第20話

あの人の宝物だったっていうのに、琢斗くんには気兼ねなく触ってもらえちゃうのよね……これが琢斗くんじゃなくて他の人だったら絶対に許せないと思うんだけど、何でだろ……不思議ね。

私なんて、あの人が大切にしてた物だから何かしでかしちゃったら不味いかなと生前からずっと近寄らない様にしてたんだけど。

なんて思ってたら、琢斗くんから想定していた中でも最悪とも言える言葉が。


「正直に言うけど、エンジン駄目だね」


触らないでいたから駄目になっちゃったのかしら?

それとも、あの人が何かしでかしちゃってたのかしら……。

そんな私の思考を読んだかどうかは分からないけれど、彼にとって必要と思われる質問が。


「ちょっとお聞きしますが、東雲さんのお父さんってツーリングは大抵日帰りでした?」


エンジンが駄目という事と質問の内容が私にはまったく繋げられない……でも、きっと必要な質問なのよね。

うーんとね、あの人の場合は……。


「そうね。私達が“こんな"だからってのもあって、いつも日帰りだったわ」


元々旅行と言うより“旅”が好きだったのは知ってたから、私達は家に引き籠もってるだけだから泊まりで行ってきてもいいのよって言ってはいたけれど、頑なに日帰りしてたのよね。

まぁ私達の事心配してくれてたのは分かってたし、それはそれで嬉しかったんだけどさ。


「やっぱりそうですか……」


やっぱりって……まぁ名探偵な琢斗くんなら予想通りなんでしょうけど、そこからどうエンジンが駄目という事に繋がるの?

それと、駄目というのは……。


「えっと……駄目って言うのは予想よりかなり良くない感じなのかしら?」


直るレベルの“駄目"なのかしら?

それとも手の施せない状態なのかしら……。


「ぶっちゃけ、今までの無茶のツケが来てる感じですね。さり気なく買い替えようかな〜とか話振られませんでした?」


無茶って……いつものほほんとしてたあの人が無茶をする姿が想像出来ないわね……。

でも買い替え話かぁ……あったかな、そんなの……。


「うーん……あ、思い出した。あの事故の直前に『冬になるとバイクの値段下がるんだよなぁ……維持費もこっちの方が安いし……』とかブツブツ言ってたわ。バイクに関しては一度も反対とかしたことないし、自分の稼いだお金で好きな物買えばいいだけの話なんだしいいんじゃないの〜って言った気がするけど」

「ナルホド……」


そこで“ナルホド”なんだ……こっちは全然ナルホドじゃないんだけど?


「それで、結論としてはどうなのかしら? 買い替えなきゃいけないような状態なら諦めるけど……」


要はそこなのよね。

ここまで話が纏まったんだし、出来る事ならあの人の夢をあの人のバイクで茜と一緒に達成して欲しいのよ……駄目なら諦めるけど。

ほら、茜も心配どころか諦めの境地で下向いちゃってるし。

でもそんな私達の思いを理解してるからなのか、とてもアッサリと。


「直りますし直しますよ。ただ結構金掛かるな〜って思っただけです」


ホントにアッサリと言い切っちゃったわ……。


「そうね、そう言ってたわよね、最初から。ちなみに買い替え話をしてたって予想はどこから来たの? さっきの日帰りってのと、どんな繋がりがあるの?」


直るって言い切ってくれたからひとまずホッとしたけれど、そこはさっぱり分からないのよね。


「予想って程の話じゃないですよ。家族が心配だからお泊りツーリングで家を空ける訳にはいかない……けど走りには行きたい……そこで日帰りです。昼間はそうそう問題なんて起きないでしょうしね。でも行きたいところはそこそこ距離がある……だから朝早くに出発して燃費無視して高速飛ばして……ってのを繰り返した末の9万kmなんだろうなぁ……って話です。250ccのトレールバイクって高速走るのにはあまり向いてませんから、100km/hで巡航するとかなりエンジンに負担かかるんです。で、法定速度の実速100km/hって、メーター読みだと105〜110km/hでして、もう燃費もガタ落ちのほぼアクセル全開な高負荷状態なんです。それを何度も繰り返した末の9万km……それがこのバイクの現状です」


そっかぁ……あの人が無茶してたかぁ……そっかぁ……色々考えちゃうなぁ……。

でもまぁ。


「ナルホドね……それで買い替えに話が行ったって事?」


壊れちゃったなら仕方がないわよね。

でも、あれだけ気に入ってたバイクを簡単に諦めるものかしら?

大学時代から乗ってて「一生乗り続けるんだっ!」とか言ってたのに……だからさっきの話も買い替えじゃなくて増車なんだと思った記憶があるし。


「うーん……多分その前にワンクッション入れてると思いますよ?」

「ワンクッション?」


買い替えにワンクッションとか、どういう事?

全然意味分からないわ……。


「ええ、ワンクッションです。おそらくですけど、その話をする前にバイクは探してたと思いますよ。え〜っと……ここにある本、ちょっと引っ張り出してもいいですか?」


何だか分からないけど、とりあえず頷いたら一冊の雑誌が出てきたわ。

あ、これってバイクの中古車雑誌だわ。


「はい、これが東雲さんのお父さんが考えていたワンクッションです」

「これって……TT−R?」


え?

TT−Rに乗ってたのに、TT−R探してたの?

何で?


「ええ、探してたんですよ、東雲さんのお父さんが乗ってたのと全く同じTT−Rを。で、こっそり買い替えて何事も無かったかの様にガレージに置いておくつもりだったと思います。バレなきゃセーフですからね、本人的には。でも残念、30年近く前のバイクが、しかも程度の良い車両がそうそう転がっている訳もなく、バレないプランを諦めて泣く泣く買い替え話をし始めた……多分こんな感じじゃないですかね」


ナルホド……そういう発想は全く思いつかなかったわ。

これも琢斗くんに言わせれば“あるある"なんでしょうね、きっと。

でも、納得出来ちゃうわ……あの人なら確かにそうかもって気がするし。

でも、正直なところそれよりもっと気になる事が出来ちゃったのよね……。


「あのね琢斗くん……ちょっと聞きたい事が……私達ってバイクに関してはただの一度も文句言ったりしたことないのよ。でも、何と言うか……私達って知らないうちにあの人を責めてたなんて事はあるのかしら?」


自分で言うのも癪だけど、私ってあの人にとってかなり面倒な女だったって自覚はあるのよ。

外を歩けばトラブルの元になる男がフラフラ寄ってくるから誘蛾灯みたいだって思ったし、そのせいで超インドア派してたからある意味あの人から楽しみ奪ってたようなもんだったって自覚もあるし。

でも、だからこそ好きな事して欲しいとも思ってたのよ。

それが何と言うか……無自覚に追い詰めてたりしてたのかもと思うと……。

でも、それにすらキッチリ答えをくれるのね、琢斗くんは。


「……えっとですね……その場にいた訳じゃないですけど、これに関しては断言します。おっさんライダーってそんなもんなんです」


軽く言ってくれたけど、ちょっと理解出来ないわ……。


「……そんなもんって?」


私達が責めてた訳じゃないってこと?


「まぁどこまでいってもバイクって殆どの人にとっては贅沢品なんですよ。ろくに家族旅行にも行けない実質的お一人様用車両で、保険料だけでも年間数万円掛かる贅沢品、それがバイクです。ましてや軽自動車とはいえハスラーも持ってた訳ですから、通勤にすら使わないバイクはそれこそ贅沢品です。そんな金あるなら娘や嫁さんに服でも買ってやれよって世間様は言う訳です。バイク乗りからすればお前に迷惑掛けてないんだから放っておけよと言いたくなる理屈ですが。普段から一人で大きなSUV乗り回してる人より100倍エコでしょうよと。で、そんな文句はありつつも世間様が言う様にバイクが贅沢品であるという認識が本人にはありますから、家族が認めてくれてるという事実を毎回確認せずにはいられない訳です。前回は認めてくれてたけど、今回認めてくれるかどうかは分からない……だからコソコソと買い物しますし、隠しきれない物に関しては毎回お伺いを立てる訳です。ですから話を聞いた限りですと家族側には何の落ち度も問題もありませんよ。家族無視して散財しまくった挙げ句経済状態最悪にしちまうダメ人間も世間にはいたりしますから、むしろ家族を大切にしてたって事だと思いますし、おっさんライダーはそういう生き物って認識してくれれば充分じゃないですかね」


ナルホドね。

私にはイマイチ理解出来ない考え方だけど、そういうものなのね。

すごく安心しちゃったわ。


「ナルホドね……そういう生き物なんだ」


でも不思議ね。

あの人に会った事も無い人間の言葉を、ただの経験則から来る、根拠なんてホントにそれだけの言葉だっていうのに妙に納得しちゃう……ホント、琢斗くんって不思議な子ね。


「ええ、そういう生き物です。それでですね……」


でも、やっぱりこの子は私の想定を常に上回ってくるのね。


「お姉さん、これ持って帰っていいですか?」

「これって……これ?」

「ええ、TT−R持ってこうかなと。ここじゃ重整備出来ませんし」


いや、確かに無理でしょうけど。


「持ってくのはいいんだけど、整備工場……って言うか、今回だとバイク屋さんになるのかしら……そんな簡単にホイホイ持って行っても良いものなの?」


ハスラーの定期点検はいつも予約必須よ?

飛び込みで持って行っても先方だって困ると思うんだけど……。


「その辺は大丈夫ですよ。だって俺の店ですから」

「……………………は?」


何を言ってるの、この子?

高校生が“俺の店”?

行きつけの店って事?

よく行く喫茶店的な。


「いや、まぁその反応も分からなくもないんですけど、俺ん家バイク屋なんで」

「……それなら持って行っても平気って分かってる訳ね」


ナルホド……それならまぁ納得かしらね。

でもちょっと待って。


「……あれ? でもそれだと“俺の店”ってのとは違わない?」


家業がバイク屋でも“俺の店”とは言わないと思うのよね。


「違わないですよ。だって店長は俺ですから」

「……は?」


いやいや、待て待て。

まだ慌てる時間じゃない。

まだ他の可能性も残されてるわよ。


「……1日店長的な?」

「いや、アイドルの1日警察署長じゃあるまいし」


いやいや、まだ可能性は残されてるわっ!


「……子供店長的な?」

「あまり変わってませんよ、それ。あと子供銀行的なやつでもないですね」


え?

違うの?

じゃあマジモンで?

バイク屋の店長と言えば、名前だけのなんちゃって店長でもない限り、普通に考えたら“整備士”って事よね?

でも、整備士って国家資格じゃなかったかしら?

義務教育終わったばかりなんだから、普通はまだ持ってないわよね?

でも、もしかしてもしかするのかしら?


「……せ、整備士の資格は?」

「まぁ店長やる事自体に整備士の資格は必要無いですけど、ちゃんと持ってますよ」


じゃ、じゃあマジモンで……。


「…………店長なの?」

「店長なの」

「………………」

「………………」

「えぇぇぇぇぇぇ〜〜〜〜っ!?」


琢斗くんって、ホントに何者なのっ!?



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「正直に言うけど、エンジン駄目だね」


彼にそう言われた時、私の目の前が真っ暗になりました。

確かに私のケイちゃんは直りました。

これでお父さんとの約束を果たす事が出来る……そう思った矢先の出来事でしたので、心の落差が私の許容範囲を越えてしまったみたいです。

実際瞬間的に聴こえてきた音は不快なノイズ混じりで、私のケイちゃんとは真逆のけたたましさでした。

私ですらおかしいと感じた音なのですから、彼の言う通り駄目なのでしょう……。

お父さんの宝物が実は動けない故障車だった……これはかなりショックです。

お父さんの宝物と私のケイちゃんが並んで宗谷岬にいる……そんな未来をさっきまで夢想していたのに……。

でも、そんな暗雲を吹き飛ばしてくれるのは、やはり神でした。


「直りますし直しますよ。ただ結構金掛かるな〜って思っただけです」


何をどうするのかはさっぱり分かりませんが、ただただ脱帽です。

お金が掛かると言う事は、ケイちゃんと違って大手術みたいな作業になるのでしょう。

けれど、それをアッサリ直すと言い切る……彼は本当に高校生なのでしょうか?

あ、神でしたね、ごめんなさい。

でも……お父さんはこの状態でどうやって私と北海道に行くつもりだったのでしょうか?

思い起こせば……真夏でさえ嬉々としてバイクで出掛けていたお父さんが、亡くなる直前の夏だけ暑くて無理だと言ってバイクで全然出掛けなかったような……。

更に思い出しましたが、その後秋になっても全く走りに行ってませんでした……いつもなら紅葉を見に行くと言って出掛けてたのに。

バイクで行くのが下見で、その後お母さんと私を連れて車で紅葉を見に出掛けるまでが我が家の通例でしたが、あの年は下見無しで紅葉を見に行ったような……。

これから導き出される結論は、あの夏の段階で既にエンジンが壊れていたって事なんですね。

でも彼の言う買い替え話には思わず納得してしまいました。

お父さんなら確かにやりそう……でも、そのワンクッションとやらは私には通用しなかったと思います。

だって、お父さんがケイちゃんを触っている時にTT−R君を磨いていたのは私ですから、さすがに分かったと思いますよ?

でもその時はきっとお母さんには内緒だよって言ったんでしょうね。

でも、少し引っかかる事が……そしてそれはお母さんも同じだったみたいで。


「あのね琢斗くん……ちょっと聞きたい事が……私達ってバイクに関してはただの一度も文句言ったりしたことないのよ。でも、何と言うか……私達って知らないうちにあの人を責めてたなんて事はあるのかしら?」


そう、そこです。

お父さんが亡くなった原因も元を正せば私に起因していますし、それが私のせいではなかったとしても私自身が面倒な存在だった事は自認しています。

お母さんも似たようなものですから、お父さんの負担にはなるべくなりたくないという考えは共通していたと思いますし、だからこそ好きな事をしてほしいと思っていました。

でも彼の話からすると、もしかして私達が妙なプレッシャーを掛けていたのかも……そう思えてしまったのです。

でも、それにすら神はアッサリと答えてくれました。


「……えっとですね……その場にいた訳じゃないですけど、これに関しては断言します。おっさんライダーってそんなもんなんです」


つまり家族関係無く、贅沢してるという認識から来るものだったと。

そして思い出しました。

私のケイちゃんに対して何度も言っていたんです。

これは贅沢ではないと。

燃費も良いし税金も安いし燃費も良いしで維持費は財布に優しくて、乗り慣れればなくてはならない必需品になるから贅沢品じゃないんだよと。

当時はクルマもあるのにバイクに乗るのはやっぱり贅沢なのでは……とは思いましたが、何と言いますか……今更ながらに妙に納得してしまいました。

そして同時に理解もしてしまいました。

仮にケイちゃんが大きな故障をしたとして、修理費用を考えたら……やっぱりお母さんには言い難いなと。

これがお父さんの気持ちだったんだなと……。

まだ免許も取得していなければケイちゃんにも乗れていない私ではありますが、私の感性はライダーさんに近づいているのかもしれません。

でもそれがお父さんと同じだというのなら、悪い気はしません。

贅沢だという認識があるのに……不思議ですね。

ですが、ようやくお父さんの考えを少し理解出来たと思っていたのに、気が付いたら話はどんどん進んでいて。


「お姉さん、これ持って帰っていいですか?」


さすがは神です。

動き出しが早い。

ここまで話をしてきた中で私達の事情を聞いてきた事以外は全て即決即断です。

ですが、神は更に驚きの言葉を紡いできました。


「その辺は大丈夫ですよ。だって俺の店ですから」

「……………………は?」


はい、お母さんの反応はよく分かります。

確かに私にとっての神ではありますが、それでも高校生がお店を持つなんて事があり得るのでしょうか。

私は彼が全て整備すると思っていたのですが、お母さんはバイク屋さんに頼むと思っていたみたいですね。

普通はそれが当たり前なんでしょうけど……。

そもそもバイク屋さんという事は整備士の資格が必要ではないかと思うのですが、その辺はどうなのでしょう?


「……せ、整備士の資格は?」


やっぱりお母さんもそこが気になった様です。

ですが。


「まぁ店長やる事自体に整備士の資格は必要無いですけど、ちゃんと持ってますよ」


も、持ってるんだそうです……高校一年生で既に国家資格を所有しているなんて、さすがは神です。

そうであるならば。


「…………店長なの?」

「店長なの」

「………………」

「………………」

「えぇぇぇぇぇぇ〜〜〜〜っ!?」


お母さんの驚きも分かりますが、私はむしろ納得してしまいました。

バイクに詳しい素人さんではなく、彼は正真正銘整備のプロだったのですから。

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