第2話 推理劇場までの道のり
夕焼けが室内に差し込み薄暗い教室を照らしている。
エアコンの程よい冷気が室内を循環している。閉じられた窓の外からは校庭で部活動に勤しむ生徒たちの声が微かに聞こえてくる。
放課後、俺––––藍沢雄太は一年A組に残っていた。いや、強制的に残されていた。目の前の黒板に『状況』と白いチョークで書かれた文字を見つめた。
隣の席から明石紫苑が頬杖をつきながら言った。
「それで、藍沢は何かわかった?」
「わからん」
「真剣に取り組んでいない場合でも、あのスキャンダルはバラすからねー」
「っち」
「ふふふ」と明石は、甘い声で微笑んだ。
厄介な女だ。
見た目は清楚そうな外見をしている。が、内面は外面を裏切るかのように面倒な性格の持ち主だ。
ぱっちりとした二重に、桜色の唇、色白く華奢で細い輪郭、ミディアムボブの黒髪が肩にかかる程度に伸ばしており、一見すると清楚な女優のようだ。本人曰く、中学生の頃には大手芸能事務所にスカウトされたこともあるらしい。
確かに外見上は非常に可愛げのある女であることは認めよう。しかしクラスメイト--いや生徒だけでなく教師も含めて、明石紫苑の外見に騙されていることに誰1人として気がついていない。
俺はそのことをよく知っている。
現に健全な男子高校生の弱みを握り、甘い声で脅していることは事実なのだから。
人の弱みに漬け込み、脅すなど人としてやってはならないことであろうに、明石紫苑という女は躊躇なくそのような行動をする女だ。
目的の達成のためには手段を選ばない悪魔のように性格がひん曲がっているとしか表現のしようがない。
今すぐにでもクラスメイトたちに声を大にして言ってしまいたいくらいだ。
しかし、俺のようなちょっと成績の良い程度の人間が「あいつ--明石紫苑という女は中身最悪で災厄な人間なんだ」と声高に主張しても誰も取り合ってくれないことは目に見える。
残念ながらこの世の中というのは人望も容姿も整っている生徒の方が圧倒的に有利である。
そのくらいのことは、たかだか16年ほどしか生きていない高校生の俺でもわかった。
そんなくだらない思考を遮るようにして、明石は少し甘えるような声で言った。
「私のような美少女と放課後の教室で二人きりだからといって変なこと想像しないでよねー」
「安心しろ。俺はお前のような腹黒女に興味ない」
「と言うことはまさか--男に興味があるの?」
「それは100%ないわ、バーカ。俺の理想は--雷がなったら『きゃー』と言って抱き着いてしまうくらい純情可憐、純真無垢な女の子かにしか興味ないからな!」
「うわーないわーひくわー。てか、今時そんな女の子いるわけないじゃん。それに、そんな女の子がいたら明らかに狙ってやっているからね?」
明石は馬鹿にするような冷め切った声色で言った。
少し細められたブラウンの瞳は、心底軽蔑するような視線だ。
ふ、明石という女は所詮その程度らしい。やれやれ胸が小さいと思考も小さくなるらしい。
ガタと足元が揺れた。
この女、俺の椅子を蹴りやがった。
「今、変なこと考えたでしょ」
「いや、気のせいだろ」
一瞬、貧しいそれに視線を向けたのが悪かったのかもしれない。普段は察しが悪いくせに貧な乳のことになると察しが良くなるのはどうにかして欲しいものだ。
それにしても腹黒の部分に反論がないところを見ると自分自身で腹黒いという自覚はあるのかもしれない。
いやこの際、自覚があろうとなかろうとどちらでも良い。ただ厄介な人間に目をつけられてしまったことに変わりない事実である。
「……まあいいわ。ところで私と玲ちゃんの共通点が何かわかる?」
「貧――ひっ!?」
明石は俺の言葉を待つことなく、ドタンと椅子を蹴った。まるで人を殺めたことのあるような鋭い視線で射抜かれた。
「乳」まで言っていないというのにどうやら「貧」と聞こえた瞬間に反応したらしい。
高校生クイズでもそこまで反射的な回答はしないであろうが、俺は渋々喉から出かかっている言葉を飲み込んだ。
決して今にでもどつかれそうな雰囲気から逃れたいわけではないのだ。単に話を進めたいからに過ぎない。
俺は明後日の方に視線を逸らしながら答えた。
「そうだな、非常にお二人とも可愛い容姿をしているかと。そういう意味では同族ではないでしょうかね」
「ええ、そうよね?」と明石は念を押した。
「あ、はい。もちろんです」
こいつ間髪入れずに「可愛いこと」を肯定しただけでなく確認するように語尾を強めやがった。
「なんで敬語なのよ?逆に馬鹿にされているようで腹が立つのよね」
「いや、馬鹿にはしていない。それよりも話を続けてくれ」
「まあいいわ……あなた、さっき私と玲ちゃんが『同族』と表現したわよね」
「そうだな……気を悪くしたのならすまん」
「いえ、怒っているだとかそうではなくて『よくわかったなー』と思ったの」
「それは……どういう意味だよ?」
「コホン」とわざとらしい咳払いを小さくした後、明石は小さな桜色の唇を動かした。「ほら、私って可愛いじゃない?」と少し照れるように頬を朱色に染めた。
「っぷ」と俺が吹き出すと「笑うところじゃないでしょ!?」と明石は若干上擦った声で言った。
相変わらず、明石はよくわからないところで照れるようだ。ここ1ヶ月ほど一緒に行動を共にすることが多くあったがいまだにその感性が掴めない。
「すまんすまん。そうだな見た目は可愛いよ。どうぞ続けてくれ」
「ほんと……揚げ足取り。私が可愛いのは事実なのだから仕方ないでしょ」と不貞腐れるように唇をアヒルのように尖らせた。そして気を取り直す呪文のようにまたしても「コホン」とわざとらしい咳払いをした。
「とにかく、私は可愛い故に苦労を抱えているわけよ」
論理が飛躍しており、共感できなかった。
が、この明石の言いたいこと--おおよそのニュアンスは汲み取れた。
「つまり、お前も桃山玲も可愛い故に問題を抱えておりその問題が同じである、という点で同族であるということか?」
「そ、そうね。さすが将来は私の助手となる人間ね。よく私の言いたいことを汲み取ったわね!」
「全然、これっぽっちも嬉しくない賛辞をどうもありがとう。それよりもその問題とやらをご教示いただけないでしょうかね。ミステリー研究会の会長さん?」
「何よ、察しが悪いわね」
この女はいちいち人をディスらないといけない病気にでも罹っているのか。しかし、一々不遜な態度に声を上げるほど俺は子供ではないのだ。寛容寛大な心で続きを促した。
「大変申し訳ございませんが、察しの悪い私めにどうか明石紫苑様の抱えている問題とやらをご教授いただけないでしょうか」
「ふふ、やっと私の高貴さがわかったようね。やれやれ、どうしてもというならば教えてあげるわ」
こちらが下手に出れば、調子に乗りやがって--
俺は沸々と煮える怒りをなんとか押し殺して明石の言葉を待った。明石は何を勘違いしたのかわからないが、後輩に手取り足取り教える優しい先輩のような声色で言った。
「好きでもない人に告白されてしまうの」
「ふーん……」
「それが問題よ」
「……それがどうかしたのか?」
「何よ、まだわからないの……察しが悪いわね?好きでもない殿方から告白されるということは同性から嫉妬だってされる、ということでしょ?」
「いやだから、それと今回の事件がどのように関係しているのかわからないのだが……まさか桃山玲の財布が紛失したのは、その嫉妬した誰かとでもいいうつもりか?」
「そうよ。でもそれだけではないわ!さあ、そろそろ部活も終わる頃だから行くわよっ」
明石紫苑はない胸をこれでもかと強調するようにして立ち上がった。
なぜ4月の俺は軽々しく学級員長などと言う面倒な役回りを引き受けてしまったのだろうか。それにーーこいつにあれを知られてしまったことも誤算だった。
何にしたってこれだけは言える。
早く帰宅したい。
そう強く思った。
∞
時刻は18時30分を過ぎた。
明石紫苑は独断と偏見で『今日中に解決してみせるから、勝手に帰宅した場合、自動的に犯人とみなし教師に言いつける』などと一方的な宣言をしたため辟易とした態度でクラスメイトたちが各々着席した。
つまり各々が部活動に勤しんだ後で「自主的に」授業の復習をするために、1年A組へと舞い戻ってきた、という建前を作り上げた。
もちろんクラスメイトたちも馬鹿ではない。
いくら明石紫苑が可愛くてもその見てくれだけではなんともならないこともある。明石を無視して帰宅しようとする人もいた。
しかし明石もまた馬鹿ではない。
むしろその小賢しさを利用することで校門前で待ち伏せをし、強制的に教室へとクラスメイトたちを誘った。
そして、現在。
一部の生徒とは一悶着あったが、おおむねみんなは表面上おとなしく席に座っていた。
俺はチラッと教卓に寄りかかるようにして頬杖をする明石を盗み見した。
好奇心の強いぱっちりとした目や肩にかかるほどのミディアムボブの髪の隙間からチラチラと見える白い
こうしていれば、可愛いんだがな。
ただ外見以上に性格が破綻していることを今回の件で少なくともクラスメイトたちは認知しただろう。
元々、同学年の同じ中学校出身者からは距離を置かれていた節があるようだから、今回の件でクラスメイト全員にその化けの皮が剥がれたと思えば、ザマアミロ、と思わなくもない。
まあ、しかし、あれだ。
その美貌と理知的な頭脳を持っており、親が警察官だかなんだかで完璧超人として畏怖されている点はいささか同情に値するかもしれない。
すでに俺にとって明石紫苑は厄介なクラスメイト以外の何者でもないわけだが……後の祭りだ。
入学時はその外見に騙され、歩み寄ろうとした。
もちろん今になっては軽いトラウマだ。
そういえば下心を持って明石に近づいた男子生徒が次の日には転校したなどといった噂も流れていたな。
果たして誰がそのような明石を陥れるような噂を流しているのかは判然としないが、いずれにしてもあの面倒な性格と可愛い容姿とが相まって大半の女子生徒からは嫉妬のようなものを抱かれていることは間違いない。
そう、だから近い未来クラスで孤立してしまう可能性があると思ったのだろう。
日頃から桃山玲が明石を気にかけて話しかけている光景を見る。
明石紫苑と親しい同性の友達––––桃山玲。
二人が談笑しているだけでサマになる。
自動的にゴキブリホイホイのように、その麗しい外見に引き寄せされた同級生や上級生たちが、無謀にも桃山玲だけでなく、明石紫苑にまでも告白をしてしまうという失態を犯しているわけだ。
本当に気の毒なことだ。
もちろんこの場合気の毒なのは明石に告白をする男子生徒のことだ。
明石の信念はミステリーオタクを通り越して事件という事件--事件と呼ぶには烏滸がましい些細な問題にさえ首をツッコミ、問題をかき乱して、時には問題を解決することで、その推理を発揮するのだから。
ただしほとんどの場合において『迷』という枕詞が付く推理を披露していたが。
では、なぜそのようななへっぽこな自称天才探偵が今まで少ないながらも問題を解決してきたのか。
それは俺が多少なりともまともな助言をしているからに違いなかった。
もしも俺がいなかったら今以上に迷推理を発揮し、事件をさらに奇々難解な迷宮へと誘うことになっていたことだろう。
これは別に自慢でもなんでもなく単なる事実だ。
むしろ二次被害を抑えるために俺が東奔西走していると言っても過言ではないだろう。そう言った意味では正直感謝して頂きたいと思わないではない。功労者として労ってほしいくらいだ。
いやしかし、俺という一個人が犠牲になることで多少なりとも人の役に立っていると仮定すれば、やりがいが全くないとまでは言わない。
これも将来公務員となった時の住民からの苦情対応への練習であると割り切ったら耐えられないほどではないと、思うことにしている。
などと、ミステリ研究会の会長さんの愚痴を言っている場合ではない。
いつまで経っても始まらない『迷』推理劇場に痺れを切らして、1人の女生徒が席を立った。
「あのさ!私この後、用事があるんだけどっ!」
星野蓮香は金色に近い茶髪を靡かせて、明石を威嚇するように睨んだ。
読者モデルの仕事をしているようで、ファッションが先端なのか、なんだかよくわからないが、水色のアクセサリーが両手首に巻かれている。
短いスカートの丈が揺れて、色白い肌がこれでもかと艶かしさを強調していた。
スクールカーストトップに君臨している女の子––––星野蓮香は猫のような瞳を俺へと一瞬だけ向けてから、また明石へと視線を戻した。
「だから、私これから撮影があるの。とっとと帰らせてくれない?あんたらみたいに暇じゃないんだけど!」
「……」
「ちょっと、何無視しているのよ!?」
「え?私に言っていたの?てっきり藍沢にアピールしているのかと思ったわ」
「な、全然違うから」と星野蓮香はチラチラと俺へと視線を向けながら、頬を朱色に染めた。
そんな反応すると、本当に俺のことが気になっているかのような誤解を与えることに彼女自身は気がついていないらしい。
この高校は一応ある程度の進学校であるから地頭は賢いはずなのだが、自分の行動を客観視することは苦手なようだ。
「おい、明石、とんでもない推理––––いや妄想をするな。当てずっぽうにも限度があるだろうが。星野さんともあろう読モが俺ごとき地味人間に興味を持つわけないだろ?だから––––」
と話の途中だったのだが、星野蓮香は何故か今にでも怒りを爆発させそうなほど鋭い視線で俺を睨んできた。
おっと何か気に触ることに言及してしまったらしい。
おっかないことこの上ない。
「こほん……早々と『事件』の解決とやらを行っていただけないでしょうかね、会長さん?」
俺は捲し立てるように言葉を変えた。
断じて星野蓮香というスクールカーストトップの存在から睨まれ、始まったばかりの高校生活なのに、今後陰口を言われることを恐れたためでは決してない。
しかし明石はなぜか「わかってないな、こいつ」みたいな呆れたように首を横に振った。
「さすがに鈍感すぎるでしょ、あなた……」
「トンカン、過ぎる?そんな意味不明な受け答えしている場合ではないだろ?とっとと、話を進めてくれ」
トンカンが何を意味するのか判然としないが、俺はとりあえず教室内に残っているクラスメイトたちからの「早く帰らせてくれ」という無言の訴えを代弁した。
明石は『やれやれ』と呆れたような顔を俺に向けた。
「……?」
「……はあ、何でもないわ」と何故か呆れるように呟いてから、俺から視線を逸らした。そして、教室を見渡した後、桃山玲に向けて言った。
「……時間がないから真相解明の時間といきますっ!」
「えっと……はい、お願いします」
桃山玲の心配そうな視線が、一瞬俺へと向けられた。明石はそんな些細な様子など気に留めることもなく「うんうん」となぜか得意げに頷いた。
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