第7話
「おはようございます。今日はよろしくお願いいたします」
開口一番、東雲さんは深々と頭を下げてきた。
「お、おう……こちらこそよろしく……」
美少女に頭を下げられるとか、ちょっとビビるわ。
真面目さんだね、東雲さん。
バイクを直すだけなんだし、そもそも作業をするのは彼女であって俺じゃないんだから、むしろこっちが申し訳なくなってしまう。
でも、そんな事を言ったところで不毛な言い合いにしかならないだろうから、とにかくバイクと向き合おう。
素人の彼女が今日中に直すのだから、大した作業じゃないとはいえ時間が勿体ない。
そんな彼女は、上下共に学校指定のジャージ姿だった。
昨日、帰る際に汚れてもイイ&動きやすい服装をと言っておいたからのチョイスだろうが、正直落ち着く。
もっともこのジャージ、笑っちゃう事にアルパインスターズに特注したっていう馬鹿仕様で妙なカッコ良さなんだけどね。
平気な顔して発注掛けくさった理事長、エクストリームにあたおか。
馬鹿ネタはともかく、昨日同様の真夏日目前な暑さだからといってノースリーブとかショートパンツなんて姿だったら正直勘弁してほしいとこだから、助かるね。
セクシー過ぎてドキドキするよりも、怪我をしやしないかと別の意味でドキドキするのが目に見えてるしね。
美少女相手に服を指定するとかなかなかに高いハードルだったけど、無難な選択をしてくれてホッとしたよ。
まぁいつもと同じ格好で待っていてくれると思ってはいたけどね。
「じゃあ早速始めようか」
「はいっ!」
始めるとは言っても、まずは。
「まずは作業前の準備からね。あっちにある赤い移動式のトレーを持ってきてくれるかな?」
「分かりました」
俺が指定したのは、キャスター付きのツールワゴンだ。
ガレージライフにはお約束のアイテムで、東雲家のガレージにもしっかりと置いてあった。
昨日チラッと見た時はチェストのみだと思ったんだけど、影に隠れてただけでツールワゴンもあったんだよね。
そのわりに工具類が少ないところを見ると……お父さんはあまり機械イジりに向かない人だったのかなぁ……。
そんな不敬な考えをしていたところに東雲さんが戻ってきた。
「こちらでよろしいでしょうか?」
「ありがとう。これで大丈夫だよ」
やっぱりまったく使った形跡がない……お父さんェ……。
「ここに工具を置きたいんだけどイイかな?」
新品同様なこともあるけど、KSR同様触ってほしくないという場合もあるからね。
「はい、どうぞ」
でも、このトレーは問題無いみたいだ。
使ってなかったこともあって思い入れは無いのかもね。
許可も出たので、トレーにクッションマットを敷いて、その上に工具を置いていく。
コンビネーションレンチにソケット、ラチェットレンチ、ドライバー、アレンキー、プライヤー等々。
まぁたいした作業ではないので使うサイズも限定されるから、量としては大したものではない。
むしろ工具以外に用意してきたものが嵩張ったから、工具はホントに最低限だ。
そんな工具たちをまじまじと眺める東雲さん。
「この工具は全部天川くんの物なんですか?」
「そうだよ。まぁ大した作業じゃないから最低限だけどね。ツーリングに行く時に持っていく車載工具に毛が生えたレベルかな」
ツーリングの時はこの他にもパンク修理剤とか空気入れとか諸々追加されるけどね。
でも、こんな話にも東雲さんにとっての気付きが有ったらしい。
「……そうですよね……出先で壊れる可能性もあるんですよね……」
確かにそうなんだけど、そんなに心配する必要は無いよ?
いくら古いとはいえ、これだけ好条件下で保管されてたバイクがそうそう壊れる訳がないからね。
外れて落ちるとかはあるけど……。
まぁ仮に壊れるとしても。
「遠出するのでもなければ、そこまで気にする必要はないよ?」
近場で走り回るのであれば、JAFさんなり任意保険なりにお世話になれば家に帰ってこれるのだから、心配ばかりして工具まみれになるのは無意味だもんね。
そもそもKSRは遠出に不向きなバイクだし。
そこを敢えてロングツーリングに駆り出すのがバイク馬鹿なんだけどさ。
「そうですか……でも遠出をするなら必要なんですよね?」
「必要かと聞かれると人それぞれとしか言えないけど、個人的にはあった方がイイと思ってる派かな」
実のところ、オフ車乗りでツーリング先でのパンクを心配してタイヤチューブにタイヤレバー・空気入れなんかを持って行ったはいいけど、作業なんかちょっと練習した程度ってレベルの人じゃ結局直せなくてJAFさんのお世話になった……なんて話も少なくないし、持つ持たないは人によるんだよね。
「そうですか……では私も持ちたいと思うので、申し訳ないのですがそちらもアドバイスをお願い出来ますか?」
そう言って、笑顔でお願いしてくる東雲さん。
くっ、クラクラする……。
美少女の笑顔は凶器。
改めてそう思うわ。
「分かった……でも、まずはバイクを直してからね」
「はい、お願いします」
でも、そうか……やっぱり彼女はただ直したいのでもなければ乗りたいだけでもない。
彼女はこのKSRで遠くに行きたいんだ。
こんなこと考えるのもおこがましいけど、心配だなぁ……。
でもその辺はひとまず放置して、まずはKSRを直そう。
そしてその前の準備だ。
何事も準備は大事だからね。
「じゃあまずこれを着けてもらえるかな」
「これは……サポーターでしょうか?」
「そう、ニーパッド。KSRに限った話じゃないけどバイクは作業位置がとにかく低いから作業時の膝立ちは避けられないんだけど、膝をつくのがコンクリートだから作業中は膝が痛くなっちゃうんだよ。だからニーパッドをすれば痛みから解放されて作業に集中出来るって訳」
「……お気遣いありがとうございます……」
「いやいや、気遣いって程の話じゃないから。俺も着けて作業してるだけだからね?」
こんな程度で感謝されても困るからね?
ニーパッド程度でこれだと、バイクが直って「この恩をどう返せば……」とか言い出して、最後にどんな結論になるのか恐ろしい……だって真面目さんだもん、東雲さん。
「そうなんですか……それでもありがとうございます」
このままだと感謝の気持ちが天元突破しそうだし、ある程度スルーして進めるとしよう。
「ニーパッドを装着したら、次はこれをバイクの下に敷こうか」
そう言って俺が出したのは、キャンプでよく使う安物の銀マットだ。
「これをどの様に敷くのでしょうか?」
「そうだね。まず今バイクが置いてある場所で作業する事にするから、一度バイクを動かしてからそこに銀マットを敷いて、そのあとバイクを元に戻すとイイよ」
「分かりました。やってみますね」
そう言ってバイクを一度後ろへ下げたので、俺は車庫の床に銀マットを敷いた。
「よし、じゃあこの上まで動かして」
「はい」
ゆっくりとバイクを押し、銀マットの上まで持ってきた彼女。
サイドスタンドを出したところで。
「はい、そこでストップ」
サイドスタンドの接地面にスタンドプレートを敷く。
真夏の北海道では必須アイテムだけど、今回は銀マットの破れ&穴開き防止だ。
穴が開いてオイルが床に溢れちゃったら意味無いしね。
「もういいよ」
そう言うと、彼女はゆっくりとバイクを倒して、僅かに緊張感を伴いながらKSRを停めた。
これで寝っ転がって下廻りの確認をする際もある程度汚れを気にしないで出来るね。
「はい、お疲れさん。あとはこれね」
そう言って彼女に小さなブツを渡す。
「これは何でしょうか?」
小さいけど重要なモノだよ?
美少女に怪我をさせたら大変だからね。
「それはブレーキロッカー。フロントブレーキを掛けっぱなしにする為の物だよ」
「……それにはどんな必要性があるのでしょう?」
バイクの整備をしたことがない人なら不思議に思うかもね。
「何かの拍子にバイクが動くかもしれないから、それを防止する為だね。前に動いちゃったらサイドスタンドも畳まれちゃってバイクが倒れてくるからね。可能性の話でしかないけど、もし作業中に大きな地震が来たら、下手すると東雲さん倒れてきたバイクに潰されちゃうから。怪我なんてしてほしくないから、これは保険かな。もっともホントに大きな地震なんて来たら揺れ方次第で簡単に倒れてくるからあまり意味はないけど、無いよりはあった方が絶対に安全なのは確かだからね」
大した事でもないのに無駄に長々と説明しちゃったけど、理解してもらえただろうか?
なんか東雲さんがぽーっとしちゃってるんだけど。
「……東雲さん?」
「ひゃいっ!?」
何か考え込むことでもあっただろうか?
あ、地震の時の対応かな?
真面目さんだから、対応策に頭を巡らせていたのだろう。
バイクが倒れて傷付くとか、バイク好きには精神的ダメージが大きいしね。
バイクを大事にしてるなら尚更だ。
むぅ……ちょっと大袈裟な例を上げてしまったかも。
反省反省……でも「ひゃいっ!?」とか可愛いね。
「じゃあ取り付けてみようか。右側のアクセルグリップに丸い部分を掛けて、そこからブレーキレバーを握り込んでブレーキレバーをブレーキロッカーに引っ掛ける」
「……こうでしょうか……」
一度考えるような仕草をした後、彼女は難なくブレーキロックを果たした。
すぐに原理を理解するとか、正直助かるね。
「うん、バッチリ。じゃあいよいよ……」
「いよいよ?」
期待の籠った目がちょっと可愛い。
まぁお待ちかねだったよね。
「作業開始だ」
「はいっ!」
やべぇ……なんなの、この素直な娘?
ソルト東雲はどこに行ったんだ?
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