第3話 魔法杖
多くの人が行き交いする広場から、おおよそ十分程度の場所にあるアナスタシアの工房。
アナスタシアの、というよりは……元々この工房を使っていた男に、無理やり管理を任されたに過ぎない。
大通りの小脇にある薄暗い路地裏を抜け、その先にある閑静なたたずまいの家々を歩くと、それはあった。
春になれば薄桃色の花、夏になれば水色の花、秋になれば黄色の花、冬になれば赤い花が咲く樹木が目印の工房は、六段ほど下がった階段の先にある。
腐ってはいないものの、あきらかに年期の入った木製の扉に鍵を差し込み、アナスタシアはゆっくりと押し開いた。
中もそれほど広々とはしていないが、アナスタシアの普段の作業スペースとしては十分な広さだ。
日も当たらない薄暗闇の中を彼女は迷うことなく真っ直ぐと進んでいく。隣の部屋に繋がる仕切りはカーテンのみとなっており、それをズラしてアナスタシアは足を踏み入れる。
「ルル、光をくれる?」
そうアナスタシアが声をかけると、後ろをくっついていたルルが天井に吊るしたランプの中へと入っていく。
すると中に入った蝋燭に、火とは違った別の光が灯された。どういった原理かアナスタシアも分からないが、ルルは照明の役割も果たしてくれていた。
照らされた部屋には、作業台と思わしき長机のスペースがある。飾り棚には数多の小瓶から大瓶が背を揃えて並んでいた。色とりどりの光り輝く石、水晶石やら鉱石がぎっしり中に詰まれそれぞれ光を放っている。
「もう少しで完成だね、ルル」
アナスタシアの嬉々とした声に反応するよう、ルルは彼女の周囲をふわふわと漂っていた。
机の上には、緻密な細工が施された杖がある。直径50センチほどのそれは、まだ未完成で上部分に大きめの窪みのようなものが一つあった。
杖の両端にそっと触れて持ち上げたアナスタシアは、一つ呼吸を挟むと、意識を集中させる。
「みんな、出ておいで」
アナスタシアの言葉に反応するように、彼女の周囲にはどこからともなく色とりどりの光の玉が現れはじめた。
赤の色は炎の精霊
青の色は水の精霊
黄の色は雷の精霊
緑の色は緑の精霊
橙の色は風の精霊
紫の色は影の精霊
白の色は光の精霊
「──」
唇が、唄を刻んだ。
アナスタシアが心の思うままに旋律を口ずさむと、わらわらと大量に出てくる光の玉たち。
まるで踊り遊ぶようにアナスタシアの周囲をふわふわと浮遊していた。
そうしてきらきらと反射する柔らかな糸のような線が、アナスタシアと光を繋いでいく。
その中で、ひときわ輝きを放つ光の玉がいる。
青の光の精霊玉、水の精霊だ。
アナスタシアは音を口ずさみながら、用意していた薄い水色の魔光石を取り出した。
魔力の光を放つ石の意味を持つことから名称付られたそれは、大地や自然に溶け込み存在するものであった。
魔光石は、通常の鉱石とは異なる魔力が流れる土地に生まれてくる自然の産物である。
また、その辺の道に生えていることもざらにある。
道端に生える魔光石は、希少価値のない屑石と言われてしまう場合が多いが、アナスタシアが今まさに使用しているのが道端に生える魔光石だった。
噴水の近くに控えめに生えていた魔光石を使って彼女が生み出そうとしているのは、水属性の杖と呼ばれる水の魔法に特化した者が、魔法を出現させる際に用いる魔法杖だった。
アナスタシアが持ち出した水の魔光石。通常は種類を区別するために水光石と呼ばれるそれに、青い光がわ~っと集まりだす。
「──」
口ずさみ続けるアナスタシアの手にあった杖と水光石が、彼女の手を離れて宙に浮いた。
二つの物体の間を飛び回る水の精霊たちは、徐々に光を色濃く放ち、きらきらと輝く粒子の美しい現象を作り出す。
そして――。
「ありがとう、みんな」
輝きが落ち着き、多くの光の線も消える。
アナスタシアの両手に収まるように戻ってきた杖は、窪みにしっかりと水光石がはめ込まれた――魔法の杖へと姿を変えていた。
***
『お前には魔法杖職人(ワンドクラフター)の才能があるみたいだ。それも、俺たちには到底行き着くことのできない領域の生成……精霊の力を完全に借りて生成術を使える』
アナスタシアの力を見出したのは、自分を『ナナシ』と名乗る男だった。
本名を名乗っていないことくらい、子どものアナスタシアでも分かった。
素性の知れない、自分と同じように顔を隠した男。
名前すら嘘である、謎の男。
それでも孤独な日々を過ごすアナスタシアには、古びた工房と、男の存在が、あの頃の自分を救ってくれたのだ。
『それじゃあ私も、先生みたいに綺麗な杖が作れるの?』
アナスタシアは、美しい魔法杖を生成する男の作業風景を横から見ているのが好きだった。
男は精霊が見えないようだったが、男に好意的な精霊たちが少しだけ、男に力を貸していた。
それを男に教えたところで、男はアナスタシアに才能があると言ったのである。
『なんだその、せんせいって。まさか俺のことじゃないよな』
『でも、何かを教えてくれる人のことを先生って呼ぶんだって、本に書いてあったよ』
『……。そうかいそうかい。なら、お前にだけ許可してやるか。俺のことを"先生"と呼ぶ生徒は』
『やったあ』
ナナシという名の男――アナスタシアが先生と呼ぶ彼は、魔法杖職人(ワンドクラフター)だった。
魔法杖職人(ワンドクラフター)とは、人の手で魔法を生み出すために必要な魔法杖を創り出す者の総称である。
五種の基本属性、二種の特質属性に分類される魔法のいずれかを操る魔法師、傷を癒す魔法の力に特化した治癒魔法師――縮めて治癒師と呼ぶ人々よりもさらに希少な存在といわれているのが、魔法杖職人であった。
魔法を操るためには、操る人間に適した魔法杖が絶対不可欠である。
そのため、魔法杖を販売する店が多く存在するわけだが、その者にぴったりと合う魔法杖を探し当てるのは困難であった。
魔法杖は、己の能力を最大限に引き出すためのアイテムであり、魔法杖の出来栄えで魔法の発動が変わってしまう場合もあるとされている。
故に莫大な富を有する貴族や王族などは、より高品質の魔法杖を手に入れるために魔法杖職人にオーダーメイドするのが一般的であった。
また、実力ある魔法師や魔法治癒師が頼るのも、やはり魔法杖職人だ。
ラクトリシア王国において魔法を扱う者を対象とした統計では、魔法師が六割、治癒師が三割、魔法杖職人は一割未満となっている。
割合を見ても数に違いがあるのは明らかだった。
理由は明解、魔法杖の生成がありえないほど難しいからである。
万人が使えるような魔法杖ならばまだ簡単なほうだが、オーダーメイドともなると難しさの度合いは段違いであった。
オーダーメイドの魔法杖は一人の人間に合うように、依頼者の魔力の性質や濃度を理解した上で生成していく。
そして魔法杖の生成の際には、杖の素材となるそれぞれの物質の中身を自身の魔力で分解して溶かし、それをさらに魔力で繋ぎ合わせていくのだ。
そういった工程の末に出来上がるのが、オーダーメイドの魔法杖である。
とはいえ、魔法杖職人と名乗る者たち全員が素材の分解や溶かしをしているわけではない。
見よう見まねで既存の杖に魔光石をはめ込むだけという、下級|魔法杖職人(ワンドクラフター)がいれば、引く手あまたの上級|魔法杖職人(ワンドクラフター)がいる。
魔法杖職人の見分け方は、正式に称号が記された許可証を得ているかいないかだ。
ラクトリシア王国内において――下級、中級、上級ともに、おおやけに魔法杖職人を名乗り、自分の作った魔法杖を売るには許可証の所持がいる。
なかでも上級は、魔法杖職人を育成するための養成施設、または独学か上級魔法杖職人を師に持つ者が、上級魔法杖職人の試験を受け合格することで、はじめて上級魔法杖職人と名乗ることができる。
上級ともなれば王族や貴族のお抱えになることもあるそうで、どの国でも上級魔法杖職人は高待遇で迎え入れられていた。
――そんな、世間では上級|魔法杖職人(ワンドクラフター)と呼ばれる者たちを凌ぐ魔法杖を生み出せる少女が、ラクトリシア王国にはいる。
その少女は、名の知れた嫌われ者だ。
けれど少女が生成する魔法杖は、全世界が喉から手が出るほどに欲する力を秘めている。
孤独を紛らわすために、有り合わせの素材で生成された魔法杖ですら、少女の能力と精霊の力を借りることによって希少価値の魔法杖へと生まれ変わるのだ。
憎まれ者、嫌われ者の少女、アナスタシア。
少女の才能を知る者は、現在のラクトリシア王国には――まだいない。
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