第8話 ぬるっとした推理
時刻は19時。
窓の外を覗くと、空一面はすっかり闇に染まっていた。
修学旅行の積立金を銀行から引き出すことができた人物。
積立金を預けていた銀行のキャッシュカードと印鑑、通帳を持ち出すことができた人物。
それができたのは、未來先生の他に三人いた。
その三人から無事に聞き取り調査を終えた。
ほとんどが明石の暴走というか、横暴だったが……まあ、いずれにしてもなんとか聞きたいことは聞き終えた。
そして現在、俺たちは部室に戻ってきていた。
我らの頼もしい部長——明石紫苑は、先ほどからホワイトボードの前を行ったり来たりとしていた。
「うーん、誰が犯人かしら」
「何を迷っているんだよ?」
「はあ……」と明石はチラッと俺を見てため息を吐いた。
「おい、『こいつ何にもわかっていないな』みたいなため息をつくなっ!」
「だって、その通りなんだもの。仕方ないでしょ」
この女……言わせておけば——
沸々と怒りが湧き上がってきたところで、未來先生がわざとらしく「コホン」と咳払いをした。
「えー、それで二人は誰がお金を引き出したかわかった?」
「さあ、さっぱりですね」
「藍沢、真面目に考えないとあのことバラすわよ?」
明石の好奇心の強い瞳がスッと細められた。
くっそ……玲と付き合っていることをバラされたら、明日から地獄のような高校生活を送ることになることは明らかだ。
それだけはなんとしても避けなければならないことだ。
「……はあ、わかった、わかった。真面目に考える」
「ふん、初めからそうしていれば良いのよ」
「ふふ、二人とも本当に仲が良いのねー」とどこか揶揄うように未來先生が言った。そして居住まいを正して「じゃあ、藍沢くんの考えを披露してもらうのは後にしましょうか。まずは紫苑さんからどう?」と続けた。
「私がわかったことは——未來先生は犯人ではないということくらいです」
「……へえ、どうしてそう思ったのかしら?」
「だって、そもそも先生はお金に困っていないですよね」
「……っぷ、何それー」とおかしそうに未來先生は笑った。
「明石、ちゃんと説明してくれ」
「だから、あれよ……未來先生だったら、すぐに補填するでしょ」
明石はどこか焦ったようにオロオロとし始めた。
はあ……ただの直感で決めつけているだけか。
でも未來先生は犯人ではないことは確かだろう。
俺もそこに異論はなかった。
俺は立ち上がって、ホワイトボードに書かれた未來先生の文字の上にバッテンを書いた。
「未來先生は犯人ではない。それに校長と秘書も犯人ではないな」
「ちょっと、藍沢!なんで校長と秘書も犯人じゃないってわかるわけ?」
「そりゃあ、この3人とも2年前には——この学校で働いていなかったはずだからな。……でしたよね、未來先生?」
「ふふ、藍沢くん正解!今の校長は君たちが入学する数ヶ月前に代わったばかりなんだよね。前の校長が急に体調を崩して、その息子さんである青雲太郎が引き継いだってわけ。その時に、秘書の三木ちゃんも採用されたの。でも、私に関しては不正解でしたー。私は3年前からこの学校で働いているんだよ」
未來先生は楽しそうに答えた。
……あれ、そうだったのか。
でも、未來先生が犯人ではないことは確実だろう。
3年前の未來先生は……流石に右も左も分からない1年目の先生だ。そんな先生に大金の管理をさせるはずはないだろうしな。
「そうでしたか。いずれにしても未來先生は、2年前からお金の管理を任されていたわけじゃないですよね?」
「うん、私が文化祭の予算管理を任されたのは今年からよ」
「ふん、やっぱり……未來先生は犯人じゃないってことであっているわね」
「信じてくれてありがと、紫苑さん」と未來先生が立ち上がり、その母性溢れる大きな胸元に明石のことを抱きしめた。
「どういたしまして」とどこか照れそうに、明石はプイッと顔を背けた。
……三人に事情聴取するまでは、普通に疑っていたくせによく言うよな。
だなんて言葉は口が裂けも言わないが。
てか、科学準備室で百合の花を咲かすな。
「あー、コホン。続けていいか?」
「どうぞー」と未來先生が気の抜けたような声で返事をした。
明石はこくりと首を縦に振った。
「それで残りの二人——山田先生と副校長のどちらかが犯人あるいは犯人の共犯者だと思う。まず山田先生の方は、さっき明石が根掘り葉掘り聞いても、今のところ動機がなさそうだったしな。一方で、副校長の方は——」
「あ、わかったわ!きっと、犯人は副校長ね!高そうな腕時計をしていたもの!」
明石は未來先生の胸元から脱出して、ひらめいたと言わんばかりに声を上げた。
未來先生は離れていってしまった明石のことをどこか名残惜しそうに見つめていた。
先ほどまでの百合空間を微塵も感じさせないように、明石はズカズカと歩いて、バンとテーブルの上に両手を置いた。
「高校教員で買えるようなものじゃなかったわ!きっと、横領したお金を使ったに違いないわっ!」
先ほど副校長が懇切丁寧にどれほど素晴らしい時計なのかを語ってくれていた。だから、有名なハイブランド——ロロックス製の時計であることはわかっていた。
明石の大きな瞳から逃げるようにして、俺はスマホで値段を調べた。
……200万か。
「確かにそうかもしれないな」
「でしょ!?」と明石はなぜか念押しをした。
一方で、俺たちのやりとりを黙って聞いていた未來先生は浮かない表情をしている。
「未來先生、どうしましたか?」
「いやー、それはないと思うなーと思って」
「……どう言うことですか?」と明石は未來先生へと振り返った。
「うーん、ちょっと待ってね」と唸りながら、未來先生はトートバックの中に仕舞っていた通帳を取り出して、「ほら、ここを見て」と言った。
未來先生はテーブルの上に改めて、通帳を開いて置いた。そして俺の向かいの椅子にちょこんと腰をかけた。
それから、白くて細い指先は、ゆっくりと記入されている日付と額を指して行った。
20XX年1月31日 1,000,000
〜 〜
20XX年2月29日 1,000,000
〜 〜
20XX年3月31日 1,000,000
「毎月、月末に100万が引き出されている……ということですか?」
「そうなんだけど……なんて言わば良いのかしら」
未來先生は腕を組んで思案している。
何かを伝えたいらしいが、適切な言葉が出てこないようだ。
「うーん」と明石は唸るように声を上げて、椅子に座った。そうかと思ったら、すぐに「……あ、わかりましたっ!」と明石は大きな声をあげた。
忙しないやつだな。
「何がわかったんだ?」
「先生たちの給与振込日はいつですか?」
「えっと……25日だけど」
「やっぱり!つまり、先生たちの給与振込日のすぐ後なのに、お金を着服するのはおかしいということですねっ!」
「……その理論はなんだ?」
この明石という女は相変わらず発想が斜め上過ぎて意味がわからない。
「給与を支給されたら心理的に満たされるはずでしょ?それなのにすぐに横領するとは考えられないものっ!」
……ますます意味がわからない。
ほら、未來先生もポカンと口元が空いてしまっているではないか。
一旦、明石の理論は置いておくとしても、未來先生が引っかかっているところはなんだろうか。
もう一度、通帳を見てみる。
100万……引き出しているという事実。
いや正確には、100万を定期的に引き出しているということだよな。
そして、スマホを見てみる。
副校長が買っていた腕時計が200万相当しているという推測。
引き出している金額と購入金額に差があるのか。
……あ、そうか。わかった。
「200万の買い物をするのに、なぜわざわざお金を引き出す回数を分けるなんてまわりくどいことをしているのか」
「そ、そう!まさに藍沢くんが言ったことだよ!私もそれが言いたかったのっ!」
「まあ、確かにそうね」と明石もどこか納得したように呟いた。
「たとえば、キャッシュカード使ってATMから引き出しているんだとしたら、上限に達してしまって、残りを翌月に引き出すのはわかるけど——」
「でも、ATMから引き出してはいないと思うかなー」
「どういうことですか?」と明石が聞いた。
「だって、学校法人名義の口座だし、ATMで上限金額を毎月引き出しているなら、銀行から確認が入るもの。ほら、マネーロンダリングとかに厳しいでしょ?」
確かに毎月、怪しい出入金記録があれば、銀行から確認が入るだろう。
だとすると……毎月、銀行窓口で引き出しているのか。
その時、未來先生が驚きの声を上げた。
「そういえば、山田先生、最近離婚したらしいのよっ!」
「……唐突ですね」
「え、だって藍沢くんだって山田先生が意気消沈しているのわかったでしょ?負のオーラというかなんというか、ね?」
いや、『ね?』なんて同意を求められても困るのだが……
「まあ、確かに指輪跡は気になりましたけど……」
「まあでも、別居は数年前からしていたらしいんだけどねー」
「さいですか……」
「はあ、それにしても私の王子様はどこにいるのかしらねー」
って、この先生もう話題を変えているし。
全く何なんだよ。
明石はというと、ぶつぶつとつぶやいていた。
そうかと思ったら、突然、大きな声を上げた。
「離婚……あ、そういうことだったんだっ!」
「犯人がわかったのか?」
「ええ、もちろんよ!」
「誰なのー?」と未來先生が間延びした声で聞いた。
すると、明石は居住まいを正してから言った。
「犯人は——歴史資料室にいますっ!」
「……山田先生ということか」
「まあ、そういうことっ!だから、さあ、藍沢行くわよっ!」
「どこに?」
「歴史資料室に決まっているでしょっ!理由を話している暇はないわっ!行くわよ」
そう言って、明石は立ち上がった。
どうやら俺も行かなければならないらしい。
ため息をつくのを何とか堪えて、黙って首を縦に振ることしかできなかった。
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