第43話

かがみの湖。

浅く、しかし渇くことない水の盆。


「頭があちぃ、足はさみぃ」


小船を押すガジュマルがうめく。

ヤシャはゆゆねと共に、船上に座る。


「ここまででね。ここからは、さとりの領域よ」

船が止まる。ヤシャはゆゆねに向いた。

「私たちは近寄れない。あとは、あなた一人で歩く」


さとりの巨人の知覚。高位のマナセンス。

その影響を受けないのはゆゆねだけだ。


「歩く」


ゆゆねは彼方は見た。

果てまで続くかのような鏡の面。

この世界も丸いのだと、嫌というほどわかる。


「不要なものは」ヤシャは言う。「この船に置いていきなさい。拠点とする」

「はい」

「成功したら。あるいは失敗しても、戻ってきなさい」


ゆゆねはうなずき、船から降りる。

ガジュマルが手を振った。


「健闘を祈る。のろしは覚えたな。なにかあったら、焚け」

「はい」


ゆゆねは道具を残していく。

躊躇したが、ショートソードも置いた。

巨人は強い。

私が武装しようが、素手だろうが、結果は変わらない。

なら、少しでも軽くすべきだ。


「靴も重いだけですね」ゆゆねはかがむ。

「いえ、靴はあった方がいい。この近くは砂地しかないけど、岩や貝の多い場所もある」ヤシャが制した。


装備を選んだ。

結局、水筒、携帯食。連絡用ののろし。

そして買ったばかりの解錠道具だけ持っていくことにした。


「行きます」


ゆゆねはヤシャとガジュマルに軽く頭を下げた。


「おう、いってこい」

「ええ、いってらっしゃい」

「――はい! いってきます」


ゆゆねは笑って、歩き出した。

口の中で、今言った言葉を繰り返した。


誰かに笑顔で、いってきますと言えた。

言われた人は、私の帰りを待っていてくれる。

ゆゆねには得難く大きなものだった。


湖を行く。

水位はゆゆねの足首ほど。

最初は平気だった。

ジャブジャブと元気よく蹴っ飛ばす。

が。

一歩ごとにわずか、ささやかだが、体力奪われることに気づいた。


「……う……」


少し遅れる。少し疲れる。

それが延々と重なる。


ゆゆねは体も心も重くなってきた。


後ろを見る。

拠点としたヤシャたちの船は見えない。

前を見る。

キレイだが、変化のない鏡面が続く。


帰りたくなった。けれど、ゆゆねは首を振り、一歩を突き出す。


歩け。歩け。歩け。

巨人に忍び寄り、その宝を盗むのだ。

それができるのは、今この世界では私だけなのだ。


体を動かす。

後ろに引っ張る水を振り切り。

同じ動きをくり返す。


目は水平線を見る。変化を逃さぬよう。

だが心は、内面に潜っていった。

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