第17話
のそりのそり。
黒く太く丸い。
「大きい……」
ゆゆねが瞠目するのは、2メートルを超えるきのこ。
それは木々の合間を窮屈そうに歩いていた。
「森人。通称、歩きキノコ。正式には……」
ヤシャがゆゆねを促す。
「イルネギ。妖精族の一種です」
ゆゆねが言う。ステイタスの図鑑から参照した。
「へぇ。この距離から補足できるのね。そうよ、イルネギ。根を這うもの、という意味。まあ、もう誰もそんな風には呼ばないけど」
ヤシャはさて、と杖を構えた。
「ゆゆね、あれを倒して」
「倒す……えっと」
「剣で斬りまくるのが適当ね。イルネギが動かなくなったら、倒したとみなすわ」
「えっ。でも」
ゆゆねは慌てる。
「ステイタスには、中立的なモンスターだとあります。温厚、緩慢。もし敵対しても、足は遅く、逃げるのは簡単だと」
「あら、親切ね。誰が書いたのかしら。ええ、正しいわ」
でもね、とヤシャは言った。
「倒してもらうわ。わたしと、あなたのこれからために」
「なんで……冒険者は戦士ではない。不要な戦いは避けた方が」
「あなたにね、覚えてもらうの」
ヤシャは金の目を澄ます、ゆゆねの黒い目の底を覗いた。
「他者を害すということを」
「……」
「暴力を以って、我を通す。それに慣れる。冒険者として、この世界で強くなりたいのなら、必須の力よ」
金色がうずまく。
「ゆゆね。あなたが、この世界に送られた……いいえ、逃げてきたきっかけを私は察している」
「えっ……それは」
「それは忌むべき行い。けれど、私は優しさのひとつ思う。優しく純粋で、愚かで弱い」
「……うっ」
「でもね、こちらの世界で生きたいのなら、生きて目的を成したいのなら、その強さが欲しいなら」
ヤシャは杖頭を二人の目線に置く。
「暴力を、覚えなさい」
ゆゆねは後ずさる。口をもごもご、しかしなんとか言葉を紡いだ。
「……なんでわかるんですか。……なにがわかるんですか」
「さあ、きっと何もわからないわ。私はずっと強いから。――お喋りは終わりよ、ゆゆね。剣を抜き、魔物を仕留めなさい」
「でも、あのキノコさんは、何も」
「最初はゴブリンがよかった? それとも野盗? 嫌でしょ、出来ないでしょ。これでも選んだのよ、倒しやすい魔物を。難易度的にも道徳的にも」
ヤシャは機敏な動きで、歩きキノコに向く。
そして杖を掲げた。
「夜は尖りて――ブラックスピア――」口から魔力を紡ぐ。
闇の閃光。ヤシャの足元から黒い槍が伸び、歩きキノコの右肩を貫いた。
ヤシャが杖をひねる。すると槍もねじれ、そして紐がほつれるように爆ぜた。
歩きキノコの肩は大きく裂け、右腕はびろんと、脇下から垂れ下がっているだけになった。
「ンアアアアアア!!!」
キノコは吠え、辺りを見る。繊維の合間の小さな瞳は、ヤシャとゆゆねを捉えた。
「あわ。あわ」ゆゆねの足が震える。
「くるわ。戦いなさい」濃紺のカーテンのような霧がヤシャを包む。ふとそれが揺れて開くと、彼女はもう消えていた。
キノコが走ってくる。巨体を揺らし、枝葉を折りながら。
ゆゆねはショートソードを抜いた。最後にヤシャに言われた「戦え」という言葉をなんとか覚えていたせいだ。
「ふぅ……!」
前に構える。武器の扱いなどわからなかったが、とにかく棒状のもので、相手を遠ざけたかった。
キノコが迫る。迫る。
もうゆゆねの視界は、薄紫のキノコの胴体だけに――
「ぐえ!」
視界が地面に代わる。舌には土の味。
なにが起きたのか、ゆゆねは揺れる頭で思い出した。
そうだ体当たりされたんだ。
突き出した剣を意にも介さず、歩きキノコは腹でぶつかってきた。
剣は半分だけ刺ささったが、自分は後ろに飛ばされた。
よろよろと、ゆゆねは立ち上がる。
武器がない。剣は相手の腹に刺さったままだ。
まずはあれを取り戻さないと。
「……でも」
けれど、と思った。
それは戦うということだ。
実際に勝てるとか負けるとかはおいといて。
大した理由もなく、歩いて生きているものを、傷けられるのか。
だって私は、それができなかったから。
「いで!」
また吹っ飛ばされた。
濁った感情は、感覚も覆っていた。
ゆっくりと、大きく振るわれたパンチ。
それをしっかり見ていたのに、ゆゆねは動くことができなかった。
キノコが来る。
小さな目は敵意に満ちていた。
当然だ。
ただ森を歩いてただけなのに、あんな太く黒い槍で貫かれたのだ。
痛くて、怖くて、怒っている。
ゆゆねは這ったまま、背を向ける。
逃げよう、と思った。
恐ろしかった、相手の暴力が。
いいえなにより、自分の暴力が。
「逃げるの?」ヤシャの声がした。空から降ってくるような声だった。
「逃げてもいいわ。だけど。そうしたら、私はあなたを見限るわ」
ビクッと、ゆゆねは止まった。
「己の目的を一番に思えない者は。どんなに繕っても、役に立たない。こと、生死の絡む場において」
目的。目的とゆゆねは思った。
私の目的。
なくなったはずなのに、この世界で見つかった奇跡。
「そうだ」
泥を吐いて、立ち上がる。
「私は……強く強くなって……」
ゆゆねは叫んだ。敵に、自分に。
「お姉ちゃんを、見つけるんだ!」
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