第8話 魔法杖の修復と、



 アナスタシアは、ひとり分ほどの間を空けて石壁に座り直した。

 両手には折れたルムの魔法杖を置き、何度か深呼吸を繰り返す。


(長さは……だいたい20センチから25センチ。握り箇所から先端まで同種類の木製素材で統一してる。魔光石は風光石が支柱の上部にひとつ嵌め込まれているだけ)


「修復をはじめます」


 これは練習ではない。人様の物を預かり行う修復作業。

 それも自分から名乗り出たのだから、失敗しては元も子もない。


(大丈夫……できる、できる)


「──」


 アナスタシアは最後に呼吸を挟むと、ゆっくり唄を口ずさむ。

 輝きに包まれはじめた魔法杖は、だんだんと彼女の手を離れ、胸の前までふわりと浮いた。


(もう大丈夫だよ。痛くない。もうすぐで直るから)


 魔法杖に語りかけるように紡がれたアナスタシアの声に、橙色と緑色の光の玉が近寄ってくる。風と緑の精霊だ。

 風の精霊は風光石の周囲を飛び、緑の精霊は魔法杖全体を飛び回る。


 アナスタシアはさらに魔法杖に意識を注ぎ込んだ。

 手元に残るルムの魔力の感覚を呼び起こし、折れていた部分を一度溶かしたあと、魔力で繋ぎ合わせる。


 最後の仕上げに、風の精霊が風光石にそっと触れた。

 支柱の上部にある風光石は、風の精霊と共鳴し合うように輝きを強く放ちはじめる。

 しばらくするとその輝きは風光石に吸い込まれるように消えてゆき、魔法杖はアナスタシアの手元に戻ってきた。


(よかった。うまくできた)


 アナスタシアほっと胸を撫で下ろしながら、修復したばかりの魔法杖をじっくりと確かめる。

 心なしか魔法杖から元気そうな気配を感じて、成功したのだと安堵のため息がこぼれた。


「お待たせしました。ルムさん、手に取って確認してもらってもいいです……か?」


 アナスタシアは空気の変化を感じ取った。

 横を向けばルムが驚いた顔を隠すこともなくこちらに向けており、それは正面に立つバーンも似たようなものだった。


「ルム、さん? あの、どうかしました?」

「あ、ああ。いや、いや、何もない」


 ルムは正気を取り戻したのか、アナスタシアの声を聞いて肩をびくりと動かしていた。

 そのままの流れでアナスタシアから魔法杖を受け取ると、まじまじとそれを見つめる。


「折れた部分はしっかりくっついたと思います。余計なお世話だったら申し訳ないんですが、なるべくルムさんの魔力に合わせて修復し直しました」

「そう、みたいだ。さっきとは比べ物にならないくらい、手に馴染んでいる気がする」

「本当ですか? それならよかったです」 


 仮面の下でアナスタシアがぱぁっと笑った。


 先生……ナナシの男は、自分の手がけた魔法杖を魔法師や魔法治癒師に使われてこそ一人前と呼べる、と言っていた。

 この場合は、既存の魔法杖を修復したに過ぎない。ゆえに一人前と呼べるにはほど遠いわけだが、少しはそれに近づいたのではないかとアナスタシアは嬉しく思った。


「どこか違和感があったり、納得いかないところはありますか? できる範囲の手直しなら……」


 その時、嬉々としたアナスタシアの声を、時計塔の鐘の音が轟々と遮った。

 時刻は昼の十二時を告げている。

 現実へと引きずり込まれるように、アナスタシアの動きがぴたりと止まった。


「シアさん?」

「……帰らないと」


 焦りを見せ始めたアナスタシアは、石壁を降りるとローブの裾についた砂埃を丁寧に払った。

 

 いつもの自分なら、時間を忘れることなんてなかった。

 だけどつい、欲が出てしまったのかもしれない。

 久しぶりに同年代と思われる誰かと会話を交えたり、心から笑ったりと、夢のように楽しい一時であったから。

 無意識のうちに、時間から目を逸らしていたように思う。


「ごめんなさい。私、もう帰らないと。本当にごめんなさい」


 そう言いながらも、アナスタシアの足先はヴァンベール公爵邸のある方向へと進んでいる。

 切羽詰まった様子のアナスタシアは、一度広場の入口に目を向けた。


(どうしよう。工房に置いていく時間はないし、入口よりも反対の出口から抜けたほうが屋敷に早く帰れる)


 せっかくコットから貰い受けた素材だが、諦めなければいけないようだ。

 こうしている間にも、時間は過ぎていっている。今のアナスタシアには立ち止まっている余裕すらなかった。


「あの、本当にごめんなさい。中途半端になってしまって……ごめんなさい!」


 走り出したアナスタシアは、振り返った状態でルムとバーンに何度も謝っている。

 ルムは急いだ様子のアナスタシアを引き止めることはせず、姿が小さくなっていく彼女に向かって声を張り上げた。


「シアさん! 君が謝る必要はどこにもないから、もう謝らないでくれ。魔法杖を直してくれたことに感謝したいぐらいなんだ」


 手を振っているルムを視界の端に捉えたアナスタシアは、ぽかんと口を空けてしまった。

 感謝していると、彼がそう言ったからである。


「俺もバーンも、しばらくアッシェンデこの街に滞在する予定だ。また会えるなら……改めてお礼をさせて欲しい。俺も君を見つけたら必ず声をかける。本当にありがとう、シアさん」

「……っ、こちらこそ、ありがとうございます」


 変な人だと、アナスタシアは心の中で呟く。

 魔法杖の修復は、元はと言えば魔法杖を壊す原因を作った自分のせめてもの罪滅ぼしのための行いだった。

 それがあのように感謝され、逆にお礼をさせて欲しいと言われるなんて思ってもみなかった。


(お礼を言うのは、むしろ私のほうなのに)


 アナスタシアはここ数年で、今日が一番良い日だと自信を持って言えた。

 シアとして街に出て、工房で魔法杖を生成し、素材を集めて散策する。

 ナナシの男がいなくなり、彼女が孤独から抜け出す方法は代わり映えのないシアとしての行動に限られていた。

 もちろん、自分の立場を考えればそれも十分過ぎることだとは思う。


 けれど何よりも、アナスタシアがこの日を『良い日』だと思えたのは。




「――強引だったけど、直せて本当によかった。ね、ルル」


 息を切らして別邸に駆け込んだアナスタシアは、自室に戻り扉を閉めると、ずるずるその場に座り込んだ。


「誰かとあんなふうに話せたのは、本当に久しぶりだった。私、どこか変じゃなかったかな。言葉はおかしくなかったかな。ちゃんと、普通の人と同じように話せていた?」


 ルルは、ぽぽっと自分の輝きを強くさせた。


「そう、よかった」


 安心したように、アナスタシアは固く握った両手を胸に寄せ、瞼を下ろす。


 ──お前のせいで。

 ──あの娘のせいで。

 ──あの子のせいで。

 ──アナスタシアのせいで、聖女は死んだ。


『お前は最低の人間だ。二度とその顔を見せるな、僕の前に現れるな』

『また会えるなら……改めてお礼をさせて欲しい。俺も君を見つけたら必ず声をかける。本当にありがとう、シアさん』


「……変な人、だったなぁ」


 アナスタシアの声は、震えていた。

 誰にも決して晒すことのないその顔は、痛々しくも口端がわずかに上がっている。


 誰かに『また』と、次に繋がる言葉をもらえることは、こんなにも心が温まるものなのか。


 まるで約束ごとのようだと思った。

 彼は言った、必ずと。

 こんな自分には、またも、必ずも、とても不鮮明で確証のないものだというのに。

 当たり前のようでいて、その儚さをアナスタシアは知っている。


「ルル、それでも私ね……嬉しいって思ったの。あの人たちは私ことを知らないし、私もあの人たちを知らないけど。そう言ってくれただけで、嬉しくて、たまらなかった」


 ルルは、そう言いながらも悲しそうにしたアナスタシアの頬に擦り寄った。


「うん、ありがとうルル。これは二人の秘密にしようね」


 堪らない心地の中で、アナスタシアは今日という日を特別な思い出として記憶に飾ることにした。



 ***



「ルム、追いかけなくてよかったのか」


 先ほどまで小さな背中があった景色を眺めながら、赤髪の男……バーンが口を開く。

 ルムはちらりと横を見ながらため息をこぼした。


「そうだな。自分の役目を考えるならば追いかけた方がよかっただろうな」


 どこか投げやりな物言いをするルムに、バーンは片眉をあげる。


「ルムにしては気味が悪いくらい口数が少ないぞ。一体どうしたんだよ」

「……いいや。ただ、随分と自分に自信のない子だと思っただけだ」

「シアさんのことか? 自信がないってことはないだろ。あれだけの生成術が扱える魔法杖職人はそうそういない。自信があったからこそルムの魔法杖の修復も願い出たんだろ」

「……俺が言っているのは、そういうことではないんだよな」


 ルムはさらに嘆息した。

 友人としての付き合いも長いが、変なところでバーンは鈍感である。

 この感じでは先ほどの彼女に対する違和感も、生成術の異様さという観点からでしか気がついていないように思える。


「バーン、心配しなくても俺は可能性を秘めたあの子をみすみす逃す気はない。……だが今はこれ以上、彼女の話をするのはよそう。十二時の鐘が鳴ったということは、そろそろ登城しなければならない時刻だろうからな。宿に戻って支度を整える」


 ルムは外していた手袋をつけ直し、彼女が修復した魔法杖を丁寧に懐へとしまった。


「……ああ、そうだ。バーン、入口に置かれたあの袋も一緒に持って帰ろう」


 ルムの視線の先には、広場の入口で放置された大きな袋がある。

 バーンは目を細めて袋を確認すると、怪訝そうにルムを見つめた。


「たしかに袋はあるが、あれお前のじゃないだろ。勝手に持っていったらまずいんじゃないのか」

「おそらく彼女が置いていったものだ。立ち去り際に入口を気にしていた様子だったからな。次に会ったときにでも渡すさ」

「なんだよ、見つける自信ありありって顔だな」

「ああ、もちろん。当たり前のことを言うんだな?」

「……」


 眼孔を鋭く光らせたルムの横顔を、バーンは何も言わずにいた。

 アナスタシアがいたときとは、どこか雰囲気の異なる彼は、今も彼女が去った方向をじっと見据えている。


「さ、行こうか。いよいよ遅刻しそうだ」


 彼の空気が変わったのはほんの一瞬のことで、すぐいつも通りの軽い笑顔を浮かべたルムは、踵を返してさっさと歩き始めてしまった。

 入口とは正反対の方向……アナスタシアが去っていった出口へと向かっていた。


「こっちのほうが宿には近かったな。ほら、バーン。早くしないと袋がどこかに行くぞ」

「どっかに行こうとしてるのはお前だろうがー! ちょ、ほんとに待てって、聞いてんのかディートヘルム!」


 するとルムは足を止め、バーンをじろりと肩越しに見つめた。


「おい、ここでその名を呼ぶな」

「だったら俺が袋を持って戻ってくるまでそこにいろっての! さっきも勝手に消えやがって、護衛としての俺のプライドがズタズタだ!」

「……わかったわかった、悪かったよ。ここにいるから、そう大声をあげないでくれ」


 仕方なく、ルム――またの名をディートヘルムは石壁の上に座り直した。

 ふと流れた風が、彼の髪を柔らかく靡かせる。


「……ああ、もう効果切れか」


 風に揺られた自分の前髪を瞳に映したディートヘルムは、煩わしそうにひとりごとをこぼした。


 視界を邪魔する前髪を掻きあげ、ディートヘルムはバーンが戻ってくるまでのわずかの時間を、ぼんやりと空を見上げて過ごす。


「ったく、この色……目立ってしょうがない」


 いつの間にか彼の髪は、茶色から銀色混じりの漆黒へと変色をはじめていたのだった。

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