第6話 折れた魔法杖



 ぽっきりと折れた魔法杖。

 アナスタシアは胸に痛みを覚えながら、地面にゆっくりと両膝を立てる。


「本当に……ごめんなさい。魔法杖がこんなことに」


 労わるように魔法杖を両手に乗せたアナスタシアは、弱々しい声音で再び青年に謝った。

 他人の持ち物を壊してしまった失態と、魔法杖にこんなことをしてしまった罪悪感で心が苦しくなる。


「……君が気に病む必要はない。その魔法杖はたまたま市場で見かけたものなんだ。価値の高いものでも、特別な物というわけでもないから、気にしなくても――」


 青年にとってはアナスタシアを気遣っての言葉だったのだろう。

 しかしアナスタシアは、青年の言葉を遮るように発言をした。


「価値の問題では、ないんです。人が怪我を負えば痛みを感じるように、魔法杖も……傷ついたり折れてしまったら悲鳴をあげるものです。魔法杖は、心を宿すから」

「……!」

「本当にごめんなさい。わざとじゃなくても、痛い思いをさせて、ごめんなさい」


 アナスタシアの最後の言葉は、青年に向けられたものではなく、折れた魔法杖にかけられた言葉だった。


「君は……」


 強い視線を感じたアナスタシアは、ふと顔をあげる。

 アナスタシアを見下ろしていた青年は、いつの間にか彼女の顔を覗き込んでいた。


「な、なな、なんでしょう!?」


 アナスタシアはすかさず距離を取り、頭巾を深く被り直す。

 仮面が取り付けられた顔をじっくり見られたような気がして、落ち着かなかった。

 

 王都に訪れる大道芸人やサーカスの団体など、なりを煌びやかに見せるため仮面を着用している者は一定数いる。

 だからこそアナスタシアが「シア」として街を歩いていても不審には思われないのだが、彼女の場合は着用の目的がそもそも違う。

 アナスタシアの仮面は、あまり堂々と晒せるものでも、見せられるものでもないのだ。


「ああ、悪い。つい、どんな顔をしているんだろうと思って覗いてしまった」

「そ、そうですか」


 たしかに、会話の相手が顔を大袈裟に隠していたら気になるものなのかもしれない。

 驚いて飛び上がったアナスタシアを心配してか、ルルが青年の周りを監視するようにぐるぐると飛んでいた。

 

(ルル、大丈夫だよ。ちょっと驚いただけだし、この人も悪気はないと思うから)

 

 青年も困ったような表情を浮かべている。

 こうも警戒されるとは思っていなかったのだろう。自分の行動を振り返って一人で反省していた。


「こちらこそ、過剰な態度をとってしまいました。すみません」


 アナスタシアがおずおずと頭を下げれば、青年はふっと笑った。


「さっきから君ばかり謝罪続きな気がするな。今のは俺の配慮不足が原因なんだから、君は何も悪くないよ。それに、この魔法杖も」


 青年はアナスタシアの手の上にある魔法杖をちらりと見る。

 折れた魔法杖を見て痛ましそうに目を細めたあと、アナスタシアに向き直った。


「ところで君はこの街の人? もしよければ魔法杖職人のいる工房を教えてくれないか?」

「工房、ですか……?」

「ああ。早くこの魔法杖を直して貰おうと思ってね。君の言うとおり、このままでは杖も痛いだろうから。とはいえ、ここまで綺麗に折れてしまっては完璧に直せる者も少ないとは思うが……もしあてがあるならどこか」


 アナスタシアは言葉を詰まらせた。

 グリゴワーズ通りに行けば、魔法杖職人が営んでいる工房はたくさんある。

 全員がそうとは限らないが、折れた魔法杖を元通りにしてくれる職人も、中にはいるかもしれない。


(だけど……)


 ある考えがアナスタシアの頭の中に浮かんだ。

 けれどなかなか踏み出せず、ぐっと喉の奥が狭まっていく。 

 

「あ、あの……」

「ん?」


 恐る恐る声を出したアナスタシアの様子に、青年は不思議そうに首を傾げた。

 意を決して、アナスタシアは提案した。


「もし、可能なら……その魔法杖、私が直しても構いませんかっ」


 いたい、いたい、早く直してよう。

 そんな声が、魔法杖からする。


 きっとそれは、青年には聞こえていない。

 アナスタシアにだけ語りかけていた魔法杖の心の音。



 ***


 

「驚いたな。君は、魔法杖職人ワンドクラフターだったのか?」


 目を見開く青年に、アナスタシアは肩を震わせた。

 魔法杖の生成はできるものの、自分を魔法杖職人だと位置づけたことは一度もなかったからだ。


「少しだけ教わっていたことがあります。魔法杖職人である方から、生成の基礎を教えてもらいました。その後は独学で、自分なりに魔法杖の生成を……」


 声がどんどん萎んでいく。

 今日で百本目の魔法杖を完成させたが、それを使ってもらったことは一度たりともない。

 アナスタシアも魔法杖の生成ならできるが、魔法自体は発動できないので、使い物になるのかまでは確かめようがなかった。

 だからといって売りに出すことも躊躇われる。

 そのためただひたすらにせっせと魔法杖を生み出していたわけだが、魔法杖職人かと問われると、首を横に振るしかない。


「だけど、必ず直します。お願いします、私に直させてください!」


 普段のアナスタシアならば、こうも必死になったりはしなかった。

 息抜きといえど街の中でも一定の距離を保ち、魔法素材店や広場の子どもたちとも深い関わりを持とうとはしない。

 それが、街でのアナスタシアのすごしかただった。


 ナナシの男は例外であるが、この歳になったアナスタシアがこのような行動に出たのは初めてのことである。


 アナスタシアを駆り立てていたのは、自分が原因で壊れてしまった魔法杖に対する罪の意識。

 その罪滅ぼしとして、自分が魔法杖を直せないかと思ったからだ。


「よし、わかった。そこまで言うなら、君に頼むとするかな」

「……! ありがとうございます!」


 その声を聞いて、アナスタシアはさらに頭をさげたのだった。

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