第5話
まぁ状況を考えればある程度読める話だけどね。
そもそも、このKSRは誰の物だ?
普通に考えれば東雲さんのお父さんだろう。
俺みたいな4月3日なんて誕生日でもない限り東雲さんはまだバイクの免許を持っていない筈だ。
仮に持っていたとしても、バイクの年式に問題が出てくる。
KSR110はとっくに生産終了になったバイクであり、新車なんて手に入る訳がない。
東雲さんが買ったとしたら、何歳で買ったんだよって話になっちまう。
でもオドメーターの52kmという数字を信じるのであれば、この個体はほぼ新車と言っていいだろう。
ほとんど走った形跡の無い髭の残りまくった新品同様のタイヤといい、綺麗な外観といい、おそらくは間違いないと思う。
しかも初期型。
つまりこのKSR110はかなり昔に新車または新古車で購入され、そのまま東雲家の車庫に置かれていた事になる。
そしてカットオフスイッチだ。
このバイクを普段使いするつもりの人間はます装着しない。
だって毎日乗るならバッテリー上がりとは事実上無縁だからね。
って事は、このKSR110はお父さんが娘に買い与えた物である可能性が高い。
車庫の奥にひっそりと置かれているTT250Rレイドがその証拠の1つではなかろうか。
おそらく親子でツーリングに行くことを夢見て娘の身長でも足が届きそうなKSR110を先走って買っちまった……そんな感じかな。
当時まだ手に入ったであろう過激な方のKSRである2ストロークのKSR2ではなくKSR110を選んだのは、おそらくクラッチ操作が要らない遠心クラッチ装備のバイクだったからだろう。
初心者の娘が乗るならこれしかない……そう思ったんだろうね。
だって俺ならそう考えて買うと思うし。
ってか、親がオフロード車で娘がオフロードOKのタイヤ履いたミニモタードとか、免許取ったばかりの娘を林道に連れていく気だったのか?
いくらオフロード寄りとはいえ、小さな14インチホイールのKSRで林道を走るのは結構大変だよ?
ってか、娘をドMに育てる気だったのか?
ライダーなんて例外無くドMだし(超偏見)。
ヤベェ……東雲パパ、マジ鬼畜(褒め言葉)。
まぁそんなバイク乗りあるあるはともかく、東雲さんのお父さんがバイク好きなことは間違いない。
東雲さんにKSR110のエンジン始動方法なんかを上死点出しまで含めて丁寧に教えてる辺りからも、それが分かる。
カットオフスイッチもそう。
燃料がほぼ満タンだった事もそう。
長期保管する事への配慮を怠らない人であることの証左だ。
そしてそんな人がフューエルコックをONにしたまま放置するだろうか?
しかも燃料が腐り始める程の期間だ。
ここまで気を使っていたバイク好きが、フューエルコックをONにしたままで放置することがどんなトラブルを引き起こすか、知らない訳がない。
そう、トラブル原因はまず間違いなくキャブだ。
フューエルコックがONになっている事でガソリンがキャブに送られ続け、キャブの油面変化がないまま油面ラインでガソリンが酸化することで固着物が生成されて、キャブが正常に働かなくなるんだよね。
負圧式のフューエルコックなら話は別だけど、これは通常の重力落下式コックならではのトラブルであり、初心者がやらかすトラブル筆頭であり、バイク好きが気を付けるポイント筆頭でもある。
まぁ今はインジェクションの時代だから知らない人も多くなってきたけどさ。
でも、そんなお父さんがいたのに、それを東雲さんが知らない……そんな事がありえるだろうか?
そして、そもそもあれだけ東雲さんが悪戦苦闘していたのは何故だ?
何故お父さんは手伝わない?
そんなのハッキリしている。
それはお父さんがいないからだ。
離婚したのかもしれないし、別の理由があるかもしれない……。
しかし、それだとTT−Rの存在が異質になり、可能性が絞られてくる。
そして残念ながら正解に心当たりはあったりする。
でも家庭の事情なんて簡単に聞くわけにはいかない。
ただ、彼女がバイクを直したがっていることは確かだ。
そんな思考を長々としてたものだから、東雲さんが不安そうに聞いてきた。
「あ、あの……それでどこを直せば良いのでしょうか?」
ちょっと放置しちゃったか……悪いことしたな……でもまぁ責任持つってことで許してほしい。
ってな訳で、最後の確認をしよう。
「ごめんごめん。トラブル箇所はここだよ」
そう言って俺はキャブを指差す。
「ここですか……それで、ここをどうすればいいのですか?」
「ここからが問題なんだけど……少しだけ大変な作業なんだよね」
慣れてる人にはなんて事ない軽作業ではあるけど、ど素人が手を出すにはちょっと大掛かりな作業なのは確かだ。
「大変……ですか……」
落ち込んでると言うよりは葛藤してる感じだろうか。
眉間にシワを寄せて何かを我慢してる感じが見てる者をいたたまれない気持ちにさせる。
さすが美少女、表情だけで他人にダメージを与えるとか、超兵器かよ。
どうもいかんね。
美少女過ぎて時々思考が明後日に飛ぶわ。
「そ、初心者にはちょっと大変かな……まぁ俺がやるなら大した手間じゃないけど……どうする?」
「そ、それは……」
ちょっと嫌な聞き方かもしれないけど、最後の確認だから許してほしい。
家庭の事情に踏み込まず、尚且つ東雲さんの気持ちを確認するにはこんな方法しか思い付かなかったんだから仕方がない……と思う。
でもダメ押しの確定だ。
東雲さんはKSRに自分以外の誰にも触ってほしくないんだ。
でもそれは他人を信用していないとかいう話じゃない。
信用してないなら俺の話なんて聞かないしね。
他人に触ってほしくない、それだけなんだ。
それもかなり強い思い入れから来るもの。
でも、そんなのは我が儘のうちに入らない。
人それぞれだからね。
バイクを移動する手段としか考えない人もいれば、宝物のように大切にする人もいる。
それだけの話であり、東雲さんを否定する様な事じゃない。
だからこそ俺は提案する。
だって言っちゃったんだもん、絶対直るからって。
「じゃあさ……自分で修理する?」
「……じ、自分で?」
予想外と言うより、単純に自信が無いのだろう。
先程葛藤していたのも、おそらくはこれが理由だ。
そもそも構造を理解してないのだろうから当たり前の話だけど。
でも、それは諦める理由にならない。
知らないなら覚えればいいだけなんだから。
「そ、自分で。それともトラブル原因は分かってるのに、ここで諦める?」
ちょっと嫌な聞き方だけど、やっぱり一番重要なのは本人のやる気だから、ここで諦めちゃうようなら無理なんだよね。
「……諦めたく……ありません……」
まぁそうだよね。
あれだけ悪戦苦闘しても諦めなかったんだから、そう言ってくれると信じてたよ。
「じゃあやってみようよ」
「……でも……」
自信が無い……でしょ?
もちろん分かってるよ。
「工具も貸すし、サービスマニュアル……整備書だってあるから初心者でも手順で迷うことはないよ。朝からやれば夕方には終わるだろうし、大半は待ち時間で初心者でも実作業は二時間も無いと思う」
「…………」
もうこうなる事を予想してサービスマニュアルは持ってきてたりするんだけど、それがあっても不安だよね。
でも俺は無責任なことは言わない主義なんだよね。
バイクに関してはだけど。
「作業の時は俺が横で見てるし、アドバイスもする。それならどう?」
この後の東雲さんといったらもう……。
「お、お願いしますっ!」
美少女が浮かべる満面の笑みとか、攻撃力ハンパないッス……。
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