第13話 うれしさと、脱兎のごとく



 アナスタシアは、夢を見ている気分になった。

 ひたすらに、一心に、作り続けていた魔法杖。

 それが今、人の手によって魔法を生み出したのだ。


 顔をあげた先には、小さな虹が掛かっている。

 ルルにも見えているようで、彩りにあふれる曲線の橋を楽しそうに飛び回っていた。

 飛沫に混じってきらきらと輝く光の粒。あれは、精霊の光だろうか。

 どうやらルムの魔法につられた水の精霊が、集まってきているらしい。



(……私が作った、魔法杖で)


 忘れかけていた、幸福と似た感情が心中を包んでいく。

 とてもたまらなく、満ち足りた心に、アナスタシアの目頭が熱くなった。



「シアさん、貸してくれてありがとう。おかげで火を消すことができた」


 水飛沫の中から、ルムが颯爽とこちらに戻ってくる。隣にいるバーンは「威力強すぎだろ」と茶々を入れていたが、アナスタシアは依然としてぼやっとしていた。


「シアさん?」


 ルムが体勢を低くして名前を呼ぶ。

 我に返ったアナスタシアは、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。


「……あ、ルムさん。よかったです、怪我とかしていなくて」

「シアさんが魔法杖を貸してくれたおかげだ。貸してくれたというより、俺が有無を言わさず借りてしまった気もするけど」


 ルムはアナスタシアに魔法杖を手渡しながら、遠慮がちに肩を竦めた。といっても呑気に会話をしていられるような状況ではなかった。

 強引であったとはいえ鎮火を真っ先に考えての行動だったのだから、彼は正しいことをしたと思う。



「……その。まだ、信じられなくて」


 無事に帰ってきた魔法杖を見つめながら、アナスタシアは思わず本音をこぼした。


「魔法杖を作り続けることが、私の数少ない日々の中の一部でした。だけど、心苦しくもありました」


 たどたどしく言葉を並べるアナスタシアに、ルムとバーンは口を挟まず耳を傾ける。

 彼女が必死になって、何かを伝えようとしているのを感じたからだ。


「私は……ルムさんみたいに魔法が使えません。かといって他の誰かに使われる機会もなかったので、ただ数に埋もれるだけになっていた魔法杖には、いつも申し訳なく思っていました」


 だけど、とアナスタシアはルムを見あげる。

 三本の魔法杖を抱きしめながら、弾んだ声とともに感謝を述べた。


「うれしい、です。自分の手で生み出した魔法杖を使ってもらえることで、こんな幸せな気持ちになるなんて、知りませんでした。ルムさんが使ってくれたからこそ、私ははじめて知れたんです。ありがとうございます……!」


 溢れ出す、アナスタシアのよろこび。だけど見え隠れするのは、違和感すらある謙虚さだった。


王都アッシェンデを離れる前に、忘れられない思い出ができた。けっきょく先生には見せることができなかったけど……私の作った魔法杖が、誰かの手で使われた)


 その事実をアナスタシアは深く噛みしめた。

 この高揚感は、ナナシの男の魔法杖の生成を、初めて見たときとまるっきり同じである。


 ふと、ルムの人好きのしそうな笑顔がすとんと抜け落ちていることに、アナスタシアは気がついた。

 喋りすぎてしまったのだろうか。それとも自分はまた知らず知らずのうちにおかしな言動をしてしまったのか。

 不安に思ったアナスタシアだったが、次の瞬間にルムは優しげな笑みを浮かべていた。


「こちらこそ。素晴らしい魔法杖に出会わせてくれてありがとう、シアさん」


 ルムが一拍を置いて礼を述べた時だった。

 

「――魔法師団だ。道を開けていただこう」


 その声に、アナスタシアはハッとして目を動かす。

 人で溢れかえった出店の通りを進み、鎮火後の現場に足を向けているのは、同じ系統のマントを羽織った人々だった。

 そして魔法師団と聞いて、アナスタシアには焦りが募る。


(さっきの声、まさかリカルドお兄様?)


 実の兄と似たような声の響きだったため、アナスタシアは自然と逃げ腰になっていた。

 ローブと、縫い付けられた被りで顔を隠しているからとはいえ、こんな場所で鉢合わせをするのはまずい。


「さっき若い兄ちゃんが火を全部消してくれたんですが……他にも二人ぐらい連れがいたみたいで。ああ、たしかあの辺に」


 そんな声が聞こえてきて、いよいよアナスタシアの焦りは最高潮に達する。


 今すぐにここを離れなければ。


 耳にした声がリカルドのものではなかったとしても、魔法師団と関わることは、アナスタシアの行動が明るみになる可能性があるということ。

 火を消したのはルムだが、このままでは同じ鎮火現場にいたアナスタシアも聴取される恐れがある。

 そうなれば、仮面とローブでわかりやすく顔を隠したアナスタシアが一番に、身元を改められるだろう。


(早くどこかに移動しないと!)


「シアさん、こっちだ。場所を変えよう」


 アナスタシアの腕をルムがやんわり握り込む。

 魔法師団の姿に、軽く気が動転していたアナスタシアは、そのまま狭い路地へと引き込まれた。


「ど、どこに行くんですか?」

「さっきのはこの国の魔法師団だろう? なんだか事情聴取されそうな気配がしたから、ひとまず退散したくてさ」

「そうそう。旅先でそういう面倒なことはゴメンだぜ」


 同調したバーンを先頭に、すいすいと路地を抜けていく。

 どうやら彼らも魔法師団を避けているようである。

 理由はわからないが、アナスタシアにとっては都合がいい。


「よし……ここまで来れば、もう良さそうだな」


 ぱっとルムの手が離れていく。

 そうして運良く騒ぎの中心から離れられたアナスタシアがたどり着いたのは、王城前広場だった。

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