第11話 再会
次の日、アナスタシアは工房に来ていた。
いつものようにルルの光を借りてランプを灯し、木製の椅子に腰をおろす。
かなり年季の入った椅子は、きしりと小さな音を立てた。
「あと、九日かぁ……」
ぼんやりと目線を斜めに向けながら、アナスタシアはつぶやく。
昨日、ヴァンベール公爵から伝えられたのは、自分が遠くの領地に移されるということ。
そこにアナスタシアの意見の介入は一切なく、すべてが決定したあとだった。
「ここ、どうしようかな」
ナナシの男に任された工房。
とはいえ、アナスタシアは土地の管理権を正式に引き継いだというわけではない。
ただの口約束だけで、五年も居座っていたのだ。
「……杖も、どうしようかな」
壁や棚に並べられた百本の魔法杖。
精霊の聖愛に溢れた魔法杖は、なんとも言えない輝きをまとっている。
「ルル、どうかしたの?」
アナスタシアの鼻の先に、ルルがとまった。
光の加減を変えて、ポポッと淡く優しく反射するルル。そこに言葉は存在しないけれど、アナスタシアを気遣っているのは見てとれた。
「ありがとう、ルル。私は大丈夫だよ。ちょっと……驚いたけどね。こうなるのも仕方がないから」
アナスタシアは立ち上がった。
どこか決心した様子で自分の袖を捲り上げると、ふわふわと飛び回るルルに向かってこう言った。
「最後に、ここを綺麗に片付けよう」
自分の居場所になってくれていた工房。
もしもこの先、ナナシの男が戻って来ることがあってもいいように、隅々まで綺麗にしてから後にしよう。
そう考えたアナスタシアは、さっそく掃除に取り掛かるのだった。
***
それから二日間。アナスタシアは工房の掃除に精を出した。
普段から清潔さを保つように心がけてはいたが、物を動かしたり、注意して見ると汚れている部分がかなりあった。
そうして工房の中と、外の庭に生える雑草むしりまで終える。
残すは工房内にある魔法杖や私物の処分だけとなった。
「――シアさん?」
アナスタシアが声をかけられたのは、自作の魔法杖を三本ほど抱えて魔法市街グリゴワーズに向かっていたときである。
「あ……!」
出店が立ち並ぶ通りにいた二人組は、先日知り合ったばかりのルムとバーンだった。
彼らは出店で購入したと思われる食べ物を手にしている。
片手を振ってアナスタシアを呼んだルムは、嬉しそうに近寄ってきた。
「ルムさん、それにバーンさんも」
まさか本当に会えるとは思っていなかった。
あわよくば、都を離れる前にまたどこかで話せたら嬉しいとは思っていたけれど。
「また会えた」
彼も同じことを思っていたのだろうか。少しばかりおかしそうに言った。
「本当に、会えましたね」
驚いてうまく言葉が出せずにいたアナスタシアに、ルムは人懐っこい笑みを浮かべる。
「見覚えのあるローブを着た人がいると思っていたんだ。声をかけて正解だったな。ちゃんとシアさんだった」
「よく分かりましたね。似たようなローブを来ている人もたくさんいるのに」
「まあ、そこが俺の凄いところでもある……」
「おい、ルム。べつにシアさんは褒めてねーぞ」
得意げなルムに、じとりと目を向けたバーンが言い放った。
ルムは彼の言葉をどこ吹く風と聞き流し、にこにことアナスタシアだけを見ている。二人は相変わらずのようだ。
「この前のシアさん、急いで帰っていっただろう? だから少し気になっていたんだ」
「あっ、ごめんなさい。あのときは、すぐに家に戻らないといけなくて……」
アナスタシアは慌てて頭を下げた。
「いやいや、この間も言ったけど君は謝らなくていいんだ。ただ随分と焦っていたようだから、大丈夫だったかなと心配していたって話で」
「はい、大丈夫です。……あの、魔法杖のほうはそのあと問題とかはないですか?」
しっかり直せていたとは思うが、やはり気になってしまう。
不安げに尋ねたアナスタシアだったが、ルムはさらに笑みを深めた。
「……問題どころか、すごく使いやすいよ。君は調整が上手いんだな。あんなに手に馴染む杖は……生まれて初めてだった」
「そうですか。そう言ってもらえて安心しました」
アナスタシアは心底ほっとした。
ただ、こういった発言には多少の世辞が入っているものだと思っているため、ルムの絶賛もあまりアナスタシアには響いていない。
とりあえず、溶かしや分解に失敗して、魔法杖がまた折れたという話を彼の口から聞かなくてよかった。
アナスタシアの頭はそのことでいっぱいだった。
「せっかくまた会えたんだ。魔法杖を直してくれたお礼をさせてくれないかな」
「……お礼ですか?」
「そう、お礼」
そういえば、この前そんなことを彼は言っていた。
去り際の記憶を思い出したアナスタシアだったが、お礼と言われて気が引けてしまう。
「そんな……そもそも魔法杖が折れてしまったのは、私にも原因があったんです。それをただ直しただけでお礼なんて、逆に申し訳ないですよ」
「……ただ直しただけ、か。そんなことはないと思うけど」
「え?」
「魔法杖の修復は、立派な職人技だ。それも所持者の魔力に合わせて随一の物に作り変えるのは、そう簡単にできるものではないと思う」
「……あ、あの」
真剣に語るルムから気迫のようなものを感じて、アナスタシアは口ごもってしまった。
それに気がついたルムは、素早くぱっと表情を変える。
「つまり修復料を払いたいんだ。シアさんは遠慮しているみたいだけど、その価値が君の修復にはあったから」
「修復料……」
「んー……支払い額は……いや、俺が決めることじゃないか。相場は各街で違ってくるだろうけど、シアさんの普段の修復料はどれぐらいなんだ?」
そう聞かれてアナスタシアは困り果てた。
自分は堂々と魔法杖職人と名乗れるほどの人間ではない。自分が生成した魔法杖は使ってもらったこともないし、他人の魔法杖の修復も今回が初めてだったのだ。
(修復料なんて考えたことないのに。相場とかいわれても……たしかグリゴワーズ通りだと基本的な魔法杖の修復料は一万ベルカから。だけどお店で違ってくるし、そもそも私は料金設定なんてしたことない)
そこまで考えたアナスタシアは、ハッと気がついた。
(そういえば私……自分がちゃんとした魔法杖職人じゃないって、ルムさんに言っていたっけ? あのときは折れた魔法杖を直したくて、説明もそんなにしていなかった気が……)
勢いに任せてしまったから、彼に自分のことを言ってもいなかった。
おそらくルムは、魔法杖を直した光景を目の前で見て、アナスタシアを魔法杖職人であると認識してしまったのかもしれないが。
(自分の作った魔法杖を使われたことがないのに、魔法杖職人だとは言えないよ)
魔法杖職人の各階級にすら立てていない自分が、直させて欲しいだなんて。とてつもなく不相応な発言をしてしまったのかもしれない。
「ルムさん、実は私……」
「ん?」
「――すみませんでした!」
不思議そうなルムを前にして、アナスタシアはガバッと頭を下げていた。
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