第10話 帝国大使ディートヘルム



 ***



 ――ゼナンクロム帝国。

 中央諸国最大国家と名高い帝国は、世界で最も『魔法』に精通し浸透した国と云われている。


 魔法師、治癒師、魔法杖職人の人口は世界一。

 創設300年と歴史深い帝国立魔法学園もまた、世界一の設備と在籍人数を誇る大規模校だ。


 前皇帝の次子ディートヘルムは、現在ゼナンクロム帝国の大公爵アステレード家の人間であった。

 今の彼の名は、ディートヘルム・エクトル・アステレード。

 この度、ラクトリシア王国の重要な式典に参列するため、ゼナンクロム帝国大使としてはるばるやって来た。


 そして招かれた王城の晩餐。

 椅子に腰を据えるのは、限られた数人のみである。


「……まさか、式典当日まで街の宿屋に寝泊まりをすると?」


  驚愕の声をあげたのは、ラクトリシア王国第15代国王ベニート・ラクトリシアだった。

 式典の大切な来賓客であるディートヘルムの言葉に、耳を疑ったのである。

 卿ともあろう人間が、宿場街に泊まるとは思ってもいなかったからだ。


「ええ、その予定で考えておりました。この春の眩しい輝きに溢れるアッシャンデの街並みを堪能するには、宿場に身を置くのが一番だと思いまして」


 ディートヘルムは人の良さそうな笑みを浮かべる。


「しかし……その髪ではさぞ人の目を集めやすいのではないか?」


 ベニート国王は、ディートヘルムの髪に注目した。

 銀色混じりの黒髪は、ラクトリシア王国ではかなり珍しい。

 その髪のまま街を歩こうものなら、誰もが視線をディートヘルムに向けるだろう。


「陛下、ご心配には及びません。髪色は魔法薬で自在に変えられますので、注目を集めることもないでしょう」

「だとしてもだな……」


 ベニート国王は眉を下げた。治安が良い都とはいえ、帝国の客人を街中の宿に泊めさせるわけにはいかなかった。

 しかしどうにも、この青年は頑なに遠慮をする。

 ベニート国王も困ったというように、視線をずらした。

 その先には、娘婿のヴァンベール公爵の姿がある。

 晩餐会に出席していたヴァンベール公爵は、ディートヘルムを一瞥すると静かに提案した。


「では、我が屋敷で過ごされるのはいかがでしょう」

「……。閣下の、貴邸に……ですか」


 ディートヘルムは考える素振りを見せる。

 そもそもどこかにご厄介になること自体が、彼はあまり好きではなかった。

 普段から各地を渡り歩いているディートヘルムからしてみれば、雨風しのげて金さえ払えば特別干渉もない街の宿屋は文句なしの場所である。

 しかし、相手方からしてみればとんでもないことなのだろう。

 それはディートヘルムも理解できるため、わがままは程々にその提案に折れることにした。



 ***



 晩餐後、さっそくヴァンベール公爵邸にやって来たディートヘルムは、案内された客室に入ると深いため息を吐いた。


「だから言っただろ。こうなるって」

「そうだな」


 同じく部屋の中にいたバーンの言葉に、ディートヘルムはふてくされた声を出す。

 今日から式典の翌日……つまり十日間はヴァンベール公爵邸に寝泊まりすることになる。

 避けられなかった厚意とはいえ、やはり街の宿場のほうが気楽だった。


「そんな顔するなよ。明日はエレティアーナ嬢が屋敷を案内してくれるんだろ? 得じゃないか」

「まあ、愛らしい女性ではある」


 その点はバーンに同意するディートヘルムだったが、やはり彼の顔色はすぐれない。なにか考えているようだった。


「おいおい、どうしたんだ? 晩餐の途中から、なーんか様子が変だったよな?」


 バーンは護衛のため、ディートヘルムが晩餐会に参加している間はすぐ後ろに控えていた。

 その時から、彼の些細な感情の起伏に気がついていたらしい。


「いや、ただ……徹底していると思っただけだよ」


 ソファに腰を深くかけたディートヘルムは、すらりとした脚を組んでつぶやく。


「徹底って、なんのことだ?」


 問い返したバーンに、視線で座るように促したディートヘルムは、彼が自分と対面するように椅子に腰掛けると、再び口を開いた。


「あの晩餐会には、陛下と王太子殿下、ヴァンベール公爵家の人間が顔を揃えていた。聖女殺しと言われている、アナスタシア嬢を除いてな。まるで彼女はいないものとして扱われている」

「……ああ」

「まさかここまでとは思わなかったよ。聖女の喪失によって生まれる感情の矛先が、すべてアナスタシア嬢に向けられているんだ」

「そりゃあ……そうなるのも仕方がないんじゃないか? 何せ聖女が亡くなった原因は……」


 バーンはその先を口にしなかったが、言いたいことはわかる。

 聖女クリスタシアの死亡の原因は、その娘であるアナスタシア嬢にあるということ。

 ラクトリシア王国のみならず、それは他国まで知れ渡っていることだ。


 そうだと分かっていても、ディートヘルムは納得がいかない様子だった。


「今日、初めて会ったエレティアーナ嬢だが……彼女の周りには一切――精霊がいなかったんだ」

「なに? それってつまり……ん、どういうことだ?」


 いまいち理解が追いついていないバーンに、ディートヘルムはさらに言葉を付け加える。


「つまり……いや、一つの仮説としてだけ聞けよ。エレティアーナ嬢に母親の聖女クリスタシアのように聖愛を受ける性質が継がれなかったとして、その性質はどこに移ったと思う?」

「……兄のリカルド卿、ではないんだよな」

「ああ、彼は生粋の魔法師の肉体だったな。エレティアーナ嬢も魔法の発現ができないという話らしいけど、彼女も魔法師よりの肉体だった。二人とも性質は父親に似たんだろうな」

「性質が移った、じゃなくて消えたって線もないんだな?」

「可能性としてあるが、お前も知ってるだろう? 精霊の聖愛を授かる者から生まれた子どもは、その度合いは違えど精霊と親交力で繋がった肉体になるってこと」

「……だったらそれ、アナスタシア嬢しかいないじゃねーか」

「まあ、そうなるかな」


 そこまで言い終えると、ディートヘルムはゴロンと体を横にした。

 両腕を組んで後頭部に乗せ、小さく笑いながら天井を見つめる。


「って、おい! 話は終わりかよ! そんなのあんまりじゃねーか。アナスタシア嬢が聖女クリスタシアと同じ素質を持ってたって場合、精霊との親交力があるってことだろ? それってつまり――アナスタシア嬢には、人なんて殺せないじゃないか」

「……あんまり大声を出さないでくれ。どこで誰が聞いてるのか分からないんだ。それに、この話は仮説として聞けって言っただろ」

「だからって――」


 その後もバーンは納得がいかずに口を動かし続けていたが、ディートヘルムは聞こえないふりをした。

 もしも自分の考えが的を得ていたとして、このラクトリシア王国は、あまりにも一人の少女に固執している。


「聖女殺し、か。女の子が背負うには、なんてひどい呼び名なんだろうな」


 

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