照井さんのミステリー
柚緒駆
照井さんのミステリー
木枯らしの吹く
「お婆さんが線路に落ちた!」
「誰か駅員呼んで来い!」
「緊急停止ボタン押して!」
「アイツが突き飛ばしたんだ!」
「わ、私じゃない!」
騒然とするホームに、けたたましく急ブレーキの音を立てながら滑り込んで来る特急列車。誰もが惨劇を予感した。
はらはらと雪の舞い散る帰り道、
「双子のトリックってわかります?」
ブレザーの肩にかかる彼女の長い髪に、雪の欠片がまとわりついている。僕はそれが気になって曖昧な返事しかできなかった。
「聞いたことあるような、ないような」
すると照井さんは一つうなずき、こう話し始めた。
「たとえば、とある町に住む山田A太郎くんに、日曜日に中学校へ忍び込んでテストの問題を盗み見た、なんて疑いがかかったとします」
「日曜日でも職員室には誰かいるんじゃ」
照井さんはちょっと困ったように苦笑する。
「まあ実際はそうなんでしょうが、それはとりあえず脇に置いておきます。で、その山田A太郎くんが忍び込んだのが午後三時だとしましょう。決定的な証拠はなく、目撃証言にも曖昧な部分があります。ここで同級生の鈴木花子さんが、日曜日の午後三時頃に、山田A太郎くんと中学校から遠く離れた図書館で出会っていたと証言しました。この場合、山田A太郎くんのアリバイは成立しますよね」
「うん、そりゃまあ」
「でも、もしこの山田A太郎くんに、一卵性双生児の山田B二郎くんという弟がいたらどうなるでしょう」
「ああそうか、鈴木花子さんと出会ったのは双子の弟の可能性が出て来る訳だ」
僕はようやく照井さんが何を言おうとしているのかがわかった。
「照井さんは教頭先生に双子の兄弟がいるんじゃないかって言いたいんだね」
確かに教頭先生が二人いれば何も不思議なことはない。問題はすべて解決だ。しかし、それに対する照井さんの返事は、僕が思っていたのとは違うものだった。
「いいえ、そうは考えていません」
平然と、当たり前のような顔で。
「先週の土曜日のことに、双子のトリックは直接的には無関係です」
「えっ、無関係なの?」
愕然と立ち尽くす僕を振り返って、照井さんは小さく笑った。制服のスカートが冬の風にひらめく。
「直接的には無関係ですが、間接的に関係してきます。つまり今回のことは双子のトリックの応用、それも故意ではなく結果的にそうなってしまっただけではないかと思うんです」
「結果的に」
「ええ、結果的に。あの日、教頭先生は確かに同じくらいの時間帯に、二箇所で目撃されています。駅と市民体育館の近く。ただし、体育館の近くで目撃されたのは教頭先生本人ではなく、教頭先生の車が走っているところだけですよね」
「確かに。だけど」
目撃したのは、うちの中学校の生徒。見かけたのは教頭先生の車で絶対に間違いないと言っている。何故なら教頭先生はかなりのカーマニアで、乗っている車は最近の車種じゃない。三十年以上前の車を手入れしながら大切に乗っていることは、学校中の全生徒が知っているはずだ。あんな車がそうそう何台も走っているなどないだろうし、うちの生徒が見間違えるとは考えにくい。
僕が眉を寄せていると、照井さんはまた少し困ったような顔で車道を指差した。見れば車が走っている。当たり前だ、車道なのだから。
「どうです?」
「え、どうですって何が」
今度は僕が困ってしまった。照井さんが何を言わんとしているのか、さっぱりわからない。これに照井さんはやれやれという風にため息をついてみせた。
「車の運転手の顔が見えましたか、ということです」
「いや、それは見えないけど、でも」
「あのとき運転していたのは、教頭先生の奥さんだったのかも知れません。それとも自動車整備工場の人だったのかも。とにかく、教頭先生本人でなかったのは間違いないでしょう」
確かにそう考えれば話の筋は通る。通りはするのだが。
「それじゃ、やっぱり先週の土曜日、教頭先生は駅にいたってこと?」
「ええ、それしかないと思いますよ。理由まではわかりませんけどね」
照井さんは、さも当然といった顔で笑う。
照井
「教頭先生は、何で土曜日に駅にいたことを認めないんだろう」
僕がそうつぶやくと、照井さんはキョトンとした顔で立ち止まった。
「そりゃあそうでしょう。認められるはずなんてないですよ」
「え、何で」
振り返った僕に、照井さんはちょっと呆れたような口調でこう言う。
「だって照れ臭いじゃないですか」
「……照れ臭い?」
「人助けは黙ってやるものです。自分から『あれは俺が助けたんだ』なんて言えませんよ、恥ずかしい」
そう言い切る照井さんに、僕は少し気圧された。
「そ、そういうものなんだ」
「ええ、そういうものですよ」
先週の土曜の午後、駅で高齢者の女性が線路に落ちた。酔っ払った会社員に突き飛ばされたらしい。そのとき電車が迫る中、とっさに線路に降りて女性をホームの下の窪みに避難させた男性がいたのだ。しかし男性は女性を駅員に引き継ぐと、名前も告げずに立ち去ってしまった。それをうちの中学の卒業生が目撃し、「教頭先生に似ていた」とSNSに書き込んだのが、そもそもの騒動の始まりである。
「でもさ、もし本当にそうなら一応の説明くらいしてもいいんじゃないかな、騒ぎになってるんだし」
「別に教頭先生が騒ぎを起こした訳じゃないですから。周りが勝手に騒いでいるだけでしょう、放っておけばいいんですよ」
照井さんは微笑むと、また歩き出す。僕はその背中を追いかけ、隣を並んで歩いた。
「照井さんはそれでいいの」
「何のことですか」
まるで意味がわからないといった顔の照井さんに、僕は少し苛立ちを覚えたのかも知れない。
「だって本当のことがわかってるなら、みんなに教えた方がいいとか思わない?」
そうだ、みんなの前でこの推理を披露すれば騒ぎも収まるし、彼女は一躍脚光を浴びる。学校中から注目される。誰だって憧れるシチュエーションじゃないか。なのに照井さんは静かに首を振った。
「思いませんね」
「それは、どうして」
そのとき吹いた冷たい風に、照井さんの髪が揺れる。まるでサヨナラを言うかのように。
「『本当のこと』と『大事なこと』は同じじゃないんです、人間って」
僕らは交差点に差し掛かっていた。照井さんは小さく頭を下げると右へと歩いて行く。
「じゃ、私はこっちですから」
「あ、うん」
家に帰るには、僕は左に行かなければならない。言い残したことがあるような気はしたが、何も言わずに背を向けた。まあ、何かあるのならまた次の機会に話せばそれでいいだろう。と、そこに後ろから走ってくる足音が。振り返れば照井さんが駆け寄って来る。
「あの」
「え、は、はい!」
思わず緊張してしまった僕に、照井さんは笑顔でこう言ったのだった。
「言い忘れてました。私、また来週引っ越すんで。それじゃ」
そして元来た道を走り去ってしまった。その遠ざかる背中を見ながら僕は思った。なるほど、本当のことと大事なことは同じじゃない、その通りかも知れない。僕は一番大事なことを、本当のことにはできなかった。心の中で、何かが終わった。
そのはずだったのだが。二年後、高校生になった僕の前に、また彼女が現われるとは。
「転入してきました照井美澄です。こっちに来るのは二度目になります」
僕の心の中で、何かが始まった。
照井さんのミステリー 柚緒駆 @yuzuo
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