第44話

どこにも逃げ場がなかった。

外にも内にも。


安らかな場所はなかった。

疲れ果てて眠り、疲れ果てて起きた。

強いられた義務を、透明な血を流しながらこなした。


その血を見て思った。

この流すべき血を、姉はずっと肩代わりしてくれたのだと。


私の弱さが引き寄せた刃を、毒を、鎖を、すべて。


だから、ええ。

きっと耐えられなくなって、消えてしまった。


彼女はすごく大きく見えて、私は無敵のヒーローだと信じていた。

でも違う。

彼女も私と二歳しか違わない女の子に過ぎなかった。


後悔は、ひとつ。


彼女が消えることを選ぶ前に、もっと前に。

私が消えるべきだったのよ。


そうすれば、姉は苦しんだだろうけど、いつかは乗り越えて、未来に行けた。


わかっていたはず。

ぐずぐずと、本当にのろまなゆゆね。


その結果、私は、私たちは二人とも。


―――――――――――


意識が戻る。

感覚が風と水の音を聞く。


ゆゆねは顔上げた。

変化だ。変化があった。


水平線に、影。

知識がなければ、小山に見えたろう。

だが、ゆゆねにはわかった。

あれは人影だ。うずくまる大きな人の影だ。


「さとりの巨人」


歩を速める。

この遅々とした行軍も終わりだ。


お宝。

さとりの力の元となる首輪。

それを盗んで、ミッションコンプリ―トだ。


ゆゆねは笑みを浮かべる。


すごいぞ。

ほとんど私一人で、依頼を成功させる。

聞けば巨人の宝は神器といわれ、特級のマジックアイテムだという。

それを盗む。

シーフの大勲章だ。


「あ、あれ?」


もぞり。

いよいよ人の形だと確信できる距離まで近づいたとき、その影が動いた。

這うような姿勢で、最初はなにをしているのかわからなかった。

が、確実に小さくなっていくことに気づいた。


「なんで」


駆け出す。

が、足が重い。水が掴む。


「もう」


くっそたれ、と心でどなりながら、走る。


しかし体躯の差は圧倒的だ。

この水の上、影響の少ない巨人はどんどん小さくなっていった。


「はぁはぁ」


息が切れる。心臓が泣く。

疲労が積み重なった足は、悪態をついて叩いても、もう動いてはくれなかった。


はぁはぁ。

もだえながらも、なんとか前を見る。

巨人は粒になり、水平線に霞み、消えた。


「なんで……なんで」


私は、見えないんじゃないのか。


―――――――――――――


「ごめんなさい」ヤシャがゆゆねの濡れた体を布で拭く。


場所は小船の上。

ゆゆねののろしを見て、追い上げてきたガジュマルたちと合流していた。

ゆゆねは戸板の上に寝転がり、空を仰ぐ。

もう暗い、じきに夜になる。


「なぜでしょう。私はマナがないから……」さとりの巨人にはわからないはずじゃ。


「たぶん」ヤシャが遠くを見る。遠く、空と水面を。「水だと思う。あなた自身はやはり、マナセンスには捉えられない。けれど、揺れる水は、かき分けて出来た波は、読み取れる」


彼女は船から手を出し、水を撫でた。

ゆゆねはそんな、と唇を噛む。


「じゃあ、無理ですよ。どうやって近づけっていうんです」

「落ち着いて。私も安易に考えていたわ。けれど、あなた自身が見えないのは確かなはず」

視認できる距離まで近づくのさえ、本来は無理だという。


ガジュマルが腕を組む。

「水マナか。ここも古い土地だからな、とりわけ濃い」

「そうね、変化は感じやすいでしょう」

「ならあれはどうだ。水の上を歩いちまうってのは」


水の上を? とゆゆねが繰り返した。


「ああ。水上歩行だ」

「なるほど、ガジュマルにしてはよく知ってたわね」でもダメ、とヤシャ。「水上歩行の魔術を宿したら、それこそ巨人のマナセンスに捉まる」

「坊主も似たのができるだろ。奇跡なら」

「無理。どちらも水マナか聖マナが付く」


ガジュマルはふぅむ、と顎を撫でた。

「だめか」

「だめよ」


「水もダメ、水面もダメ」なら、とゆゆねは上を見た。「空はどうでしょう? 飛んでいけば」

「飛行は極めて高度な魔術よ。宮廷魔術師を連れてこないと。それに結局、風マナを宿してしまう」


ゆゆねはぐっ、と黙る。

しかし、飛行は悪くないアイデアだと思った。

マナを宿さず、空を飛ぶ。

そんな方法が――


「あっ」


ゆゆねは船の上、荷物をかきわける。

そしておくるみのようになった、スフィアを抱いた。


「これ。この子ならどうです? 機械なら、マナを持たないのでは?」

「いいえ。古代機は土マナと雷マナを……あら?」


ヤシャは怪訝そうに目を細め、球面に触れた。


「ないわね。この玉には。ゆゆね、あなたの奥に似ている」


ヤシャはスフィアに限界まで顔を近づけた。


「これはオリジナルに近いのかしら。ガラクタの女王に最初に従った、異界から来たばかりの……」


首を振って、ようやくヤシャは顔を離した。


「確かに、マナセンスには捉えられないかも。でも、この玉でどうする気?」

「飛ぶんです。カバンに入れて、浮かせて、私を吊り上げる」

「宙には浮いてたわね。でも、そこまでのパワーがある?」


ゆゆねはスフィアをお腹で固く抱く。

ステイタスを起動し、スフィアを装備した。

お腹に、小さく震えが伝わる。

機械が、起きた。


「やってみます。このまま……」


目に力を込め、スフィアを操作する。

赤い警告が、ゆゆねの視界に現れる。

「過積載」とあった。


「やばそう。でも」


祈るように、力を入れ、さらに入れ、スフィアを動かす。


「おっ」

「へぇ」

「わわっ」


浮いた。

ゆゆねの体はスフィアに押し上げられ、ほんの数センチだが宙に浮いた。


「よいしょ」


ゆゆねはすぐに、ステイタスで装備を外す。スフィアは再び、眠りについた。


「できそうです。でも」ゆゆねは心配そうに球面を撫でた。

「そうね。変な音がしていたわ。正しい運用ではないのでしょう」

「でも、けれど」ほかに方法はない。ゆゆねはヤシャを見た。


「バッテリーは30% 無理な使用で、どこまで飛べるかはわかりません」

ヤシャはうなずく。「無駄使いになるかも。壊してしまうかも。あなたは貴重な武器を失うだけかも」

「やってみます。アイテムは使わなければ、ただの置き物です」


「そう。ふふっ」

ヤシャはゆゆねの全身を上から下まで見る。

「あなたは、アイテムを使う適性があるのかもね。濡れたいまつのときも、太陽玉のときも。奇天烈で、容赦がない」


「アイテム」ゆゆねは繰り返した。

「まあでも。採算は考えてね。命よりは大事ではないけど、その次くらいには大事だから」


はい、とゆゆねはスフィアを強く抱きしめた。

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