第35話
「ふむ」ヤシャが屈み、動かなくなった亡者を観察する。「これはゾンビね。一番低級のアンデッドよ」
「やっぱり。私でも倒せるんですから」
「戦果は誇りなさい。アンデッドはすべて、生者にとっては天敵よ」
ヤシャが立つ。
「急所が少ない。汚染を宿す。そしておぞましい」
「うん、見た目は怖いです」
「恐れは躊躇を生む。慣れた戦士でも、知らずに一歩踏み込めぬことも。彼らの畏怖は武器であり鎧なの」
「理性と本能をコントロールしろ」ガジュマルが言った。「やべぇって直感は大事だ。だが時にはそれを無視して前に、あるいは後ろに。飛ぶ必要がある」
「意識します。特に私、臆病だから」
「ビビりも悪いことばかりじゃないがな。まっ、自分がビビりだと知っておくのは大事だ」
ゾンビのいた部屋から先に。
また細い通路を行く。
空間に出た。部屋というには大きすぎる広間。
「石壁も残ってますが……洞窟と混じっているような」ゆゆねは濡れたいまつを高く持つ。
「自然窟を利用しているのね。古い地下墓地にはよくある構造よ」
持った灯火では、広間の一割も照らせていない。
ゆゆねはどう調べればいいのかわからず、とりあえず真ん中に進もうとした。
「下がれ!」
猫の声。猫の手。ゆゆねはぐっと、しゃがまされる。
その直後。かつて自分の頭があった場所を影が切った。
カツン。後ろで乾いた音。
――矢だ。
初めて受けた攻撃だったが、ゆゆねはそれが弓矢によるものだと理解した。
「ひっ」
目前の地面を、また飛んできた矢が叩く。
狙われている。
弓矢だと理解したところで、どう対処すればいいのかまでは、ゆゆねにはわからなかった。
遮蔽物も、盾になるものもない。
闇が光る。
濡れたいまつに反射した矢じり。
自分に向かってくる。
それをゆゆねが視認できたのは、死ぬ寸前の集中だったのか。
ああ、これは私の頭に当たると解った。
ぱしん。
目前で、矢が消えた。
なにかに横からはたき落とされたのだ。
顔をあげると、二刀を持つガジュマルがいた。
舞うように、描くように。
大と小の剣はうねり、くねり、空中でなにかを斬っている。
ゆゆねは何度かのぱしんの音を聞いて、見て、やっとわかった。
矢を落としている。
飛来する数多の矢を、空中で斬っている。
「……すごい」
いくら猫の目と俊敏さを持っているとはいえ、矢を斬るなんて。
本当に彼の能力は、漫画やアニメのヒーローに近いのだと知った。
「多いな、クソ」ガジュマルが吠える。前の敵と、後ろの仲間に。「このままじゃハリツケだ。ヤシャ、オレは突っ込む。ここの防御は頼む」
「いいわ。壁を張る」エルフは応じ、杖で地面をなぞる。「――屈折。夜は歪む!」
もや。
黒いベールが、ゆゆね達を包む。
「オーケー」ガジュマルは身を下げた。四肢に力がこもる。「反撃だ」
ガジュマルがベールの中から消える。
突撃したのだ。
ゆゆねには、飛んでくる矢より速くさえ思えた。
ほどなく、暗闇の奥で鉄の音が聞こえてきた。
ガジュマルが暴れているのだ。
しかし、ゆゆねとヤシャのいる場所への矢の雨は引かない。
それだけ敵が多いのだろう。
ヤシャは敵陣を睨みながらも、杖を地面に打ち、呪文を唱えていた。
きっと、このベールを保っているのだ。
――足手まといだ。
ゆゆねは思った。
ガジュマルがわざわざ矢を斬っていたのも、ヤシャのこのベールも、ゆゆねがいなければ必要ない。
猫の突撃に、あの射手たちは追いつけない。
ヤシャも自分だけなら、守りを保ったまま攻撃できる。
省みた。
きっと今までの私の仕事も、二人には役に立っていない。
子供が頑張っているのを、優しく見ていてくれただけだ。
本当は二人だけで、十分対処できていたことだ。
卑屈になる。
やはり私はどこにいこうが、召喚されようが、転生しようが。
ダメなのだと。
痩せっぽちで、弱くて、頭も悪い。
自分の真ん中にある穴が痛い。
きっとこのお墓の暗闇よりずっと暗い。
飲み込まれる、潰される。
けれど、と。なぜか。ゆゆねは顔を上げることができた。
前の世界だったら、自虐に酔って包まっていた毛布を剥ぐことができた。
なぜだろう。
それは遠くで聞こえる鉄の音が頼もしかったからかもしれない。
それは間近で聞こえる呪文の紡ぎが祈りに似ていたかもしれない。
私は守られている。
確かに今は、負担なのかもしれない。
でもそれは仕方ないじゃないか、私は新入りなのだから。
前は、未熟であることを責められた。幼いことを罵られた。弱いことを嘲笑われた。
でもガジュマルさんとヤシャさんは違う。
きっと願っていてくれている。待っていてくれている。
私が役に立つと。今は弱くとも、未来には違うのだと。
そして未来とはそれほど遠くなく。いいえ、一秒先でさえ未来なのだ。
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