第8話

森から色彩が消える。

黒、闇、影。

すなわち夜が、固体となって遺跡の前の広場を支配する。


人の目では、なにも見えなくなった。


「……これは夢霧か? しかしなんという濃さ、規模……!」

老人は剣を消し、杖で地面を打つ。その周辺だけ、わずかに夜が引いた。


魔力をさらに込め、夜に抗う。

なんとか仲間の二人を確保できるまで、光を広げた。


投剣を受けていた一人は、かがんで自己治癒の呪文を紡いでいた。

もう一人はその隙を、防御の構えで補っていた。


……よく訓練されている。若いとはいえ、大書庫の青服だ。


「長。これは」構えた一人が老人に訊く。「中等級以上の魔術です。しかもこれは」


老人は光の範囲に防御効果を加えながら、応じた。

「ああ闇術のひとつだ。夢霧に似るが、もはや別物だな」

「闇術。そんな馬鹿な、黒エルフは全滅したでしょう」

「状況に応じよ、書庫の剣よ。戦場に常識などない」


老人は若者を諫め、杖を真っすぐに構える。

どっしりと。

老木として、せめて若いものを安心させたかった。


「だがまぁ……」老人は自分にだけに聞こえるよう呟いた。「どうにもならんな、これは」


瞳にも魔力を通し、変質させる。即興の暗視、熱源視、霊視。

が、なにも見えない。

周囲はもはや夜というより、墨汁の沼だった。


「姫さんか、なるほど」


――――――――――――――――――――


「助かった。だが、もっと早くしてほしかったな」


三人は森を駆ける。

正確には一人はガジュマルの背にいたが。


「十分早いわよ。生きてるじゃない」

応じたのはヤシャ。銀髪と黒肌の少女。

加えて飛び出た長耳。


「あぅあぅあぅあぅ」

ゆゆねはガジュマルの首にしがみついて、あえいでいた。

なにか言いたかったが、その度に加速と跳躍に邪魔された。


「……その子が、召喚人?」ヤシャが訊く。

「ああ。遺跡にな。卵から出てきた」

「たまご?」

「そう見えた。割って、出てきた」

「……」


たまご、とヤシャは反芻する。

しかしそれ以上は訊かず、足を速めた。


――――――――――――――――――――


「ふぅ。行って帰って。もう大丈夫だろう」

ガジュマルは止まる。

手紙虫を受けた場所、荷物を置いてきた場所に戻ってきた。


「そうね。あとは歩きでも。はぁ」

ヤシャは荒い息を抑え、地面に座った。

ハンデがあっても、ガジュマルとの並走はつらかった。


「さて、じゃあ。娘。そろそろ自分で歩いてくれ」

ガジュマルは首を回す。

我慢していたが、彼はなにかに拘束されるのが大嫌いだった。


「あぅあぅ」

ゆゆねはまだあえいでいた。止まったこと気づかず、次の衝撃に備えていた。


「……降りてくれ。降りろ」


ガジュマルは巻きついた腕をはがす。

その前に腰を下げたのは、彼なりの精一杯の配慮だった。


「――おぅぷ……!」

ゆゆねがごろんと、地面に落ちる。

派手な動きだったが、意図せず受け身のような形になっていた。


「わりぃな。歩荷は苦手でな」

「ちょっと、ガジュマル。……はぁ、もう」


ヤシャはよろよろと立ち上がり、倒れたゆゆねに近づいた。


「あら、ちょっと。この子、はだかんぼうじゃない。あなたのマント一枚」

「だから言ったろ。卵から出たって。生まれたばっかなんだろ」

「こんなサイズで生まれる生物はいないわ。……でもそうね、たまご」


ヤシャはゆゆねを起こし、マントを整える。


「話せる? 言葉はわかる? お嬢さん?」

「……うぅ」


ゆゆねのぐるぐると回っていた目が、だんだん落ち着く。

その黒い目が、ヤシャの片っぽだけの金の瞳と合う。


「……あっ。あわわ」ゆゆねは口を抑える。

「すごい、かわいい……耳も長い。お姫さまみたい……」


もぐもぐと、ゆゆねはヤシャを見る。

ヤシャは気にせず、ゆゆねの全身を観察する。


「混乱しているようね。ダークエルフが珍しい?」

ヤシャはゆゆねの頬に触り、手に触り、指の数を数える。


「言葉は通じる。体は人間に見える。ちょっと痩せすぎだけど」

「ひゃ」

マントの中にまで手を入れるヤシャ。

ゆゆねは正気に戻り、身を引く。


「ちょっと、セクハラですよ、きっと」

「はら? なに? ……落ち着いたみたいね、話せる? 名前は?」

「えっ」


ゆゆねはマントの裾を気にしつつ、座り直す。


「その、あの、ここは」ゆゆねはぐっと息を飲む。そして言った。

「異世界なんですか!?」


ヤシャは一瞬の間を置き、口を開く。

「そう。そうよ。ここは接ぎの国」顔をゆゆね寄せる。「あなたは召喚されたの」


「……召喚」


ゆゆねはぼーっと、しかし徐々に意識を固めていく。


「じゃあ……じゃあ!」ばっと、彼女は立つ。

「さっきのは魔法で、ねこさんはねこさんで、あなたは本物のエルフなんですか!?」


ヤシャも立つ。

「ねこさんは猫人。正しくはカランカ」

ヤシャはゆゆねの肩に手を置いた。

「座って。ええ、そして私はエルフ。俗称ではダークエルフ。自分たちではミティアと名乗る」

「ダークエルフ……だから黒いんですか。あっ、失礼だったりしますか、コレ……」

「うん? わからないけど、あなたの世界にエルフやカランカはいないのね」


ゆゆねはヤシャとガジュマルを交互に見る。とても嬉しそうだった。


「はい。人間は人間だけです。あっ、あっ、じゃあ他にもいるんですか」ゆゆねを自分の指を数える。

「エルフに猫の人。じゃあ、コビトとかドワーフ、オークにゴブリンとかも!」


ぱあっと、ゆゆねは二人を見る。


「ゴブリン?」ガジュマルはごそりと、地面の袋を持ち上げる。

「ゴブリンなら、ここにいるぞ。首だけだが」


「えぇ? ひぃ、まさか」

袋の赤黒い染みを見て、ゆゆねは座ったまま後退する。


「やめなさい」ヤシャは指で、ゆゆねの顎を自分に向ける。

「そう、いろいろいるわ、この世界には。多すぎるくらいに」


「ここは接ぎの国。縫い合わされた端切れの世」ヤシャは金の一つ目を深くする。

「もう一度言う。あなたは召喚された」

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