第7話 あらためまして自己紹介



「ルムー! ルムー!」


 さっそく魔法杖の修復のための前段階に取り掛かろうとしたとき、遠くのほうから男の声が聞こえてきた。

 アナスタシアが振り返れば、血相を変えてこちらに駆け寄ってくる青年の姿がある。


「ぜぇ……ぜぇ……みつ、見つけ……急にいなくなって……誘拐でもされたかと……思っ……ぜぇ」

「鼻息が荒いな、バーン」

「誰のせいだと思ってるんだ!?」


 バーンと呼ばれる赤髪を振り乱した青年は、アナスタシアの隣にいる青年の襟首を掴む勢いで詰め寄った。

 バーンの腰には鞘に収まった剣が二本ある。彼は剣士だろうかとアナスタシアは密かに考えた。


「ルム……さん?」


 アナスタシアは遠慮がちにルムと呼ばれた青年に声をかけた。


「ああ、そういえばまだ名乗っていなかったな。俺の名はルム。世界中を歩き回ってるしがない旅人だ」

「旅の方だったんですね。私はシアといいます。この街に住んでいる者です」

「シア……綺麗な響きの名前だ。どうぞよろしく」


 ルムから握手を求められ、アナスタシアは不慣れな動きでその手を掴む。

 手袋越しにも伝わる手の平の硬さに驚きつつも、表には出さず胸に留めた。

 よく見れば彼の腰にも一本の剣が収まっている。剣を使う人は、手のひらが丈夫になるのかもしれない。


「えーと、こちらの方は」


 取り残されたバーンが、アナスタシアを一瞥する。

 妙に探りを入れたような瞳で見つめられ、アナスタシアはバーンを見返した。


「俺もついさっき知り合ったばかりのシアさんだ。……女性だからってそうじろじろ見るな、失礼だろう」


 ルムは目を伏せ、バーンの脇を軽く小突く。

 バーンはハッとして居住まいを改めると、申し訳なさそうな顔をしてアナスタシアに会釈する。


「いや、すみません。ルム……彼は女性とあらば誰にでも声をかける身軽さを持ち合わせた男でして、あなたも何かされたのではと勘ぐってしまいました」

「なにかされたなんて……むしろルムさんには、助けていただいたばかりなんです」

「そうだぞ。雇い主に向かってなんて失礼な物言いなんだ。シアさんだって誤解するだろう」


 ルムは、先ほどの出来事を掻い摘んでバーンに説明した。

 ようやく状況を理解したバーンは、なるほどと頷いて見せる。


「そういうわけだ。それと、バーンの発言を鵜呑みにしないでくれるとありがたい。断じて俺は軟派野郎ではないから安心してくれ、シアさん」

「いや、そこはまるっきり事実だろ――ぼふっ」

「……」


 素早くバーンの脇を肘で突いたルムは、口を閉じながらにこにこと笑っていた。

 何となく二人の関係性が見えてくる。

 そして気兼ねない彼らの会話を傍から聞いていたアナスタシアは、堪えきれずに吹き出してしまった。


「……お二人はとても仲がいいんですね」


 片手を口に当て隠しながら、アナスタシアは楽しそうに笑う。

 アナスタシアが笑ったことが嬉しかったのか、彼女の肩に留まっていたルルと、近くに漂う精霊が踊るように飛び回った。


(ルムさんとバーンさん……面白い人だな。それに、ルムさんはルルと名前が似てるから、なんだか親近感が湧くというか)


 自分の心の動きを感じとるように、近くの木の葉っぱがさわさわと揺れる。


「……?」


 ルムは奇妙そうに木を横目に見た。

 風は全く吹いていないのに、葉だけが動いているからだ。

 アナスタシアの瞳には、葉の上に緑色の光がいくつも見えているものの、彼女以外にそれは分からない。


 ルムはあまり気に留めず、会話を再開させた。


「……たしかに仲は良いほうかもしれないな。旅の間の用心棒として雇っているが、そもそもバーンとは幼い頃からの腐れ縁でね」

「とても、素敵な関係だと思います」

「そうか? 遠慮の欠片もないうえに、歯ぎしりは聞くに絶えない音を奏でるもんだから、最近では距離を取りたくて仕方がないんだけどな……」

「お、まえ! そういうのシアさん女性の前で言うやつがあるかよ!」


 仲の良い友達、幼い頃からの縁。

 それらの関係とは無縁なところで生きているアナスタシアにとって、彼らの並ぶ姿はどこか眩しい。

 こうして軽口が言い合えるのも、心を許した者同士の特権のように思える。


「……」

「シアさん、どうかした?」


 ルムは、急に黙り込み俯いたアナスタシアに目を向ける。

 アナスタシアは何事もなかったように顔を横に振って、感情を悟られないように「なんでもないです」と言った。



 ***



「それでは、さっそく修復の準備にかかりますね。ルムさん、両手を出してもらってもいいですか?」


 アナスタシアたちは、場所を木の真下から近くの石壁へと移した。

 腰下ほどの高さの石壁は、椅子の代わりにはちょうどいい。

 アナスタシアはルムを石壁の上に座らせ、自分も隣に腰を下ろした。

 バーンは真正面に立ち、二人の様子を見守っている。


「……。手だな、了解」


 当たり前のように両手を求められ、ルムはぴくりと反応を示した。

 アナスタシアは気づいていないようだが、バーンも同じような反応で彼女を見ている。


「ということは、手袋も取った方がやりやすいかな」

「そうですね。その方が正確にルムさんの魔力の性質や濃度を確かめられるとは思います。……あ、でも、ルムさんがよければですけど」

「そうか。うん、わかった」


 考える素振りを一瞬だけ見せたルムだったが、すぐに手袋を外していく。

 長い指が、するりと布からあらわになる。


(これは、なんだろう?)


 ルムの手の甲に目を落としたアナスタシアは、じっとそこを凝視した。

 男性らしくも、長く綺麗な形をしたルムの手。

 そんな彼の左手の親指には、黒い蛇のような模様が描かれていた。

 まるで親指に巻き付くようにして浮かび上がる模様に目を奪われていれば、ルムから声がかかる。


「シアさん、どうかした?」

「いえ、なんでもありません。それでは、失礼しますね」


 アナスタシアは気を取り直してルムの両手に触れた。

 だが、ルムの手を取ったアナスタシアはぎょっとしてしまう。

 蛇の模様ばかりに意識が逸れていたが、それだけではなかった。


(手首に……火傷みたいな……爛れた傷跡がある)


 もしかすると、彼が手袋を外すべきかと尋ねたのは、この傷跡が関係していたのかもしれない。

 そうだとしたら申し訳ないことをしてしまったと、アナスタシアは心の中で猛省した。


(こうして知らない人と長くいたのは久しぶりだったから……感覚がうまく掴めない。失礼のないようにしないと)


 傷跡には触れずに、アナスタシアは自分のやるべきことに意識を集中させる。


(ルムさんの魔力……あたたかい。ほっとする。それに少しだけ……先生の魔力に似ているかも)


 手のひらを通じて、アナスタシアはルムの魔力を読み取った。


(もっと……)


 アナスタシアは魔力を手繰り寄せるように、ルムの手をさらに握り込む。

 魔力の読み取りは、相手の肌と自分の肌を合わせることで可能となる。

 相手の魔力を理解すればするほどに、その者に合った魔法杖を作ることができるため、かなり重要な下準備の一つであった。


「シアさん?」

「しっ、ルム。今は動いちゃダメなとこだろ」


(……うん、だいたいわかった。これぐらいで大丈夫かな。それにしても、ルムさんの魔力……)


 今回は既存の魔法杖の修復と、直した魔法杖をルム仕様に寄せる、この二点のみ。

 一から魔法杖を作るときのような時間もかからず、すぐに終了するだろう。


「ルムさん、ありがとうございます」

「い、いや……ううん、なんといえばいいか、こちらこそ」


 ふっと肩の力を抜き、アナスタシアはルムのほうを向いた。

 ほんのりと頬を染めたルムは、照れてはいるが余裕そうな面持ちを崩すことなく目を細めている。

 そこで、アナスタシアは自分からルムの手をがっしりと掴み、指を絡めていることに気がついた。


(しまった。先生のときとは違うのに、また私は失礼なことを)


 魔力の読み取りに夢中になっていたとはいえ、馴れ馴れしいことをしてしまったと、アナスタシアの背筋がひやりと凍る。


 普通、年頃の少女なら照れて慌てふためくような場面であるのに、アナスタシアの感覚は少し違っていた。


「不快なことをしてしまいました。……すみませんでした」


 体を縮こまらせ謝るアナスタシアの姿には、ルムもバーンも二人して顔を見合わせていた。

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