第10話

『夢見るもぐら亭』看板にはそうあった。


「ついたぞ、ゆゆね、ここだ」

「は、はい」


ゆゆねは街の門を通ってから続けていたきょろきょろを打ち切り、ガジュマルに続く。

二人は建物に入った。


中は酒場のようだった。

大きなテーブルが3つ、簡単な調理場と直結したカウンターが1つ。

それでいっぱい。


テーブルで酒を飲んでいた一団がガジュマルに気づき、手をあげる。

「よう、ねこ助。もう戻ったのか。縫い目近くでゴブリンだったか?」


ガジュマルは足を止めた。

「ああ。さいわい、亀裂を超えた奴らじゃなさそうだった。まあ、それはそれで問題だが」

一団の、今度は女性が訊く。

「相方は? 黒耳ちゃん。 一緒に受けたんじゃないのかい?」


女性はガジュマルの後ろをのぞく。ゆゆねと目が合った。

「その子は? 人間みたいだけど……ちょっと見ない感じね」


あぅあぅと何故か脅えるゆゆね。

ガジュマルは答える。

「黙っていてもしゃーないから言うが……召喚人だ。ゾンゾで拾った」

「……! えっ、本当に? ガジュマル?」

ずいっと女性が席を立とうとする。ガジュマルはそれを押し戻した。


「まだガキなんだ、怖がる。――ってなわけでな、ご亭主に会わせる手筈でここに」

「あっ、ごめん。でも、召喚人……そう」


ガジュマルはテーブルを離れる。

ゆゆねはまだ見てくる一団に戸惑ったが、一礼して去った。


「ねこさん。あの人たちは……」

「冒険者だ。俺と同じな。ああ、言ってなかったな、ここは冒険者の宿なんだ」

「宿……。冒険者ギルドとは違うんですか?」

「ほぼ同じもんだが、こっちの方がちょっと古い。今は依頼の張り紙も、大半は集会所のほうに貼られるしな」

「はぁ。ギルドの前身みたいなものですか。それで、さっきから言ってる、ご亭主というのは」

「ここの宿の主さ。底知れねぇ婆さんだが、こんな事態に対応できる数少ない例外だ」


ぎぃっと。ガジュマルは酒場の奥、階段下の扉を開ける。

むわっと。甘い……花の蜜のような香り。


「入るぞ。最初は驚くだろうが、まあ害はない」猫はなぜか目を閉じる。

「たぶん、な」


―――――――――――――――――


暑い、とゆゆねを思った。

温度が、湿度が、香気が。


小部屋。その壁には蔦が這い、地面は土。

いっぱいに、南国風の樹木が天井まで茂っている。

かろうじて、中央に置かれた小卓と椅子が使えるようにはなっていた。


ゆゆねはくらくらした。

色彩が多い、空気が豊かすぎる。

まるで。遠足で行った植物園だ。


「一応言っておくが、この部屋はこの世界でも、変わりもんだ」

ガジュマルがゆれるゆゆねに言う。


「それで、亭主さんは? ここで待てばいいんですか」

「いやもう半分は来てる。ゆゆね、椅子に座ってくれ」


ゆゆねは疑問だらけのまま、部屋の数少ない家具に座る。

目のまえには卓。紫のクロスが敷かれ、その上には――


「ランプ? ツボ?」


装飾の多すぎる陶器があった。

ゆゆねには歴史で習った古代の土器にさえ見えた。


ガジュマルがずいと、横から手を伸ばし、陶器を叩く。

ノックする、といった感じだった。


「連れてきたぞ、亭主殿。起きてくれ」


かちゃかちゃ。陶器が震えだす。

フタが跳ね、どこか楽しそうに鳴く。


「な、な、なんですか、これ」

ゆゆねは立ち去りたいという風に、ガジュマルを振り返る。


「落ち着け。別のところに行ってたのが、戻ってきてるんだ」


震えが極まる……と、陶器のところどころに空いた穴から、ケムリが吹く。

赤い霧のよう。

それは微細な粒子のうずで、よく目を凝らすと――


「虫?」


「違うヨー。蟲だヨー」


粒子が形を成す。なにかを編むように。

それは一瞬で、気付けば卓の上には人が立っていた。


女性だった。

背が高く、ストレートの黒い髪、露出の多い赤い服。


女性は机の上でカエルの如くかがみ、その顔をゆゆねに近づける。


「ほぉん。これが迷い子か。彼方の捨て子か。うんうん、確かに幸薄そうな顔してるネ」


女性はべたべたと、ゆゆねの顔を触る。

髪を撫で、頬を揉み、耳をつまんで引っ張る。


「ひゃあ。な、な、なんですか」

その指が目に伸びたところで、やっとゆゆねは抵抗する。


それを見て、女性は怪しく笑い、ようやく机から飛び降りた。


「よろし。健康状態はよし。召喚に関わる異常もないようだ」

女性はガジュマルを見る。

「ご苦労、猫助。あとは私がメンド―見る。あんたは休んでよいゾ」


ガジュマルはよりかかっていた壁から離れる。

「手加減してやれよ。数日の付き合いだが、そいつはビビりでな。今もほら、泣き出しそうだ」

「うぅ。ねこさん」

行っちゃうんですか、という目でゆゆねはガジュマルを見る。


「はぁ。食われりゃしねぇよ。それにゆゆね。あんたはもう大人なるしかないんだ。守ってくれる親も仲間もない。一人で受け、考え、立て。そう成らねば、今日の飯も食えないぞ」


ゆゆねの目が潤む。

「でも、私まだ中学生……」

「何歳でも、人は一人だ。どこの世界でもな」

だが、とガジュマルは続けた。

「守れるようになれば、守ってもらえる」


ガジュマルは女性に、亭主に軽く頭を下げ、部屋から去った。


むせる植物室の中、亭主とゆゆねだけになった。

ゆゆねはできる限り、椅子の上で小さくなる。

亭主はその様子をゆっくり観察していたが、ようやく口を開いた。


「ふぅん。すごいネ、ユユネ君。あの頑固猫にあそこまで言わせるなんて。ゾンゾからは3日くらいの旅だったろうけど、そんなに仲良くなったん?」


「……えっ、はい、いえ」

ゆゆねは頑張って顔をあげる。

「お話はそんなにできなかったです。でも……優しい人なんだとはわかりました」


そう。ねこさんは優しかった。

足の遅いゆゆねに怒らず、ゆっくり歩いてくれた。

いつも喉が渇く前に、水をくれた。

野宿していると、必ず最後まで起き、そして先に起きていた。


会話は数えるほどしかなかったが、このねこさんは良い人なのだとわかった。

それは寄る辺のないこの世界で、とても大きな安心だった。

いや……かつての世界でさえ……。


亭主が長い指を振る。

「ふぅん。あいつも色々引きずってるからネ。トラウマの良い面かナ。でも惚れちゃダメよ。もうあの猫助は先約がいるからネ。もう、影からグサグサにされちゃうヨ」


「あっ。ヤシャさんですか。……ちょっとしか会えなかったけど」

ゆゆねはダークエルフを思う。うん、とうなずいた。

「そうですね。あの二人はなんだか……ぴったりな気がしました」


「そっね。あの姫はこの宿で一番おっかないわよ。……さて、ゆゆね君。ゆゆねでいいのよね」

「はい……佐倉ゆゆねと言います。あなたは……亭主さん、ですか」

「ウン。宿の亭主。そんで冒険者ギルドのナンバーツー。偉いのヨ」

亭主はツーツーと言いながら、長い指を蜘蛛のようにくねらせる。


「って言ってもね。冒険者なんて阿呆ばっかだからさ。大事にしてくれる人は少ないんだけど。悲しいワ。まっ、軽くみられた方が、便利なトキもあるがネ」

さて。亭主は腰を下げ、目線をゆゆねに合わせる。


「さて。これからお役目をしないと。10年前のお約束。ユユネ君。語るワ。この世界と、あなたの世界と、召喚術と。そしてこれからどうするか。――いいかしラ。ちょっと長いけど、実際に覚えるべきことは少ないんで」


ゆゆねは拳をつくり、膝の上に置いた。

「はい。お願いします」

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