第3話

返事をしてくれたという事は、少なくともちょっとは受け入れてくれたと考えていいだろう。

い、いいよね?

少なくともソルト東雲ではない……筈だ。

パッと見たところ、東雲さん家の車庫は結構広かった。

外から見た限りではクルマ2台分のスペースかと思えたが、中に入ると更に奥行きがあり、単純な床面積なら小型車でギリギリ3台分ってとこだろう。

その内1台分のスペースを占有しているのはスズキのハスラーで、もう1台のスペースは空いたまま。

東雲さんはその空いたスペースの出入り口付近で頑張っていた。

奥行き部分にはヤマハのTT250Rレイドが停めてあり、見覚えのあるアフターパーツメーカーの箱やらツールチェストもチラッと見えたから、ここの家主は“整備は自分でやる”バイク乗りなのかもしれない。

それに赤・青・黄・緑と異なる色の簡素な小さい旗と一枚の葉書らしきものがコンクリート打ちっ放しの壁に掛けられたコルクボードに飾ってある……うん、かなりのバイク好きだね。

そして単純面積では問題ないもののレイアウト的にクルマを置くには不向きな奥行き部分を物置としてではなくバイク置き場にしてる時点で、ガレージライフを楽しむレベルのバイク好きであることも間違いないだろう。

そして、スペース的にはKSRを置いても余裕ではあるけど、東雲さんがわざわざ出口付近までKSRを持ってきて頑張ってたのは、明るさを重視したのか照明の電気代を節約する為か……。

それが意識的であろうがなかろうが、明るさを確保しているというのは作業上良い選択だね。

そして手伝う側としても好条件。

兎にも角にも多分受け入れてはもらえたっぽいから、まずは現状の把握だろう。

でも、見ず知らずの不審者が声を掛けたと思われるのも恐ろしい話なので、まずは自己紹介をする事にした。

「あ~、えっと……バイクの事を聞きたいところだけど、その前に一応自己紹介すると同じクラスの天川なんだけど、分かるかな?」

同じクラスという事以外の接点がまるで無い平凡な男を覚えているとは思えないが、知りませんとか言われるとダメージ大なの間違いなしなところが難しい男心というものだけど。

「……はい……知ってます。天川琢斗くんですよね?」

母上、僕は泣いていいと思います。

マニアックな業界では少し名前が通り始めたとはいえ、現実は美人な母さんに全く似てない父親似の冴えないフツメン男子高校生だしねぇ……でも、美少女に名前をフルネームで覚えていてもらえましたよ?

今晩は赤飯ですね。

なんて阿呆な思考はとりあえず無視して、まずはバイクだ。

「そっか……じゃあまずはバイクだけど、エンジンが掛からないって事でいいんだよね?」

「はい……何度やってもダメで……」

まぁそれは毎朝見てたから知ってるんだけどね。

「で、念の為基本的なこと聞くんだけど、エンジンの掛け方は知ってるんだよね?」

こういう言い方は失礼かもしれないけど、バイクに詳しくない人や初心者は結構うっかりミスをやらかしてたりするものだ。

何かの拍子にキルスイッチに触れてしまってOFFになってしまっていたのに気付かないままで、その機能自体を知らなくて……とか、酷いケースだとイグニッションキーをONにした“つもり”になってたとか、冗談の様な話はホントにあるからね。

だから、始動前の確認に問題があるのでは……そんな心配をしたのだけど。

「はい、知ってます……お父さんに聞いたやり方なので、たぶん間違ってはいないと思うのですが……」

そう言って、彼女は始動手順のメモを見せてくれた。

かなりの達筆で女子高生らしい可愛さは無いけれど、生真面目さが滲み出てるようだ。

そしてそのメモに書いてある手順に問題は無かった。

「そっか。じゃあ一応確認の為にちょっとやってみてもらってもいい?」

手っ取り早くお前が掛けてやれよという話だとは思うけど、結構それが問題になるケースがあるんだよね。

理由は様々だけど、とにかくバイクに触ってほしくないという人が少なからずいるからね。

何日も汗だくになりながら頑張っていた彼女が、バイク屋に修理を依頼するという考えを思い浮かべなかったとは思えない。

高校生だからお金が無いという理由も考えられるけど、それだけで泣きそうになるまで頑張るだろうか?

もっと、何かこう……譲れないものがあるんじゃなかろうか。

単純に「自分のバイクなんだから、他人が触るんじゃねぇっ!」みたいなものではなく、もっとこう切実な想いみたいなものが。

そんな思いを巡らせながら、彼女の返事を待っていたところ。

「分かりました……じゃあまずは……」

そう言って彼女はバイクに再び跨がった。

「まずはキックペダルを……」

言葉にして読み上げながら一つ一つのステップを踏んでいくのは、おそらく俺への説明を兼ねての事だろう。

彼女の言葉を聞きながら手順を見ていくが、おかしなところは確かに見当たらない。

キルスイッチのチェックなんかは抜けているけど、見たところそちらはしっかりとONになっている。

もちろん接触不良の可能性はあるけど、今いる場所が車庫ということからも可能性は低いし、仮に接触不良が起きていたとしても何度かON・OFFを繰り返せば復活する程度の可能性が高いから、あとで確認するとして今は無視してしまおう。

一番重要なのは東雲さんが間違っていないかだからね。

しかしオドメーターが僅か52km……これ、事実上の新車じゃん。

それにグラフィックが初期型とか……何年眠ってたバイクなんだよ……。

まぁ俺のも初期モデルなんだけどさ……だって安かったんだもん。

しかし、そんな古いバイクなのに東雲さんのKSRには錆らしい錆が全くと言ってイイ程見当たらない。

ガレージ保管で錆び無しとか、程度の良さが分かろうというものだ。

チェックしたところではニュートラルランプも点灯していたからバッテリー上がりでもなければギヤが入りっぱなしという事もない。

まぁKSRはキックオンリーなバイクだから、キーがONになってさえいればバッテリーがちょっと死んでようがエンジンは余裕で掛かるんだけど、ニュートラルが確認出来るのは重要だしね。

直立状態にしてからキックしてくれてるからエンジンオイル量も確認出来たけど、正常な位置でオーバーフローの兆候も無し。

酷いオーバーフローになるとクランクケース内はおろかシリンダーまでガソリンでタプタプになってて、キックペダルなんて蹴り下ろせないからね。

まだまだ掛からない可能性を挙げることは出来るけど、外観とメーターの数値から読み取れる程度の良さを考えたら、それほど大きなトラブルとは思えない。

つまりエンジンを掛けるのは大した手間じゃない。

まぁ手間と感じるレベルが人それぞれという問題はあるけど、少なくとも自分にとっては大した手間じゃないかな。

あとは、KSRだと純正キャブでこれだけ暖かい気温ならチョーク引かなくてもエンジン掛かるよ……と言いたいところだけど、そもそもエンジンがまったく掛からないのだから、現段階で余計な豆知識なんて必要無い。

KSRだとプラグが被るってのもそうそう無いし、まずは彼女の知識が正しいかどかの確認だしね。

そして何度かキックペダルを蹴り下げたところで、彼女は確認してきた。

「あの……こんな感じなんですけど、何か間違ってましたか?」

不安そうに聞いてくる彼女に、俺はちょっと残念なことを言わなきゃならなかった。

だって手順に問題は無いんだもん。

「東雲さんの手順は問題無いよ。だから問題があるのはバイクの方だね」

気落ちするのは分かっているけど、事実は事実。

「やっぱり壊れてるんですね……どうしよう……」

案の定、東雲さんは俯いてしまった。

でも俺は彼女のこんな姿を見たくなかったからここに来たんだよね。

あとバイクが動かないとか、ふざけるなって感じ。

どっちが重要かなんて、どうでもいい……言い訳じみてるけど、ホントだよ?

とにかくここで言わなければならない事はただひとつ。

「落ち込まなくても大丈夫だよ、東雲さん。ちゃんと直るし、おそらくだけどそもそも壊れてないから」

すると、さっきまでの落ち込みはどこへ行ったのか、ものすごい笑顔で聞いてきた。

「ほっ、ホントですかっ!?」

おおう、美少女の笑顔とか眩しすぎるわ。

後光がさすとはこの事か?

まぁいいもの拝ませてもらった事だし、責任を持って言い切ってしまいましょう。

「うん、大丈夫。絶対直るから」

そのあとの彼女の神々しさと言ったら……後光が凄いことになっちゃって、バルスっちゃった大佐みたいに「目が~、目がぁ~っ!」とか言いそうになったのは、ここだけの内緒だ……。

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