第6話 事件のあらまし

「それで、未來先生?」

「なんだい、藍沢くん?」

「額も大きいし、流石に今日中に解決できなかったら警察に言った方が良くないですかね?」


 俺たちだけで解決できるかわからない以上、とっとと警察に行った方が良いと思うが……目の前で目を輝かせている明石を見てしまうと、妥協点を見出した方が良いだろう。


 なんせ明石紫苑という女は、仮に警察に届け出たとしても勝手に捜査というか場を掻き乱して勝手に犯人を探すことが明らかだから。


 明石の厄介な性格を知ってか知らずしてかわからないが、未來先生はチラッと俺から明石へと視線を向けた。


「まあね。そうだねー」とどこか他人事のような声で何かを思案してから、未來先生は「じゃあ、今が17時だから。最終下校時刻の21時までにしようかしらね。それまでに解決できそうになかったら、大人しく警察に連絡しましょうか……あ、その前に校長に伝える方が先かな」と付け加えるように言った。


 妥当な提案か。

 俺たちに解決できなくても、俺にデメリットはなさそうだしな。


「……わかりました。俺の方はそれで問題ないです。明石もそれでいいよな?」

「もちろん、私もそれでいいわっ!」


 少し興奮したように、調子はずれの声で明石が答えた。



 俺と未來先生を交互に見た後で、明石は薄汚いホワイトボードをバンと叩いた。それから好奇心の強い眼をスッと細めた。


 まるで未來先生を疑っているかのように、その目力を遺憾なく発揮していた。


「そもそも未來先生は、どうして気がついたんですか?」

「ほら私、先生たちの中じゃ若いじゃない?」


 未來先生はどこか誇らしげに、そしてなぜかその豊満な胸を強調するように胸を張った。まるで何かを察しろと言わんばかりのドヤ顔をしていた。


 この先生は何を言っているんだ?

 自分が疑われていることに気がついていないのか。


 普通に考えれば……第一発見者が犯人であることを疑うのがシンプルだろう。


 おそらく明石の方も同じように考えているはずだが——

 

「誰かのモノマネですか?……あ、何かの暗号!?」

「違うわよっ!若い先生が、文化祭の予算管理をするのよっ!」


「はあ……それがどうかしたんですか?」と先ほどとは打って変わって、どこか訝しげに明石が言った。


「それで夏休み明けの文化祭の予算を引き出すためにさっき銀行に行ったの。そしたらまあ不思議。毎月100万ほど引き出されているじゃない。だから、不審に思って、さっきまで通帳に記入されていた額と電子帳簿を照らし合わせてみたら——額が違うじゃない?驚いたわー」


 どこか白々しい声で、未來先生が答えた。


 普通に考えれば真っ先に未來先生を疑うだろう。

 しかしあの空川未來が高々2400万円程度の金額で人生を棒に振ることはないだろう。


 なんせ空川未來……空川商事の会長の娘なのだから。

 空川商事といえば、総合商社として国内5位の売り上げを誇る超大手企業だ。

 お金に困っていないだろうし、そもそもこの先生はお金にも興味がなさそうだしな。


 しかし明石のどこか興奮したように頬を赤く染めている顔を見ると、きっと明石のことだ。そんなことよりも何よりも劇的な展開を期待しているのだろう。


 身近な人——顧問の先生が犯人だったというオチにでも期待しているに違いない。


「先生、俺からもいいですか?」

「はい、どーぞ」

「引き出し金額について、一度に2400万が引き出されていたわけじゃないんですよね?」


「そうそう、これが通帳ね」と未來先生はガサガサとカバンから取り出して、テーブルの上に乗せた。


 手を伸ばそうとした瞬間、やめた。

 危ない。

 指紋がつくから下手に触らない方がいいか。


 そんなことをすでに気がついていたのだろう。

 明石は立ち上がって、ゴソゴソと棚を漁って保管されていたゴム手袋をはめた。明石の色白い手が通帳をパラパラとめくった。


 数秒してから記入欄を開いて、テーブルに戻して座った。


「この100万のところ」と指差して、明石は「ここ2年で毎月1回引き出されていますよけど——このことですか?」と確認した。


「うん、そうなのよね。24回にわたって引き出しているみたいなの」と未來先生は少し不思議そうにつぶやいた。


 そうなると2年にわたって100万を毎月引き出していたのか。

 ……いやいや、誰も気が付かなかったのかよ!?

 どんだけ杜撰な管理をしているのやら。


 そんなんで、この学校は本当に大丈夫なのか。


 いや今はそんなことを考えるのはやめておこう。


「あー、コホン。俺からもいいですか?」

「うん、どーぞー」と未來先生は気の抜けた返事をした。


「そもそも予算を管理している通帳と印鑑、キャッシュカードを持ち出すことができるのは誰だったんですか?」


 未來先生が少し思案した後で言った。


「……普段は校長室の金庫に保管されていて、金庫のダイヤル番号を知っているのは、文化祭の予算管理をしている私と修学旅行費用を管理している山田先生と、副校長の土田先生と校長だけね」


 明石は待っていましたと言わんばかりに立ち上がった。


「さて、藍沢!早速、関係者に事情聴取に行きましょうか」

「どうやって聞くつもりだよ?まさか『あなたが着服したんですか?』などと馬鹿正直に聞くわけにもいかないだろ」

「ふん、そんなことは行ってから考えればいいのよ」

「明石……」


 『お前はペーパーテストの点数はいいのに、なんか色々と思考が残念すぎるだろ。その胸と同様に』などと口が裂けても言えないな。


 何を仕返しされるかたまったもんじゃない。


「何よ、藍沢?なんかとてつもなくイラッとしたんだけど」

「いや、なんでもない」

「ふん、まあいいわ。じゃあ藍沢行くわよ。まずは山田先生ところにしましょ。あ、それと未來先生も付いて来てくださいね」


 そう言った後で、明石はすでに科学準備室を飛び出すように出て行った。


 未來先生はテーブルに広げた通帳をカバンにしないながら「はいはい、少し待ってねー」と返事をした。


 ……はあ、ここで俺が行くのを拒んでも意味がないだろう。

 なんせ行き当たりばったりの迷探偵様から目を離したら、どうなるかわかったもんじゃない。


「藍沢くん、ごめんねー」

「いや、明石が面倒ごとに首を突っ込むのいつものことだから、諦めました。てか未來先生……本当はすでに警察に言ったんですよね?」

「ううん、本当にまだしてない」

「……どうして?」

「えー、だってその方が面白いじゃない」


 はあ、この同好会にはまともな人間はいないのか。

 

「じゃあ、私たちも行きましょうか」


トートバックを肩にかけて、未來先生はウィンクをした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る