第12話 魔法杖職人になった日



 突然のアナスタシアからの謝罪に、ルムとバーンは目を見張った。

 ルムはとりあえず出店で買った肉が挟まれたパンを食べきってから、アナスタシアの話を聞くことにした。


「つまり君は……魔法杖職人ではなかった。そう言いたかったと」

「はい。説明不足ですみませんでした」

「いやいや、だけどシアさん! あんな生成術が使えるんだから、もう立派な魔法杖職――もがっ!!」


 言い連ねるバーンの口元を、ルムは片手で覆い隠した。


「自身が生成した魔法杖を使われてこそ、魔法杖職人は一人前と呼ぶことができる。……っていうのが、魔法杖職人の定めごとだったか。それに当てはめるなら、たしかにシアさんはまだ魔法杖職人とは呼べないな」

「……はい」


 後ろめたさに体を縮めるアナスタシア。そんな彼女の様子を見たルムは、ふっと吹き出す。


「どうにも君は謝り癖があるみたいだ。また頭を下げてる。謝り癖もそうだけど、気づけばうつむいてしまうのも癖?」

「……っ!」

「顔をあげて、シアさん。どうして君がそこまで申し訳なく感じているのか、俺にはわからないんだけど」


 この間のように、アナスタシアの顔を覗き込んできたルム。

 決して目と目が合うことはないのに、やわらかな銀色の瞳と視線が交差した気がした。

 驚いたアナスタシアは反射的に顔をあげる。ルムは変わらず笑っていた。


「シアさんが魔法杖職人じゃなくても、俺の魔法杖を直してくれたことは紛れもない事実なんだ。そして俺は感謝している。それでいいと思わないか?」

「それで、いいんですか? その、ルムさんは」

「俺的には問題なし。シアさんは少し気にしすぎだよ。魔法杖職人じゃなくても、隠し通していれば俺は知らないままだったのに」

「そんなことは、できません」


 このまま黙っているくらいなら、すべて正直に話したほうが気が楽だった。


「たしかに謝り癖がある君に、嘘は難しそうだ」


 無邪気に歯を見せて笑うルムに、アナスタシアはいたたまれない気持ちになる。

 嘘というなら、この偽りの名前も嘘に含まれているのではないか。

 そもそもヴァンベール公爵に気づかれずに、正体を隠して街に出ていること自体が、大きな嘘のように思える。

 そう考えれば考えるほど、アナスタシアは複雑な心地になった。


 ***


 料金ベルカを受け取る気がないアナスタシアだったが、ルムはお礼をしたいらしい。

 どういうわけか、近くのカフェテラスでお茶でもどうかと誘われる流れになった。


(……どうしてこんなに)


 アナスタシアは、ルムにわずかな疑問を抱きはじめた。

 なぜ会って間もない自分に、こうも友好的になってくれているんだろう、と。


「さっき売り子の女性から仕入れた情報なんだけど、あっちのカフェでは奇妙な食感のケーキがあるらしいんだ。フォークで突けば、スライムのようにぷるぷる震えるという」


 カフェ。こんな自分には縁のないものである。

 誰かと共に食事をした記憶は、遠い過去のものだった。


「シアさんは知ってる? スライムケーキ」

「おっ前……スライムみたいに柔らかいってだけで、名前がスライムケーキなわけじゃないだろうがよ」

「スライムケーキはわからないですけど、ごめんなさい。私、この魔法杖を持って行かないと」


 アナスタシアは腕の中に収まっている魔法杖を持ち直す。

 一本一本、布に包まれた魔法杖の直径は、三本とも50センチほどの長さ。

 どこか引き取ってくれる店を探すため、見本として見繕ってきたが、袋もなしに持ち運ぶのは思いのほか大変だった。


「それは……もしかしてシアさんが作った魔法杖?」

 

 興味を示したルムに、アナスタシアは軽くうなずいた。


「今……私が作った魔法杖を引き取ってもらえるところを探しているんです。数もかなりあるので、早く見つけないと」

「かなりって、何本あるんだ?」

「……百本です」

「ひゃ、ひゃっぽん!?」


 間の抜けたバーンの声が周囲に響き渡る。

 通行人がちらちらとアナスタシアを含めた三人に目を向けはじめた。

 ずっと通り道にいるのも邪魔になるので、隅に移って話を再開させることに。


「百本って、たしかにすごい数だな。全部シアさんが?」

「はい、人の手に触れてもらう機会がなかったので。気がついたら百本になっていました」


 自嘲した笑い声をこぼすアナスタシアに、バーンはあんぐりと口を開けている。

 ルムも百本という数には、顔色を多少なりとも変えていた。


「もう少し小さめの物にすればよかったんですけど、大きいほうが色々と見やすいかと思って……わっ」


 つるりと、アナスタシアの腕から魔法杖の一本が滑り落ちそうになる。

 腕に力を込めたものの、その甲斐むなしく魔法杖は地面に落下していった。


「……っと。よし、取れた」


 すんでのところで、ルムの腕が魔法杖に伸びた。

 間一髪で魔法杖を掴んだ手は、ゆっくりと地面との距離を離していく。


 その拍子に魔法杖を包んでいた布が緩み、はらりと布ごと下に落ちてしまった。

 あらわになったのは、美しい水光石が嵌められた魔法杖――アナスタシアの記念すべき百本目を飾ったあの魔法杖だった。


「これは」

「すげー綺麗な魔法杖だな……」


 魔法杖を手にしたルムも、隣にいるバーンも、目を奪われたように魔法杖に釘付けになっている。

 上部に嵌められた水光石は透き通った輝きを放ち、支柱は絡まった蔦のような模様が緻密に細工されていた。


「こんなに素晴らしい魔法杖だというのに……もったいないな」

「え?」

「今まで誰一人にも、使われたことがないなんて。本当にもったいないんだ、シアさん」


 ルムの真剣みを帯びた眼差しが、意味ありげにアナスタシアを捕まえる。

 ――その時、遠くから人の悲鳴が聞こえてきた。


「火事だ! 露店に燃え移ったぞ!」


 どうやら路上で火を使った芸を披露していた人間が、誤って近くの露店に着火させてしまったらしい。

 騒ぎは徐々に大きく広がってゆき、人の波が火事の反対方向へと押し寄せていた。


 間が悪いことに、近くに水を扱える魔法師の姿はない。その場に居合わせた者たちは、迫る火の手に逃げ惑うしかなかった。

 

「こんな狭い場所で火を使った芸か。ったく、楽しむのは結構だが、今度からは火の始末も考えてくれるとありがたいな」

「呑気なこと言ってる場合じゃないぞルム! 意外と火の回りが早い。大火事になる前に……」

「ああ、わかってる」


 アナスタシアは、力強く首を縦に振った彼を見つめる。

 喧騒で埋め尽くされる中で、ルムだけは至って冷静だった。


「シアさん。この魔法杖、少しだけ拝借するよ」

「え? だけど、ルムさんは――」


 偶然にも、アナスタシアの腕からこぼれ落ちた魔法杖は、水属性の魔法杖である。

 つまりは、この魔法杖の使い手も水属性の性質がなければ意味がない。


「じゃあ、行ってくる」

「くれぐれも気をつけろよ」

「心配ない。お呼びじゃない炎使いは、大人しくシアさんと待っていてくれ」


 バーンに軽口を叩くと、ルムは燃え盛る火の方向へ走り出して行く。

 彼は何かをするつもりらしいが、アナスタシアには疑念しかなかった。


(ルムさんは、風属性だったはずなのに)


 魔法の属性は、基本属性が五つと、特質属性の二つ。

 魔法の才ある者は、このいずれかの属性を一つだけ扱えるようになっている。

 単純な話、自分の体質に合わない属性は、扱うことができないのだ。


 アナスタシアが広場で木から落ちた子どもを受け止めようとしたとき、ルムは風を使って衝撃を軽くしたと言っていた。

 ということは、少なくとも彼は風属性に適した体ということになる。


「シアさん。そう心配しなくても、あいつなら大丈夫だぞ」

「で、でも……ルムさんは風属性なのでは」


 アナスタシアの言葉を聞いたバーンは、にかりと笑った。


「ルムはな、全部の属性が使えるんだ。だから水の魔法もお手の物。すぐに火を消してくれると思うぞ」


 すべての属性を扱える人間なんて、聞いたことがなかった。

 心配になって、ルムが駆け出した方向に目をやる。


 ――その瞬間。アナスタシアの耳孔に、凄まじい水音がとめどなく流れ込んできた。


「ちょ……あれ、威力ありすぎだろ。火は一発で消えそうだけどよ」


 呆れたようなバーンの声も、水の音にかき消される。

 何もない場所から、水が生まれた。

 意思が吹き込まれたように形を変えた水たちは、燃え移った火を残らず消していく。

 その大量の滴は、少し離れた位置に立つアナスタシアにも降りかかり、ローブをずぶ濡れにした。


「だー! 俺たちまでびしょ濡れになった! シアさん、大丈夫か?」

「はい、なんとか……」


 呆気にとられたアナスタシアは、瞳をぱちぱち動かしながら視線を上に向けた。


「わあ」


 細かくなった水の粒と、空に浮かぶ太陽。

 それらが合わさりアナスタシアの頭上で出来あがったのは、小さな七色の虹だった。


 

 

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