しているようだった。
「……はい、鎮魂歌です。賛美歌ともいいますが、この国では誰もが知っている詩です」
「ああ、たしかに街の子どもたちも歌っていた気がする。こうした形で聞くと圧巻だな」
「見ろよ、通行人ですら大聖堂のほうを向いて祈りを捧げてるぞ」
バーンが顎をしゃくった先には、両手を組んで詩歌をつぶやく民の姿があった。
その横にいる年端もいかない子どもは、見よう見まねで祈りの姿勢を取っている。
迷える子羊のような人々たちの様子を、アナスタシアは仮面の下で複雑そうに見つめていた。
「シアさんは、あまり祈ったりはしないのか?」
何を思ったのか、そんなことをルムは訊いてくる。ふと、母の姿が脳裏に現れ、アナスタシアの鼓動がわずかに早くなった。
「……どうしてですか?」
「ああ、いや。深い意味はないんだ。ただ、詩歌が聞こえてから街の人々はすぐに祈りを込めはじめたが、シアさんは違ったから」
「今は、魔法杖を抱えていますから。祈る場では、しっかりお祈りしますよ」
祈るといっても心の中で済ませるだけで、大聖堂でおこなわれる正式な場に顔を出せるわけじゃなかった。
母親の命を――聖女の命を奪ったとして、アナスタシアは聖堂から目の敵にされている。
それこそ十年前は、特例として命をもって償うことを強いられそうになった。
国の聖域である大聖堂も、アナスタシアには安易に近づいてはいけない場所なのだ。
「――シア、待ちなさい! そんなに走ったら転ぶでしょう?」
「やだ〜あそびたいの〜」
突然アナスタシアの目の前を、小さな影が素早く通り過ぎる。
すぐに子どもだとわかったが、その後ろを追いかけている母親の声に、アナスタシアはびくりと肩を揺らした。
「なんだあの子、シアさんと同じ名前なんだな」
バーンはすばしっこく駆けていく少女の背中に目をやりながら言った。
「この国では、名付けられやすいんだろうな」
納得がいった様子のルムに、アナスタシアはうなずく。
「ルムさんの言うとおり……"シア"という名前は、よく女の子につけられています。それこそ友だち同士で名前が被ることも珍しくありません」
「なるほど。聖女クリスタシアの名を拝借して、か。たしかに付けたくなる気持ちはわからなくもない……けど」
「けど?」
アナスタシアが聞き返すと、顎に手を添えて思案したルムが、目を伏せながら口を開いた。
「シアという語なら、その聖女の娘にも入っているなと思ったんだ」
「ルムさん、それは」
ここではまずいと、アナスタシアが言おうとした時である。
「――失礼。大変申し訳ございませんが、この場でその類の話題をあげるのは、お控えください」
ひやりとした声色が間から割り込んでくる。
はっとしてアナスタシアが視線を流すと、そこには祭服に身を包む信徒の姿があった。
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