第5話 魔法市街と出逢い



 アナスタシアは見慣れた景色の中を、まるで溶け込むように進んでいた。

 彼女が向かう先には、魔法市街『グリゴワーズ』がある。


 魔法素材、魔法杖、魔法書、魔法薬などの数多くの品々を取り揃えた店舗が並ぶほか、それらを生成する職人――主に魔法杖職人が拠点を構える場所として栄えていた。


「こんにちは、コットさん」


 アナスタシアは、魔法素材を幅広く取り扱う素材店に顔を出した。


「おお、シアちゃん! 久しぶりだねぇ。日が空いたから随分と溜まってるんだよ、


 顔を隠した状態のアナスタシアを快く迎えてくれたのは、髭を生やした中年男性である。

 待ってましたと言わんばかりにコットは笑顔を浮かべ、膨れ上がった袋を片手に持ち掲げた。


「わぁ、こんなに貰っていいの?」

「構わん構わん。どうせ処分するだけの欠陥素材だからなぁ。こっちとしては引き取ってくれて大助かりだよ」


 アナスタシアは嬉しそうに袋の中を覗き込んだ。


「いつもありがとう、コットさん。これだけあれば、しばらくは困らないと思う」


 職人の間では使い物にならないといわれている屑石、虫に食われた木材、焦げた魔獣の鱗や羽、規定の量に届かない植物など。

 他にも数多くの欠陥品で溢れた袋を、アナスタシアはコットから受け取っていた。


 魔法杖の生成に使われる素材を、アナスタシアはこうして手に入れていた。

 持っていても意味の無い物、扱いに困る物などをかき集め、それを使って魔法杖を作るのだ。


「また来るね、コットさん」


 あまり長くは居座らずに、アナスタシアは店を後にした。

 コットもそれを分かっているので無理に引き止めはせず、優しい顔つきで見送っている。


 コットの素材店とは、アナスタシアが先生と呼ぶ『ナナシ』がこの都に滞在していた頃からの付き合いだった。

 そして、欠陥素材を引き取るという知恵をアナスタシアに授けたのもナナシである。

 

 素材店としては、売りに出せない素材を手放せるのならば大助かり。

 アナスタシアも無償で魔法杖の生成に必要な素材が手に入れることができる。

 結果的に双方、都合の良い関係なのだ。


(こんなにたくさん手に入るなんて、今日は良い日だなぁ)


 仮面の下でほくほく顔を浮かべつつ、アナスタシアはグリゴワーズ通りを歩いていく。

 本来ならばもう少し欠陥素材集めに歩き回るのだが、その必要がないほどにコットから譲り受けることができた。


(結構重量もあるし、工房に戻って置いてこよう)


 早々に魔法市街グリゴワーズを後にしたアナスタシアは、来た道を引き返していく。

 途中、街の子どもたちの遊び場となっている広場の前に差し掛かる。

 中にはアナスタシアの見知った顔も何人かおり、子どもたちは揃って木の真下に集まっていた。


「どうしよう……ぼくたちじゃ届かないよ」

「どうしたの?」


 困り果てた様子の子どもたちが気になったアナスタシアは、広場の入口に袋を置くと、早足で駆け寄った。


「あ、ねこのおねーちゃん!」


 子どもの一人がアナスタシアに向かってそう言った。

 以前、怪我をした野良猫をアナスタシアが子どもたちに代わり手当てしたことから、アナスタシアはそう呼ばれている。


「どうしようおねーちゃん。あの子、木登りしたら降りられなくなっちゃったんだ」


 子どもの指さす方向には、木の枝にしがみつく幼い少年の姿があった。


「うええん! こわいよー! たすけてぇ!!」


 少年は気が動転しているのか、今にも飛び降りてしまいそうな勢いである。

 アナスタシアは何かクッションになるものはないかと周囲を見渡すが、そんな都合の良いものはない。


 そうこうしているうちに、枝の上で震えている少年はバランスを崩して落っこちそうになっていた。


「危ないっ!」


 そこまで大きな木ではないが、子どもが落ちれば軽い怪我だけでは済まないだろう。

 アナスタシアは咄嗟に少年の落下位置に滑り込み、手を広げた。


 少年の体がアナスタシアの手に触れたとき――彼女の背後から、温かな風が優しく吹いた。



 ***



「いたたた、ったく……無茶するなぁ」

「……?」


 アナスタシアは状況がうまく飲み込めずにいた。

 自分の腕の中には、木から落ちた少年がしっかりといる。

 少年は落ちた瞬間に気を失ったようで、アナスタシアの胸にもたれるようにして目を閉じていた。


(あまり衝撃がなかったような)


 子どもとはいえど一人の体重を受け止めればただでは済まないはずなのに、アナスタシアは無事だった。

 体勢を崩して尻もちをついたものの、どこにも痛みはない。


「大丈夫か?」


 至近距離から声がして、アナスタシアはぱっと後ろを振り返った。


「……っ」


 仮面越しに見えたのは、年若い青年の顔だった。

 後ろを柔らかく束ねた茶色の髪と、吸い込まれそうな銀色の瞳を持った青年は、アナスタシアを見下ろして苦笑している。


「怪我は? 君が子どもを抱えて倒れ込む寸前で、なんとか衝撃を軽くできたとは思うんだけど」

「……あっ、の、申し訳ございません!」


 アナスタシアは慌てて青年から離れた。

 どうやら自分は、見ず知らずの男性の体をクッションにしてしまったらしい。

 おかげで怪我は免れたものの、とんだ迷惑をかけてしまった。


「ははっ、そう謝らないでくれよ。もし君がいなければその子どもは今ごろ大怪我をしていただろうし。それを君は救ったんだ。謝るどころが誇るべきことだろう?」

「は、はぁ……」

「何はともあれ、君も無事で良かった」


 青年の浮かべる笑顔は、どこまでも穏やかで優しいもので。

 綺麗な顔立ちをしているのも理由の一つだが、その何気ない言葉を放つ青年から、アナスタシアは目が離せないでいた。


「ん〜あれぇ? ここどこ?」


 不意に、気を失っていた少年が、あくびとともに目を覚ました。

 アナスタシアははっとして少年に視線を移し、どこにも痛みはないかと心配そうに尋ねる。

 その様子を青年は何気なしに眺めていた。


「ええ? 痛くないよ。そういえばぼく、木の上にいたのに、どうしてねこのおねーちゃんに抱っこされてるの?」

「ばか! あんたが木から落ちたのを、おねーちゃんとおにーちゃんが助けてくれたからでしょ!」

「そうだよ! もー、だから木登りは危ないって言ったのに!」


 総攻撃を受ける少年は戸惑いながら涙を浮かべている。


「こらこらみんな、喧嘩しないの」

「彼女の言う通りだ。言い争いなんてしてないで、子どもは仲良く遊びな」


 青年はくすくす笑いながら子どもたちを諌めていた。

 アナスタシアは子どもたちを落ち着かせつつ、もう危険なことはしないと約束させ、その場はお開きとなった。


「あの……助けていただきまして、本当にありがとうございます」


 残されたアナスタシアは、同じように佇む青年に向き直る。

 深く頭を下げると、青年は可笑しそうに笑った。


「君は随分と律儀な人だな。ちょっと魔法を使って人助けしただけで、こんなに感謝されるとは思っていなかったよ」

「魔法……だったんですね。あれ、だけど魔法杖は……」


 青年の手に魔法杖はない。魔法は、魔法杖がなければ出せないというのに。

 一体どうやって魔法を使ったのかと不思議に思っていれば、青年は気まずそうにしながら地面に目を落とした。


「あー……ははは、やっぱりこうなってるか。嫌な音は聞こえていたから、薄々そうだとは感じていたが……」


 アナスタシアも釣られて視線を下降させる。


「あ……!」


 短い悲鳴が、アナスタシアの口からこぼれた。


 今の今まで青年の足元に隠れて見えなかったが、アナスタシアが子どもを受け止め尻もちをついた場所には、真っ二つに折れた魔法杖が転がっていた。

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