第47話
「大きい」
巨人の身長は10メートルはあるだろう。
重さは想像もつかない。
ゆゆねは東京の動物園で見た象を思い出す。
少なくともあれの倍はある。
だが巨人は眠るように、祈るように丸まっていた。
目的とする首輪のある位置はそれほど高くない。
首輪。
さとりの元となる神器。
ボロ布がまとわりつき確認しにくいが、それらしきものは見える。
巨人の背に、両手で触れる。
しばらく様子みるが、反応はない。
ヤシャは、巨人は五感のほとんどをマナセンスに頼っているといった。
触覚も例外ではない。
ゆっくりと、足を水から出し、巨人のひび割れにかける。
ゆゆねの全体重が巨体に乗る。が、反応はない。
一安心した。
これでもう、水マナを揺らして悟られることはない。
あとは、そう。
登るのだ。
巨人はボロ布をまとい、草がはえ、亀裂が走っている。
凹凸には事欠かない。
一度も木登りのしたことのないゆゆねでも、なんとか登れた。
ガジュマルは言った。
人間とは本来、登攀に長けるのだと。
ゆゆねはテレビでしか知らないが、カラフルな壁を登る――ボルダリングとかいったか――競技の人の動きは凄まじかった。
あの力の何割かは、私の底にも眠っているはずだ。
かじりつくように、、巨人の背を這う。
とても他人には見せられないようなへっぴり腰。
誰も笑わない代わりに、ゆゆねは自分を笑ってやった。
うん、かっこわるい。
うん、がんばってる。
生きている。
どん底からたまたま生き延び、いまは巨人の背を這い上がっている。
奇跡というより、悪い冗談だ。
でも無様でも、恥ずかしくても、全力でもがいていることが嬉しかった。
これだけ生き恥を出し切ったのなら、未来にはかっこよくなれる。
体を腕で引き上げる、足で押し上げる。
ゆゆねは汗をかいて、笑った。
巨人の首にとりついた。
ゆゆねは周りを見渡す。
頂上だ、高い。
6メートル以上はある。
鏡面のごとき湖に、小山に一人。
広く広く、空と水だけ。
恐怖はもちろんあったが、解放感のほうが勝った。
「どうだ」
歩き切ったぞ、登り切ったぞ。
誰かに褒めてほしかったが、まだ早い。
本当の仕事はこれからだ。
ボロ布をめくる、巨人の首を晒した。
あった、首輪。そしてその留め金、錠前。
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首輪は、アクセサリーにしては重々しく、首枷というには優美すぎた。
眼球を思わせる無数の黒い宝石と、狂気的な文様がびっしりと刻まれている。
ゆゆねには直感で、良いものには思えなかった。
負の願い、呪いのアイテムというものがあるなら、きっとこの首輪はそうだろう。
この首輪をとったら、巨人はどうなってしまうのか。
五感のすべてがさとりなら、つまり。
けれど、それで苦しみ一人ぼっちなら。
ゆゆねは頭を振った。
よそう。
私は依頼を成す。
それだけだ。
冒険者とは己のために、敵を害し、迷宮を漁り、宝を盗むものだ。
首輪の錠前を調べる。
ステイタスを展開。
種別、年代、難度。
チートが、知るはずない知識を教えてくれる。
解錠道具を出す。
不安定な足場で、決して落とすことのないように慎重に。
使うピンは二本に定めた。
一本は持ち、一本は口に咥える。
錠前に顔を近づける。
明かりはない、指先の感覚で中を知らなければ。
いじる。ほじる。
突くように、舐めるように穴を探る。
必死に、双子の店での練習を思い出す。
だが、この湖で一人。
すべてが遠く、前世の記憶のように不確かだった。
時間はある。
ゆゆねは手の動きを信じた。
つまりはデタラメに、総当たりに、カギ穴をいじくった。
風が耳をなでる。
額が濡れ、目は渇く。
呼吸は低く長く、大きく浅く。
カチリ。
なにかの手ごたえ。
意識を集中し、二本のピンに力を込めた。
――キーーーン――
錠が、爆ぜた。
気持ちのいい金属音が、湖を切る。
戒めが、取れたのだ。
「解けた」
留め金でもあった錠を失い、首輪が落ちる。
ゆゆねには、スローモーションに見えた。
「モォォォォォォン……!!!」
震動。うなり。
巨人がはじめて、動きらしい動きをみせた。
首をかきむしるように、失ったものを探し始める。
「うわっ」
まずい。
このままではいずれ、振り落とされる。
ならば。
「はぁ!」
バランスをしっかりと保てる一瞬を見極める。
右に傾く、左に傾く。
「いまだ」
体幹が真っすぐになった瞬間、ゆゆねは飛んだ。
地面は浅いが水だ。
それを信じ、ジャンプした。
「ぐえ」
ゆゆねの全身を水が打つ。
さらにその下の砂地にも。
四肢で衝撃を抑えるつもりだったが、上手くいかなかった。
「ごぽごぽ」
だが、生きいている。
足はショックで痺れているが、まだ動く腕で顔を水中から押し上げた。
とりあえず、溺死は防げた。
巨人は自分の体まさぐり、時には足元の落ちた首輪にも触れた。
だが、それを拾うことはなく、だんだんと大人しくなっていった。
巨人は五感をさとりに頼っているという。
もちろん触覚も。
落ちた首輪に触れたとして、わからないのだろう。
彼は今、完全な闇の中にいる。
「……ごめんね」
痺れも抜け、なんとかゆゆねは立ち上がる。
全身ずぶ濡れた。
骨や間接に違和感がある。
だが歩けるならと、気にしないことにした。
うずくまる巨人の顔の前に、首輪が落ちている。
ゆゆねには神社のしめ縄のようなサイズ。
ゆゆねはそれを自分の体に巻くようにして持ち上げた。
「ばいばい」
去る前に、そっと巨人の顔に手を置く。
本当に石のような手触りだった。
ヤシャは巨人が湖に引きこもって百年は経つといった。
なにを食べ、なにを思い、どう生きていたのか。
その心ももう、石のようなのではないか。
違う、と思いたかった。
どれだけ他者を拒絶しても、感情を失ったように見えても、きっとどこか。
誰かに助けてほしいと願っている。
優しさか、愛と呼べるものを求めていると。
ゆゆねは、そう思いたかった。
「ばいばい」
ゆゆねは巨人から去る。
お宝を抱いて。
まずは置いてて来たのろしの所まで戻ろう。
袋の防水が機能していてくれるとよいが。
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